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電通OBが上級ウェブ解析士になって

2018年6月18日 「マーケティングは組織革命である」 森岡毅

 

昨日読み切ったが、全く納得のいく話。世の中でホンモノのCMOと言えばこの人くらいしか

思いつかないが、やはりその通りだった。この人が言うマーケティング以外、つまり世の中の

殆どのマーケティングは狭義のマーケティングになるが、その通りだと思う。

特に共感できたのは組織の中の3つの呪いの指摘部分。

 

1:年齢差の呪い(年功序列などによって引き起こされる業務的非効率)

2:役割差の呪い(社長も平も仕事的には同列で言いたい事言い合えるか否か)

3:性差の呪い(男尊女卑など)

本物のマーケティングを実施するに当たって実は上記のような組織課題が大きな問題である

という指摘は目ウロコ。でも実感できる。この本、お薦めします。

2018年6月19日 「マーケティングとは組織革命である」 森岡毅

昨日に続き、本日もこの本の話。マーケティングの本なのだが、本当のマーケティングをするためには組織の在り方を徹底的に変えねばならないという、かなり本質を突いた内容。特に3つの呪いとして組織に蔓延る障害を指摘しているが、全く同感できるもの。その3つとは、①年齢差の呪い②役割差の呪い③性差の呪いというもの。特に①は年功序列が当たり前の古い組織だと知らず知らずの間に互いが気を遣い、その気遣いにより言いたいことが言えなかったりコミュニケーション速度が落ちたりそもそもコミュニケーションが出来ないという恐ろしいもの。これは自分も味わってきた。大きな会社では互いに気付かないうちにこの呪いに罹ってしまっている。

2018年6月28日 新丸の内倶楽部

この写真は私の勤める会社が入っている新丸の内ビルの

共有ラウンジにある個室。併設のカフェにコーヒー1杯を

注文するだけで予約できる。1人で予約しても5人で予約しても各自分飲料の注文をすれば予約できるのだ。

この丸の内で個室を気軽に押さえられるのは驚きです。

昨日はオンラインミーティングで2時間押さえました。

静かだし集中できるし即職場のデスクに戻れるし、良いことづくめです。いろいろな職場に勤務したが、丸の内はベストだと思う。街の雰囲気、いる人々、どれをとっても好きだ。

自分の苦手な街は、若い頃から変わっていない。渋谷が苦手

だなー。丸の内で勤務しているウェブ解析士はどれくらいいるのだろうか?関東圏内でのウェブ解析士生息マップがあったら見てみたいものだ。

2018年6月30日 ウェブ解析士と東京オリンピック

私の住むエリアでも東京オリンピックの準備が進んでます。

これは晴海の建設現場を豊海側から見たところ。

2年後のオリンピックでは風景がかなり変わっているだろうな。今日は猛暑です。先ほど図書館へ行ってきましたが

外はとんでもなく暑い。熱中症対策をして外出せねばヤバい

です。一旦帰宅して再度外出予定あり。

読書本を持って出かけるとしよう。

ハイ、出かけてきました。案の定、とんでもない暑さ。

用事を済ませ速攻で帰宅したら、超アンラッキー!自宅の

リビングの冷房がオーバーヒートで停止したではないか。

なんということよ!

仕方ないのでダイソンの送風機を稼働させてます。

現在21時になろうとしてますが、部屋の中はヌルいです。

2018年8月14日 お盆休み

私もお盆休みをいただいている。キチンと休まずして良い仕事はできない。若い頃はガムシャラに仕事をすることは必要だと

思う。が若い頃から効率よく仕事をしておけばどれだけの発展が望めたかを今にして思う。それができる人ならば経営者として成功できる可能性は高い。もちろん効率だけの問題でなく成功には気持ち、心が大切になるのは言うまでもない。

私が今までに見た大成功している経営者の特徴はとてもシンプルに共通している3つがある。この3つは誰でもできそうで

できないこと。逆にこの3つができれば少なくとも小さくは成功できる。

1:挨拶を必ずする(朝も昼も夜も誰にも)2:メールや電話には必ず即レスする(5分以内)3:必ず反省し正す(柔軟性)

1,2ができていない人は論外。これができていない場合は経営上問題があると思っていい。ディレクターとして、ウェブ解析士として多くの経営者、企業管理職と会うがこれらは間違っていないと確信している。

 

2018年10月23日 平成が終わったら

平成が終わったら、おそらく自分にも大きな転機が来ると思っている。予感がハッキリとある。会社を辞めた時に似ている。

自分の生き方の区切りを付けるのがそのタイミングなのだと思う。幸いどうやって生きて行くのか明確になり、より覚悟が

決まっている。これは人生においてやりたいことや、実現したいことから見出したのではなくその反対で、絶対にやりたくないことや生きていく上でのポリシーに反することはしたくないということが大きい。どういう人間にはなりたくないという

視点。そこから残るものが非常に重要だった。年を重ねるとネガティブな要素を認識することの方がポジティブな目標よりも重要になってくる。ウェブ解析はその中で残ったものの一つであり大切な一部だ。

2018年11月22日 ソウル出張最終日

写真は、ソウルのオフィス。ここに数日間お世話になった。

昨日はプサンへの日帰り出張だった。初プサンで、クライアントさまの所へ打ち合わせに行ってきた。

ご縁以外の何物でもない。不思議にもプサンには行くことになるだろうと思っていたが、このような形で行くとは想像

できなかった。この出張では多くの気付きと、運、縁を感じることができた。人生の岐路を実感できる機会だった。

ウェブ解析士というだけでなく、仕事には営業が必要という基本中の基本を異国にて痛感。

自分には営業の血も流れている。

電通時代にクリエーティブをやりたくて入社したが、それを5年間やってから大決断をし、自ら営業局に出た。

あの大決断は今になれば必然だったと思う。

今となって活きてきている。

2018年12月4日 永田町の基地

都内にいくつかある基地の一つ、永田町GRID。
東京駅や永田町からは交通のアクセスが良く、これらの基地から各地へ出かけるのに便利である。コーヒー無料、電源あり、WiFi完備、ランチは比較的安い。非常に便利な場所。

ウェブ解析士としての講座をこの場所で受けたこともある。

Gaiaxさんが設けているスペースであり、スタートアップの

方々が利用できる。こういった場所は本当にありがたいし

仕事のモチベーションも上がる。働き方改革が進んでいるが

正にその現場だろう。大企業の中での働き方改革とは全く異なる個人としての働き方の可能性を追求できる。

いろいろな働き方、仕事内容を追求していくうちに最も自分らしい働き方、仕事内容が見えてくる。そして働く土地、場所、共に働く人がかなり重要なのは言うまでもない。

2018年12月31日 2018年最終日!いよいよ2018年とお別れだ!

ウェブ解析士の資格を再び取得するため、今年の年明けから勉強を始めた。日比谷図書館や、自宅マンションの自習室など

あらゆる場所を活用して準備をした。テキストは以前に取得した時より100ページも増量されていて更新されていた。良い資格

だと思った。3月上旬に後藤塾で試験だけ受験し合格。その後、上級ウェブ解析士も取得。そしてマスターを受けてみたが
そこまでの準備やレベルに自分が達していなかったのと、仕事が忙しくなったため一度、休止。来年どうするかはマスター

コースの内容がどうなるかによって考えようと思っている。ウェブ解析士の仕事は何度も書くが中小企業で凄く伸びている。

今どきウェブサイトだけ制作して放置している企業は珍しくなってきている。まだまだあるのだが・・・・。

とにかく中小企業の課題に応えていくことは、難易度が高い場合が多い。大手同士の継続的付き合い厳しいと違って、中小企業は資金的なユトリが無い中での仕事だから結果が出なければ切られてしまうのである。かつて大手にいた私は現在では

仕事のツボが全く違う手法で仕事をしている。流派が全く変わったのだ。でもかつての仕事が役立っているのは間違いない。大手企業への課題解決から中小企業への課題解決をするようになって違うステージに突入できたし、今後の人生を考えると

この進み方が正しいと確信できた。沢山の収穫と学びのあった1年でした。

 

2019年6月15日 龍山寺にて(ブログ開設から1年)

24年前に初めて台湾台北を訪れた時には、龍山寺に呼ばれた気がしたものだ。そこでお神籤を引いた時の事を良く覚えている。そこでのメッセージはその後の人生を示唆したものだったからだ。今回も同じような感覚で龍山寺に呼ばれた気がした。そしてお神籤を引き、月形の赤い木片を2つ床に投げる。すると3回投げて2つの表裏が互い違いにならなかったため、お神籤を引き直した。お神籤の番号は73。その時に24年前を想い出した。あの時も73だったな。月形の木片を投げると互い違いになって止まったので73のお神籤を木箱から引き出す。24年前と同じ木箱の引き出しから紙を引き出した。中国語は読めなくとも漢字の並びで意味は分かる。24年前は親切な通訳の人が解説してくれたが、今再びその文字を見て当時の解説が蘇ってきた。ああ、一回転したんだな、と痛感した。24年前も、おそらく6月のこの頃だっただろう。不思議なものだ。ウェブ解析士会議には参加できなかったが、龍山寺に呼ばれてしまったから仕方ない。龍になるしかない運命のようだ。

 

2019年6月16日 連日の台北散歩

日本より一足先に真夏の様な暑さの台北、晴天の街中を散策する。まだ昭和の趣がある街並みを感じながら昭和を遠くに感じる。昭和という時代が平成が終わって更に遠くなった。自分は昭和生まれという事実が実際に昔なのだ。ウェブ解析士という職種も昭和には存在しなかった。午前中にマッサージに行った。優れたマッサージ師はどこの国だろうと人だろうと即座に客の身体を理解してマッサージをする。言葉で説明する必要もないのだ。長年マッサージを受けている身としては、才能あるマッサージ師は1分で分かる。夕方に空港の傍にある圓山ホテルに行き、最上階の虎の物の怪が出るというホールを見に行った。

独特の空間で長居できない雰囲気だった。

2018年12月31日 2018年最終日!いよいよ2018年とお別れだ!

ウェブ解析士の資格を再び取得するため、今年の年明けから勉強を始めた。日比谷図書館や、自宅マンションの自習室など

あらゆる場所を活用して準備をした。テキストは以前に取得した時より100ページも増量されていて更新されていた。良い資格

だと思った。3月上旬に後藤塾で試験だけ受験し合格。その後、上級ウェブ解析士も取得。そしてマスターを受けてみたが
そこまでの準備やレベルに自分が達していなかったのと、仕事が忙しくなったため一度、休止。来年どうするかはマスター

コースの内容がどうなるかによって考えようと思っている。ウェブ解析士の仕事は何度も書くが中小企業で凄く伸びている。

今どきウェブサイトだけ制作して放置している企業は珍しくなってきている。まだまだあるのだが・・・・。

とにかく中小企業の課題に応えていくことは、難易度が高い場合が多い。大手同士の継続的付き合い厳しいと違って、中小企業は資金的なユトリが無い中での仕事だから結果が出なければ切られてしまうのである。かつて大手にいた私は現在では

仕事のツボが全く違う手法で仕事をしている。流派が全く変わったのだ。でもかつての仕事が役立っているのは間違いない。大手企業への課題解決から中小企業への課題解決をするようになって違うステージに突入できたし、今後の人生を考えると

この進み方が正しいと確信できた。沢山の収穫と学びのあった1年でした。

 

2020年1月1日 新年、明けましておめでとうございます

年が明けました。今日は穏やかな良い天候の元旦で、平和のありがたさを感じながら散歩しました。思えば30年目のサラリーマン生活となりました。社会人になったのは平成2年だったので、新しい元号の令和2年は新しい旅立ちの年にしたいと思っています。30年前は広告会社ぼコピーライターやテレビCM全盛の時代で、自分はそれに憧れて実際にその仕事に就くことができました。当時の自分は大学生で実績が無いにも関わらず、根拠の無い自身は人一倍ある若者でした。ただマスコミに入る準備は計画的にして、それなりに準備もしていたのを憶えています。驚くようなラッキーもありました。それはテレビ東京でのバイトから始まります。大学4年生の時です。バイト情報誌で見つけたテレビ東京のバイトは、働く部署や仕事内容は分からないものでした。とにかく私はテレビ局の中に入り込もうと考えて面接を受け、採用されました。入ってみるとCMチェックという仕事を任せられました。当時はビデオテープに数日後に流されるテレビCMをつなぎ合わされたものを2人体制で目視でチェックするというものでした。テレビ東京の子会社の社員の方1人と、バイトの私の2人体制で朝から晩までテレビCMを見続け、スポンサーや内容、順番が正しいかをチェックするのです。そう、私はどの大学生よりもテレビCMの本数を見ている大学生だったのです。その頃大学の就職課に行くと、「第1回電通クリエーティブ塾」の生徒募集のポスターが貼ってありコピーライターやテレビCMプランナーを要請すると書かれていました。授業料は無料、毎週土曜日に講義と演習をやり3カ月続くものです。私は筆記と面談の選抜を突破して第1回電通クリエーティブ塾に通う事となりました。講師は現役のコピーライター、プランナー、クリエーティブディレクターで広告界の重鎮やエース級ばかりです。非常に贅沢な内容で、電通社員で芥川賞受賞作家の新井満氏の特別講義もありました。そのような中、私は大学のサークルに入っていなかったので朝から晩まで課題を考えて、課題のコピーや、テレビCMの絵コンテをアルバイト先のテレビ東京からファックスで電通に送信していたのでした。

何の実績も無いとはいえ、誰よりもテレビCMを見ていたために良し悪しや面白さのツボが少しは分かっていたのかもしれません。そこでの成績が良かったことで電通に入る事ができたのでした。一緒に組んでいたCMチェックのお姉さん、Y田さんはどうしているんだろうか?今想い出したんだがテレビ東京の新入社員の方ともペアを組んでCMチェックをした時もあり、その

新入社員さんで有名俳優の息子さんがおり、その方は大学の先輩でもあったので良くしていただきました。

想い出は尽きないのでこのくらいに。ウェブ解析士という言葉も無ければ、インターネットすら無い時代の話です。

2020年2月1日 コンサルティング会社で独立した! 

さて、本日からコンサルティング会社(自社)のディレクターとして始動します。4月からは某大学教員となりますが、そこでは兼業、副業が認められています。また研究と仕事は同時進行で、常に最新の仕事事例を大学教育の現場に還元していきます。特にアクセンチュア、デロイトといったコンサル企業さんとはフリーのクリエーティブ・ディレクターとして企業のマス広告戦略からデジタルマーケ領域までのヘビー級統合戦略ディレクションを請け負います。大広告手代理店だと数千万する案件を数百万から!勿論、広告代理店とも依頼あれば組みます。

 

2020年2月14日 バレンタインデーの日の特別なイベント

今日は特別な日であった。バレンタインデーである。眼科の女医さんから450回に及ぶレーザー照射を右眼に受ける手術を

実行した日でした。昨年からドライアイが酷かったので眼科で診てもらっていたのですが、経年劣化で網膜が薄くなっており

小さな穿孔があったのでその周囲を焼き固めたのでした。眼は仕事で駆使してきたから労わらないと。今はコンサルティングだけでやっていけるので以前の眼を駆使するような仕事は一切なくなった。頭脳を今後も駆使するのは当然のことだ。毎日ショートコンサル案件が決まってきて忙しく過ごしている。ウェブ解析士として単品の仕事は無い。マーケティングの一部としてウェブ解析が必要にはなる。世の中はマーケティングに関してカオスになっているので、私に仕事が廻ってきている。

2020年3月3日 あっという間に3月に突入!

日々、コンサルティングのお仕事で新しい方々とお会いしている。非常に勉強になる。オンラインのミーティングが多いが

オフラインでの打ち合わせもある。オンラインミーティングは、新型コロナで世の中的にも進んでいるようだが、この効率の良さは後戻りできないと感じている。この効率で仕事をすると従来の3~4倍の効率になる。効率が上がると知見の獲得効率も上がるのでコンサルをする人間にとっては必須の働き方改革だ。確かに単価は2極化していると思う。作業は安い方へ、

戦略的アドバイスの価値はプロパーで雇われるより数倍高くなるのは当然。サラリーマン時代はどうしてもアイドリング状態が続き自分も本意ではなく後ろめたかったが、独立してからは働き方改革が相当効いている。やる仕事が無いなんてことはありえないのでストレスが全く無い。仕事は全て自分で選べるので一切ハズレが無い。仕事内容と仕事関係者を見極める能力が無いと独立はムリだ。取りっぱぐれたりしてしまうからね。また空いている時間に必要な勉強が猛然とできる。最高なのは昼を少し過ぎた頃にシエスタ(昼寝)の時間が取れることだ。シエスタの効能はやった人しか分からない。シエスタ後の仕事効率は凄まじいです。

2020年3月12日 リモートワーク、リモートワーク

毎日オンラインミーティング。価値観が大きく変わる2020年です。自力で生きていくためのツールは豊富にある世の中。

冒険心が疼きます。今まで自分が電通で身に付けてきたサバイバル能力、集中力、執念、根性、人脈をフル稼働させて楽しんでいる。サラリーマンを辞めてからストレスが激減して記憶力が全盛時代とは言わないがかなり復活してきた。脳の回転が

かなり戻って嬉しい。ストレスが溜まると記憶も回転も悪くなるのだ。それが長期的に続くと脳は劣化して戻らなくなる。

自分の脳みそがフレッシュになっているのを毎日感じている。そうでないとコンサルティング業はできません。特に若手の

コンサルタントや新規事業チームのメンバーとやり取りするのにテクノロジーやマーケティングの最新事情を全て把握して

おくのが普通なので勉強量、勉強スピードは現役時代より増え、加速している。日々、脳の筋トレしているようなものだ。

身体をマッチョにすることは全く興味はないが、脳をマッチョにすることはとてつもなく興味があるし、永遠に鍛えていたい

と思っている。ウェブ解析士という職種は日々テクノロジーが刷新されるしマーケティングも進化していくので永遠に脳をマッチョ化していかないと即引退になりかねない。脳トレ、脳トレ!

 

2020年4月8日 大学での授業準備はオンライン対応

ついに東京都をはじめとする複数の都府県で”緊急事態宣言”が出された。これに伴って東京に帰宅していた私は大学のある長岡入りを自粛している状況であり、大学側からは正式にどう対応するかの答えを待っている状況です。個人的には体温の計測と手洗いうがいの徹底、外出は極力避けて絶対的にコロナを防御している。家族も同様です。もし感染する可能性があるとすれば、それはスーパーマーケットのレジ周りか、たまたま大人数が乗り込んだ場合のエレベーターの2つである。なのでその2つが密でない状況を見計らって行動している。ウェブ解析士としては、この特殊状況でネット上の情報をチェックしてトレンド分析しているくらいか。大学では普通に学生を教室に入れて授業ができないので、教室も複数にして分散した上でオンライン対応もするというオペレーションに対応中で、それなりに大変です。私も東京からオンラインテストに参加しています。

2020年4月28日 長岡への引っ越しはGW明けに!

コロナウイルスの事情により引っ越し業者も込み合っていて、当初の予定より引っ越しが遅れている。しかし緊急事態宣言が出ているためどっちにしてもGW明けの引っ越しになる運命だったようだ。緊急事態宣言がGW明けにどうなるかは、その時にならないと分からないが、引っ越しは間違いなくする。新幹線は密な状態ではないし、換気システムが完璧なので問題は無い。しかし一度長岡入りしたら2週間は東京へは帰れない。いづれにしてもコロナの終息を祈るしかない状態だ。最近は毎日

Zoomでのオンラインミーティングを実施している。それは大学生だったり、大学の教員の方々だったりで授業のシミュレーションをしている。

 

2020年5月1日 眼科にてレーザー照射60発

久しぶりに眼科に行き、網膜にレーザー照射を60発実施して補強となった。その後、帰宅してZoomミーティング予定が3つ

入っている。在宅勤務が続くとはいえ、楽な訳ではなく今後の授業の準備や工夫をする日々である。緊急事態宣言は1か月延長が決定し、おそらく&希望的観測ではその後終息に向かっていくだろうというところ。油断はできないが必ず終わりは来ると信じている。さて、次のZoomミーティングの準備をしよう。

2020年5月4日 Zoomミーティングの背景で楽しむ

最近は毎日Zoomミーティングがあるのだが、部屋の景色を消すためにバーチャル背景を用いている。その背景も何種類かオリジナルで用意しているのだが気分が変わって良いものです。

←左の写真は昨年の出張で行った米国テキサス州オースティンでの瀟洒なビルのロビー写真。これをZoomのバーチャル背景にすると気分も広々としてくるから不思議だ。
さて、本日のZoomミーティングはクライアントさんが

現れず流れてしまった。このようなことは非常に珍しい。

想定外のことが起きているのかもしれない。明日の連絡を待つとしよう。更に明日の夜に1件、Zoomミーティングが入っている。ありがたいことです。最近は本当に新規事業を考えている中小企業、大企業が多い。私の仕事も増える訳だ。

2020年5月5日 犬の誕生日

今日は飼っている犬の誕生日です。9歳になりました。

311の年に生まれたトイプードルで、今までに大病をしたこともあったが現在は健康で元気に暮らしています。

311も衝撃的だったが、今起きているコロナのインパクトはもっと凄い。今後世の中のライフスタイルが大きく変わらざるを得ないくらいのインパクトだ。

←写真は、ごく普通に出張していた頃の写真。まさか現在のように篭って仕事するとは思いもしなかった頃。個人的には

以前のような毎日出社して残業もあって会社に8時間以上

拘束されるライフスタイルには戻れないし、戻る気もない。

私だけでなく多くの人々がもっと時間にゆとり持って暮らすべきだと思う。考える時間を持たずに仕事だけしている状態は脳が劣化していく。かつて頭の回転が良かった人たちが見事に劣化していく様子をさんざん見て教訓にしているのだ。

2020年5月8日 眼科に行きました

今年に入って右眼の網膜穿孔の周囲をレーザー照射で焼き固める手術を受けたのは記憶に新しい。そして最近その当時と同じ感触を左眼に感じたので即刻今日、眼科に行ったところ、やはり網膜に少しの剥離と出血が認められた。一旦帰宅して、午後にレーザー照射手術を実施した。これが結構辛い。右眼の時よりもレーザー照射数が多かった。300発以上だ。やや恐怖を感じました。しかし明日引っ越しだったが来週も術後の診断があるので引っ越しは一週間後に延期した。でも気付いて治療を受けておいて良かった。私と同じような方が日本でどれくらいいるのかネット上で調査してみよう。かなりいると思われます。

 

2020年5月15日 再度、眼科へ

右眼に違和感が出ていたので診てもらうと、やはり飛蚊症が進んでいた。まだ経過観察と2週間後のチェックが必要だ。常にチェックしていないといけない。眼は商売道具でも非常に重要なパーツだからかなり大事にせねばならん。Googleトレンドで

飛蚊症をチェックすると調べている人は増加傾向にある。このコロナ生活と関係があるのだろうか?何とも分からないが。

しかし求人サイトなどを調査しているとリモート案件、フルリモート案件が増加している。副業、兼業案件も同様に増えていて時代を感じさせる。かつては土曜日に半日学校に行ったり仕事に行ったりしていた時代があったが、週休二日制が当たり前になった。現在は、もっと自分のペースで働ける選択肢が増えている。自由度が高くなっているのだ。大学の授業はコロナで

大模索中です。大学の授業にも新しいスタイルが生まれてくるでしょう。

2020年5月16日 念願の引っ越しができた!

やっとN県N市に引っ越しができた。思えばコロナによる

緊急事態宣言が出たため、東京からの引っ越し予定が大幅に

狂い、更に眼の手術が勃発して引っ越しを延期した経緯が

あるのでした。世の中、全く予想外のことが起きますね。

幸いにもコロナには罹らずに今まではきています。

N市は、湿気があるなー。今日だけのことか、どうなんだろう。分からないことだらけなので、日々、観察したり人々に尋ねたりして生きていこうと思っています。

21歳の頃、マンハッタンで暮らし始めた時を想い出すなあ。

場所は全く違うけれど、気持ちはとても似ている気がしている。あの頃も今も、違うようで同じくずっと求めた人生の在り方を踏襲している気がする。歳を経ただけ分かるようになったことは多いし、気持ちもかなり落ち着いているが芯は

変わっていない。

2020年5月16日 必要なものだけ置く部屋

無駄なものは一切いらない。機能していれば十分だ。

そう思うと、逆にどうしても必要なモノがハッキリする。

スタンドは欲しい。フローリングに敷くマット的なモノが

欲しい。などなど・・・。空き箱となったダンボールは

なるべく早く畳んで片付けよう。肩凝りが酷い。腰痛も出てきている。銭湯に行きたくて仕方ないのだが、東京では行きつけの近所の銭湯は締まっていていつ再開するか分からない状況だった。ここN市M町はどうなのだろう?銭湯っぽい所は今のところ見つけることができなかったが、ちょっと離れた所にスーパー銭湯があるらしい。歩いていけるかな?

まだ良く知らない土地なので、車や暗闇には気を付けよう。

何が起きるか分からないから。気を付けて付け過ぎることは

無いのです。

2020年6月27日 6月はショートコンサルが8件!

2月から始めたスポットコンサル(ショートコンサル)は1回1時間程度のものだが、今まで培った知見が活かせるのと、現在のビジネスニーズを把握できる一石二鳥以上が得られる。ありがたいことだ。特に若手のベンチャー企業の相談に乗ることも多く、応援、支援のし甲斐もある。新しい働き方は、本当に新しい価値を提供してくれる。こういった最新の仕事内容を大学でも講義に活かしていきたい。相変わらずウェブ解析といったピンポイントでの仕事は一切ありません。実際にクライアント企業さまのアカウントを開示してもらわないとウェブ解析できない(解析ツールでラフにはできるが)のです。開示してもらえる間柄になるのは程遠いし、逆にそのような間柄になることがベストとも限らないので。特にサイトの分析と運用までセットになる作業は請け負えませんのです。あくまで作業ではなくコンサルティング業だからなのだ。ただし運用チームへのディレクションはします。

 

2020年7月4日 働き方改革は、確実に起きている

もし大企業に所属している人で、世の中で働き方改革が起きていると感じていない人がいるとしたら、確実に起きていますよ

と伝えて差し上げたい。大企業ほど変革に疎く、動きが遅いが個人事業主や中小企業は変革の波に乗ることは死活問題だからだ。この潮流は大企業だからといって関係ない訳では全くない。ここ2~3年で歴史的に働き方は変わると思う。オフィスに毎日通勤するような生活は終焉を迎えるだろう。残っていても、そのような非効率、ストレスフルな働き方を望む人が激減するだろう。私の場合、リモートワークの効能はコロナ以前から言っていたが、それがコロナの状況で証明された。ただし、

ただし大学の授業は別モノである。特に演習、実習の類は対面でないと厳しい。これは日々実感している。工夫すればできなくはないのだが、対面の方が圧倒的に学びが多い。学生同士が学友の様子を対面で見合うことが非常に重要なのです。

こればかりは様々な工夫と、対面で授業できる日が来ることを待つしかない。

2020年7月8日 「アイデアの発見」読了!

かつての上司であり、恩師でもあり、大学の先輩でもあるライトパブリシティの代表取締役社長 杉山恒太郎さんの著書

「アイデアの発見」をやっと読み終えた。内容が分かり易く楽しいのでグイグイと引き込まれて読んでいたのだが、知性と教養がサラリとした文面ではあるが濃厚に詰まっているのでキチンと読み終わるまで予想以上に時間が経っていた。50選で選び抜かれた広告はどれも作品と呼ぶに相応しいものばかりで、私も事例こそ知ってはいたがもっと深いエピソードや解釈によって更に理解を深めることができた。読んでいるうちに自分が広告業界へ、電通へ憧れて入り、入ってからもそれなりに頑張っていた原点を想い出させてくれた。アイデアは誰か偉大な先人が考えたモノであっても、世に出て知られることで全ての人の資産になる。知る側も、その素晴らしさを他人のモノだと解釈するのではなく、同じ時代を生きて、それを見て、感じて分かった喜びをもっと感じた方が良い。感じるだけでも褒められるに値する。書き切れない。書き切れる訳が無いほど素晴らしい本でした。そして読み終えると6月のカンヌの風景が浮かんでくる。石畳と石造りの家が立ち並ぶ、丘の上教会へ続く坂道から上を見上げると、道幅に細長く切り取られた微風無音の青い上空を白いカモメが横切る。今も毎日繰り返されている風景だろう。広告業界とは隔絶された修道僧が回廊を渡っていく。あの時の風景はVR装置が無くても自己再生できるくらいに鮮明だ。その風景が実は今も語りかけてくる。若い人たちに伝えなければならないことが沢山あるだろうと。

2020年7月13日 大学の学食がオープンしていた
大学の学食に人が少しいたので覗くと鶏カラ弁当だけ、お弁当として売っていた。先週から細々と開始しているらしい。

初めて学食で弁当を買って研究室で食べてみた。まあ安くて学食らしいお弁当でした。日替わりで、鶏カラ、ヒレカツ、カレーというローテーションのようだ。悪くない。昨日は断続的に雨だったが今日は普通に晴れていて、やや雲ありという感じ。

長閑な平日です。さて大学の授業の資料作成をするか。最近のコンサルティングの仕事ではウェブの解析という程ではないが

ウェブ改善の話は少し出てきている。世の中にWEBサイトは星の数ほどあるが、キチンと考えられて制作されているモノは

非常に少ない。だから改善の余地があって、そこがビジネスになるし改善すればそのWEBサイトの会社も集客に繋がるのは

間違いないのです。最低限、Googleアナリティクスを接続して自社サイトの分析ができるようにしていただきたいものだ。

2020年7月19日 晴れたから散歩

ついこの前まで梅雨でシトシトと雨が降っていたが、今日はパッカーンと晴れて暑い日となった。少し風があるので何とか散歩に出ることが可能。長岡の空気は非常に良い。

空気だけではない。気が良くなる成分が沢山充満していると感じる。東京はビジネスも人も密になり過ぎている。コロナのこと以前に人の過密はストレスを生むのでよろしくないのだ。自分の周りにも都会と田舎の二重生活をしている人たちが増えている。完全に田舎に移住している人もいる。それは人としてごく当たり前のことかもしれない。

そして田舎には、物凄く伸びしろがあることに気付くのだ。ビジネスという意味でも、人材という意味でも。都会を頂点としたヒエラルキー構造は今後かなり変わって行くだろう。

テクノロジーの進化で、情報格差やセンスの格差は、住む場所や出身大学などより、個人レベルの問題になっている。

だから今の時代に何十年前から続く受験勉強スタイルなど

やっているようでは、将来性のない人材になってしまうだろう。古い価値観を変えられないセンスの人も沢山いる。

だから新しい考え、行動の人たちにチャンスが廻って来るのです。私は仕事でスタートアップベンチャーの若者たちと

打ち合わせしたり、彼らをサポートしたりしているが

自分が教えるより、彼らから学ぶことの方が圧倒的に多い。
そのような若者とタッグを組めることこそ自分の最大のスキルだと思っている。加えて自分が勤めている大学の学生さんからも気付きを貰う毎日。互いに非常に貴重な時間です。

2020年7月30日 7月が終わり、コロナは終わらず

コロナとは長期戦を予想していたが、予想通りになっている。

私は今後、もっと厳しい将来になると考えて準備している。オリンピック?

それは過去の話。この現状でオリンピックを語るなど、私個人はあり得ないと思うのだが、「来年こそ絶対に!」ということを声高々に言う人がいる。

正直300%理解できない。このような状況になって、個人の状況把握レベルが

かなり異なることに気付けた。究極の危機状況に陥った時、どのような情報を取り入れ、どのように分析して行動のための指標を作るかといった普通の知性を使える人と使えない人々に分かれるようだ。政府の決定と行動には、まあ呆れている。税金をキチンと収めてきた国民として残念極まりないが、それに文句を言うよりも将来への備えをしておくべきだ。これからは個人の時代だ。
どのように考え、どのように行動するか、所属している企業や組織が決めてくれるわけではない。最後の最後は自分である。

その訓練&実践が現在だ。就活も過去のようにはできない状況だが、やれることをやれば良いし、この状況だからこそ次世代のサービスが生まれる可能性は高いと思う。チャンスがある状況だ。写真は晴海選手村になる予定だったマンション群。

新品でありながら既に廃墟の様相を呈している。これこそ過去との決別&未来へ向かう途中のシンボリックなビジュアル。

 

2020年8月22日 昨年の8/22は青森に行っていた

昨年の夏も暑かったけれどマスクはしていなかった。青森のクライアントさまとはお仕事にならなかったけれど地方の魅力、

伸びしろを感じることができた。その考えは今も全く変わらず、日本全国の地方都市の魅力と可能性が未来を創ると確信している。何が一番、その未来を創るかというと個人的実感でDX(デジタルトランスフォーメーション)で間違いない。何故言い切れるかというと私自身の働き方、生活スタイルがデジタル化で劇的な効率化を達成しているからです。そこで更に言えることは、企業のDXは途轍もなく難しいけれども、個人のDXはそれほど難しくはない。だから企業に勤めている社員さんがDXできるように仕事のスタイルを変えていくことがDXなのであって、先に企業がDXしようとするのはかなり大変。Googleトレンドでデジタルトランスフォーメーションを調べると、昨年から倍増しているのが分かります。DXは、まず自分から。Googleのツールを全て使いこなして仕事をすることからです。

2020年10月10日 寒くなった。台風も来ている。
写真は昨日のミーティンングルームNo2の様子。ミーティングルームは全部でNo1~No3まで3部屋あり、スケジュールを予約して使用するシステム。1時間200円で格安です。これが自宅マンションにあるので非常に助かります。しかし

同じことを考えるビジネスマンが多いので1週間くらい早目の予約をしないと取れなくなりました。コロナの影響は多くの人に出ています。大企業が社員に一時帰休や、副業兼業解禁を認め始めています。大きな変化が起きています。このようなことが、将来語られることになるでしょう。昔は副業や兼業が認められてなかったんだって!!あり得ないよねー!!といったことになる。現状、私も副業兼業のおかげで世の中の状況や新しいスキルを増やしているから、一つの企業で一部署に所属して何年も働くというスタイルが既に信じられない。この情報化時代に時間と場所を長期間拘束されるのは、能力を発揮させないためのコンディションかと思ってしまう。そして会社が何かを施してくれると待ちの姿勢でいる社員もあり得ない。自ら、会社が何と言おうとこれを学ぶ、こういった仕事をするんだ、という自主性、センスを持たねばただ使われる人に

なってしまう。若いとか年配とか関係ない。仕事がデキる人は自分から学び、行動する筈だ。その点、オンラインウェビナーなど無料で質の良いセミナーや

安価で良質な講座が開催されている。チャンスはかなり転がっている。

2020年11月28日 鬼滅の刃

世の中で大ヒット中の「鬼滅の刃」を観ておくべきだという思いから、映画を観た。ヒットの理由はとてもシンプルに分かった。持てる者、優れた者は自らの使命、命を次世代の若者達へ惜しみなく与える姿を見せるというものだ。若者に人気のある鬼滅の刃だが、オッサン達こそ観るべき映画だと思う。観る人に精神的なパワーを与える映画だと感じた。掲載されていたマンガが少年ジャンプというのも懐かしいし、納得してしまう。企業や組織の中で守りに入り、自分だけ逃げ切ろうとするオッサン達は、煉獄さんを見習うべし。Googleトレンドで鬼滅の刃を調べると先月の検索量が最も多く、今月はやや下がっているがコラボ関連グッズなどの検索も多いようだ。鬼滅の刃にはいろいろと考えさせられ、勉強になった。観て良かった。

2020年12月17日 朝5時に除雪車の除雪音で目が覚めた!

人生で初めて、朝の5時に除雪車の雷の様な大音響で目が覚めた。確かに早朝から除雪せねば、1日が始められないから仕方ないのは分かる。しかし明け方の白銀に染まった風景は格別だ。その美しさには寒さも吹っ飛ぶくらいの迫力がある。人生初はまだまだあるんだな、と。いや、実は人生初のことだらけなのだ。50年以上生きていても、大したことは無い。全ては新しく新鮮なのだ。おそらく死ぬまでその感覚は無くならないだろう。重要な感覚だと思う。分かったような気になっているのは傲慢でしかない。謙虚に生きるほど感動がある。

2020年12月24日 クリスマスイブになりました

早いものです。もうクリスマスイブです。しかし全く喜んではいられない。コロナの拡大が続いているし、新種の感染力が強いウイルスが出てきて非常に恐ろしい状況だ。政府がGoToを実施したことは大間違いだったし、全般的な対応が遅すぎる。

平和ボケにも程があると言いたいところだが、非難している場合ではない。自分たちで感染防止せねばならん。来年は風の時代、正にそうだと思う。地に足を付けている者はそのままその地に留まり、風に吹かれて飛び立つ者は、未知の世界へ行くのだ。風に吹かれるのは恐ろしいと感じる人は多いだろうが、いやいや飛んでみれば気持ちの良いもので、慣れると止められなくなる。それどころか自分の本当のカスタマイズとは、飛んでからしか出来ないものだ。企業に所属している状態では自分のリミッターを外すことが出来ない。リミッターを外した自分が、どれだけのものか知りたい者だけが自分の最高速度を知ることになるのです。後、残り少しの2020年を、コロナに気を付けつつ最終日まで走り抜けましょう。

 

2021年2月11日 寒い一日でした

ランチはインド料理のニサンに行ってカレーを食べてきた。たまに行きたくなるニサン。インド料理の店は生活圏内に1件は必要です。いつの時代にも自分の近くにインド料理屋があり、カレーを食べ続けている。話は変わるが、あまりに寒い日には風呂の温水が出なくなる時がたまにある。原因不明です。明日は大学で卒業展示会場へ机などを午後一から運び戻す日である。それが終われば卒業展示関連のイベントは全て完了する。あと一息頑張るのみ。

2021年2月14日 久しぶりにテレビのサザエさんを観て驚いた

サザエさんは私の10代の頃の日常であり、当時の価値観は全くサザエさんとシンクロしていた。が、令和に入って見たサザエさんは殆どが違和感だった。まず黒電話の登場と、携帯電話が存在していない世界。波平の年齢を調べると現在の私と同じ54歳とのこと。フネさんは52歳の設定だと。自分が波平の年に追い付いたが、波平と私は違い過ぎる。時代が変わると人間の中身も大いに変わる。他の人はどうなのか分からないが、私個人としては昔が良かったと思ったことは一度も無い。未来の方が楽しみなのは若い頃から変わっていない。長生きもしたい。生きていればいるほど楽しいことや新しい可能性が増えるという考えだからだ。たまに長生きはしたくないという方がいるが、私には全く理解できない。人の価値観はかように違っている。

サザエさんをGoogleトレンドで調べると、昨年の3月末から4月頭に検索量がピークに達している。番組改編時期だからだろう。いつまでサザエさんが放映されているか、これは歴史的な興味でもある。サザエさんの公式サイトをウェブ解析してみると安定したアクセスがある。こちらもウォッチしていこうと思う。

 

2021年2月17日 ウェブ解析の重要性

Googleアナリティクス、Googleサーチコンソールどちらもウェブ解析には重要な無料ツールです。クライアント企業さまの

ウェブサイトを分析、解析すると、大いなる気付きや発見がある。世の中の企業という企業、あらゆる組織という組織は自分たちのウェブサイトをもっと分析、解析しましょう。まだ自社ウェブサイトを活用出来ている企業、組織は少ないのでチャンスです。自社内にウェブ分析、解析が出来る人材を養成しておくことが理想です。毎日その重要性を感じています。何年やっていても分からないことは沢山あります。毎日勉強です。

2021年3月9日 長岡の雪解け

つい先日まで雪が降っていたが、道路が見えるようになってきた。雪が減ったのを見るだけで気持ちが明るく暖かくなるのを感じた。雪国で暮らすとこのような気持になるんだなあと。やはり新しい土地で暮らすと新しい発見が沢山あります。この写真は数日前のものなので、現在はもっと雪が減っています。長らく雪の下になっていた草や芝生が広い範囲で出現しております。コロナ禍は依然油断できず、ましてやオリンピックなどと大きな声では言えない状況。

私としては卒業式、入学式といった行事をどうするのかが気になっています。

多くの人々に影響を及ぼしているコロナ。いつまで続くのでしょうか。コロナ禍に入ってから、どれくらいのオンラインミーティングをしてきただろう。

1000回を超えることは無いが、それに近い700~900回は実施している。

対面での打ち合わせもあるが、非常に少ない。コロナの終息を願う毎日です。

2021年3月11日 10年経ちました

10年前、私は汐留の電通本社ビル内で大地震を体験した。それまでに味わったどの地震よりも大きく、そして長いもので揺れている間に恐怖を感じたのを昨日のことのように想い出します。あの時も緊急事態だったけれど、現在も違う形の緊急事態だ。この10年、色々な意味で大変な10年だった。資本主義、大企業の成功パターンが崩れていった10年とも言える。それは現在も継続中であり、コロナ禍で一層加速している。Googleトレンドでは「東北大震災」、「3.11」、「大震災」といった言葉が1か月前から上昇している。テレビ報道が1か月前くらいから何度もされるため、人々が想い出すのだろう。忘れないためにも良いことだ。ここから次の10年、世の中は更に激変を続けるだろう。私の10年後は大学教員の終盤に差し掛かる。どうなっていくか大変な世の中だとしても楽しみだ。

 

2021年3月14日 コロナ禍での仕事、研究生活

東京で緊急事態宣言が出て以来、海外へはもちろん国内での移動が出来ない状況にある。しかし仕事や研究は100%オンラインなので全く支障は無い。むしろ移動する時間と費用がゼロになるため効率は非常に良くなっている。学会もオンラインで開催されるようになっている。これだけあらゆるモノゴトが快適に効率化されていくと、それに遅れている業種、組織が衰えて行く速度が加速するだろう。お役所の文書、ハンコ文化は時代遅れの象徴となる。2021年以降、DX格差が著しく進むのは間違いない。DXが出来ないために組織的に全体を把握できず、ゲシュタルト崩壊を起こす組織が続出するだろう。私自身、既にそのような組織を複数実体験しているから良く分かる。ゲシュタルト崩壊をDX文脈で使ったのは、日本イノベーション融合学会の高梨理事長だ。この学会には少し興味がある。

2021年3月15日 学位記授与式とコンサルタント

本日は大学の学位授与式に教員として参列し、感動的な式を十分に観ることが出来た。学長や来賓の市長の挨拶も素晴らしく感動的だった。一方で世間のニュースを見ると私の良く知る会社が消滅吸収される記事があった。

私は経営コンサルではなくマーケティングコンサルだと自分では思っているのだが、自分に入ってくる情報と一般的に公開されている情報を掛け合わせるだけで、その会社が数年後にどうなるか、ある程度予想出来る。逆に経営コンサルは出来るのだろうか、いや出来ないだろう。データをどれだけ集めても、そこからのロジックだけでは未来は見えない。むしろ人間の思惑が入るので、その思惑のストーリーを読めるかどうかだ。数年間一つの会社の情報をウォッチしていると、その情報の中に人間の思惑が見えてくる。情報は結果を文章化したものだが、文章の中に思惑のエキスが混じっているのだ。点と点(単語と単語)を結びつけるのは思惑コンテクストである。これで事実を全く知らない場合でも、事実(と思われる仮説)を知ることが出来る。点と点が、人と人という場合もあり、この場合は分かり易過ぎる思惑が見えてしまう。だから政治家達は誰と誰が会食するといった情報すら漏らさないようにしている。最近はかなりバレてしまっているが。

 

2021年4月8日 入学式も終わり

大学の入学式は素晴らしい内容だった。学長や市長の挨拶が、とても気持ちが入っていて感動的。大学生は未来そのものであり、その門出を祝福することは自然なこと。自分への祝福にも繋がる。そして授業の準備と研究=仕事などが沢山あり、全く忙しい。脳をフル回転させるため糖分不足になり易い。また時間を忘れて資料作成などしていると食事を忘れてしまうので気付くと空腹になっている。気を付けよう!健康第一です。ゾーンに突入すると時間を忘れてしまうけれども危険でもあります。ウェブ解析で、特にECサイトの売上分析をしているとデータを見るだけでターゲットのペルソナ像が浮かんできます。

この知見を大学での地域企業との共同研究にも活かせる機会があるので楽しみだ。

2021年4月21日 新学期、始まってます

大学の授業が開始されている。対面とオンラインの両方があり、私の場合はまだオンラインのみだが対面授業もこれから入ってくる。コンサルティングの仕事はコロナ禍で増加していると思う。ちょうど1年前の4月は緊急事態宣言が出た直後でコンサルティングの仕事は一時的に減少していた。ところが世の中がテレワークに慣れてくると、むしろコンサルティングの仕事は増加していったのだ。その中で地方都市が副業人材を求めるケースが相当数出てきた。世の中は明らかに変化している。ウェブ解析やウェブマーケティングの需要は伸びている。デジタルマーケティングが一般的になるまで、結構時間がかかっている。技術力は進んでも、それを人間が普通に使うまでは時間がかかる。人間側が自分で変化しようとするか否かが、進化スピードに影響するから。

2021年5月2日 ゴールデンウィークに突入

暫く更新をしていなかったら、既にGWに突入していました。昨年度はGoogleアナリティクスを駆使してコンサルティングをし、学生さんたちにはWEBサイト分析ツール(SimilarWEB、eMark+)を紹介した。今年度に入り、私は某クライアントさまからGoogle広告を実施する機会を得て運用を開始している。実際に自ら運用するのと運用会社に依頼するのでは得られる感触が全く違う。やはり自ら広告運用はしなければならない。理想は自社内での運用である。車内にデジタルマーケティング要員を育成する必要がある。しかしそのような理想的な中小企業は滅多には無いので、少しづつ理想に近づくのが良いだろう。

ウェブ解析士のニーズも今後益々上昇して行くことと思われる。

2021年5月7日 Googleアナリティクス、サーチコンソール、そしてAI

オンライン広告はAIが自動的に最適化をしてくれるので、電通時代にオンライン広告運用の実績が無い私でも現在では十分に運用が可能になっている。しかもオンライン広告とGoogleアナリティクスはスマートアシスト機能で連動しているため、運用に時間をかけず分析に時間をかけられるのも良い。しかしGoogleアナリティクスのリテラシーさえあればMAとかDMPなどは無い方が良いのではないかとさえ思ってしまう。例え大企業で商品数など規模が大きくなったとしても大がかりな装置などいらないのではないだろうか。いや、そういった装置が悪いのではない。そのような装置を入れなくても人力の方がコスパが良いのではないかという気がしている。少なくともマーケティング人材を育成するにはGoogleアナリティクスの基礎をやれば良いだけだと思うのだが、そこをすっ飛ばして高額な装置を入れて使いこなせない(あるいは外注で高い金額を支払う)のは

本末転倒のように思っている。なので自社のWEB集客向上、ECサイト売上向上をコスパ良く実施したい方々は迷わず私に連絡下さい。必ず実績を出します。

2021年5月20日 抜歯後

東京には帰れないので、歯医者さんも長岡です。長岡駅にある歯医者さんで先週抜歯したので奥歯が無い状態。長年連れ添った奥歯とお別れをしたのです。傷口が完全に塞がってからブリッジで奥歯を再建することになります。歯が健康だと集中力が増すので重要なこと。高効率で研究、仕事をするために健康維持は必須。抜歯の時、時間とお金がかかるのではと思っていたが全くアッという間で安かったので驚きました。とても良い歯医者さんだった。暫くそこに通うことになります。ネット上で事前に評判をチェック出来るので便利です。近所に歯医者はあるものの、どこも評判が悪いので駅中で選んで正解。

2021年5月26日 ビジネス上の嘘

ビジネスにおいて嘘はあってはならないもので、1度でも「嘘」があれば信用にかかわるため絶対にあってはならないものだ。

一部上場企業や大企業では取引する相手企業の信用も調査するため、基本的に嘘を付くような人や企業、組織との付き合いは発生しない。私が転職して驚いたことの1つに、一流企業、大企業ではない会社や組織になると、割と「嘘」が存在することだった。これは晴天の霹靂で、それまで自分が生きてきた世界は「嘘」が無い世界だったのに、「嘘」を活用してビジネスしている人や組織があることは信じがたかった。自分自身が「嘘」はない人間のため、「嘘」を言ったりする人間や組織に対しては最も嫌悪感を抱く。最近だと、某一流とされる大手新聞社のオンライン無料プランの設計に悪意があり、解約を出来ないような仕組みになっていたことを発見した。一見、嘘や詐欺ではなく仕組みの不備の様に見せかけた非常に気分の悪いWEBサイトになっていた。当然、本社にクレームのメールを入れたが謝罪は一切ない。それは当然で、意図的にそのような仕組みにしているからで、実際その後もWEBサイトを改修していないのを確認している。その会社の社長がその実態を知ったらどうするのだろう。興味深い。その新聞社のためにも社長に直接お知らせした方が良いかもしれないと思う今日この頃です。

2021年6月14日 歯医者と苔玉

今日は歯医者へ行った。駅中になる非常に良心的な歯医者さんで安心出来る。その帰り道、駅中に期間限定で苔玉が売っていた。珍しくとてつもなく魅せられ、眺め入ってしまった。その場で買う気にはなれず帰宅したのだが、気持ちは苔玉に飛んで行く。心が部屋に置ける苔玉を無性に求めているようだ。癒されることは間違いない。今まで小さなサボテンをデスク周りに置いたことはあったが、苔玉は無かった。メンテナンスも簡単らしい。とっても欲しくなっている。物欲が無い私としては非常に珍しいことで自分自身笑えてしまう。

 

2021年6月27日 海外旅行に行ける日を想像する

そういえば海外旅行に行けなくなって、どれくらい経つだろう。2年近く行っていない状況だ。現在では国内旅行ですら出来ない。旅行はかなり気分転換になっていたのだと痛感する。移動出来ないと同じ場所で同じ日常を過ごすので鬱々としてくる。

今日の天気は曇り、暑かったり涼しくなったりと変化のある一日だ。休日らしく来週からの授業準備と研究、仕事準備をしている。今最も行きたい海外は、やはり韓国だ。馴染みの店で食事をしたいというのが真っ先に浮かぶこと。二番目に行きたい国は、台湾だろう。こちらも馴染みの店、その味を想像してしまう。鼎泰豊に行きたい!本当にコロナの終息を祈っている。

オリンピック開催よりも、個人的にはコロナ終息です。

2021年7月20日 2つの仕事(研究とコンサルティング)

私の2つの仕事はリンクしているが性質は全く違う。研究は最終的に論文などでオープンに出来るものであり、そうすべきものだが、コンサルティングは極秘であり、最終的にも極秘である。研究は研究費はかかるが利益は得ないもの。コンサルティングは基本的に時給単価で利益を得るもの。毎日2つの世界を行き来している。私の仕事は全部で3つあり、もう1つは教育だ。

しかし行き来しているのは前者の2つで、3つめの教育は行き来というよりは別領域に当たる。というのは教育対象の大学生が主体の世界なので、私はそちらに出向く感覚なのである。この絶妙な三位一体がもたらしてくれる気付きの効果は大きい。

2021年8月3日 怪談より恐ろしい話

夏と言えば怪談。近頃は夏でなくてもyoutubeで怪談話を聴ける時代になりました。ところが私は怪談は好きなので恐いというよりもエンターテインメントと捉えています。それよりも遥かに恐ろしい世界を知っているから怪談は余興、楽しみです。

さてその恐ろしい世界とは、学術の世界です。学会に所属して学会発表を経験した者であればその深淵を垣間見たことがあるでしょう。私の学会デビューは長年のサラリーマンを経てからの遅いデビューのため、学会のルールを知らずに大いなる恥をかいた経験があります。しかもその発表、研究助成金を獲得した研究発表のため当然チェックは厳しく、私の浅い研究発表で某大学の発表場内が騒然となり、質疑応答で厳しい罵声が飛んできました。仕事では数えきれない重圧プレゼンテーションを潜り抜け、それなりの実績を上げてきた私でも学術の世界は全く勝手が違う。通用しないのです。私は新参者でしかない。学術界とはこれ程までに恐ろしいものかと。もはや立っている気力も失った私は某大学から自宅までタクシーに乗って息絶え絶えに何とか帰宅したことを憶えています。それで事は終わった訳では無く、その時は中間発表だったのでもっと大変な最終発表を控えているのです。そのタクシーの中で最終発表をどうするかを考えるだけで鬱々とした暗澹たる気持ちになりました。地獄に落ちた心持でした。そして更に怖いのは、翌週会社に出社すると普段はあまり関係のない先輩社員が私を訪れてきて、例の学会発表の件を話し切り出しました。

その内容は電通出身のOBが某大学教授として学会に参加しており、私の発表を聴いていて心配になったと。このままでは恥ずかしいのでその先輩社員に私の研究発表を見るように頼まれたとのこと。話を聞いている途中で背筋が寒くなりました。その先輩社員は私と仕事上の関係など無いのにもかかわらず発表論文の精査を手伝ってくれるとのこと。ある意味監視役です。電通という会社のメンツ、ブランドを傷付ける訳にはいかないので監視網の守護神達がお出ましになったのです。また、今ではその学会の重鎮で在られる某教授も参考となる先行研究のリストなどを送って下さりかなりの手厚いサポートをいただきました。逆に言えばそのような重鎮の方々から支えてもらわねば恰好が付かないレベルだったと言えます。重鎮教授のリストを持って会社を抜け出しては東大図書館に入り浸り何とか発表資料を作成して行きました。実は私の他に、共同研究者として名を連ねていた後輩社員が居て、彼とも入念に打ち合わせをして最終発表に備えました。もちろん先述の先輩社員も事前チェックをしてくれています。最終発表は休日にも関わらずその先輩も列席していただき、非常に恐縮しました。しかし無事に最終発表を成し遂げ、肩から重責を下ろせたのですがその後にも学会誌に論文として掲載するためにかなりの修正、やり取りを重鎮教授とさせていただくことになりました。いやー、今想い出しても冷や汗です。これ以上の恐怖と重圧を感じたことは無い。しかしそれで懲りるどころか今も複数の学会に所属して、いずれ重圧を背負うことも多々ある状況になっています。マゾですね。そうでなければやってられません。マゾっ気があるから世の中進化するのだと思います。サポートする方々も凄いですよ。そこまで分からない人に学問のためにサポートして下さるのですから。だから恐ろしいのです。それに応えなければならないのですから。

 

2021年8月31日 ウェブ解析とマーケティング

ウェブ解析におけるユーザー数、平均滞在時間、直帰率などは人間の健康診断で言う血圧や血中コレステロール値のようなもの。つまり健康を判断する基本的な数値と考えられる。なので企業や組織はオウンドメディアである自社WEBサイトの基本的な数値をモニターしておく必要がある。しかしこの基本が出来ていない企業、組織は非常に多いのが現状。これは3年前から言っていたが、まだまだ進んでいない。企業や組織の経営判断にオウンドメディアの診断がリンクするべき現状の理解が進んでいないのだ。逆にその理解があり、実行している企業や組織は優位に立てる。しかし言うことは簡単だが、既存のビジネススタイルからデジタルマーケティングシフトするのが難しい場合が殆どである。理由はデジタルマーケティング人材が居ないか少ないからだ。私自身がデジタルマーケティングコンサルの本格稼働を始めたのが昨年からだが、仕事が増えて行くのを感じている。本当は複数企業さまを集めて講演をして行きたいくらい。いづれそのようなことになるだろう。

2021年9月9日 恐いもの見たさ

最近自分のことで気付いたことがある。自分の仕事の最大のモチベーションが何か、ということ。「お金」ではない。「お金」は仕事の内容と自分の実力に応じて自然に返って来るもの。「お金」を気にしてする仕事に良いものは一切無い。

私は怪談が好きなのだが、実はそれと同じで「恐いもの見たさ、聴きたさ」がモチベーションになっていたと気付いた。

仕事は結果をださなければならない。それが難しければ難しいほど解決するための仕事は困難を極める。解決出来なかったらどうしようという恐怖が付きまとうのだ。研究も全く同じ。研究はもっと恐いとすら思う。何故なら誰から頼まれる訳でも無く自主的に行うものだから。それが何にもならない内容だったら自分は何をしているんだということになる。常に自分が恐怖と対峙していることを望んでいる。その恐怖を乗り越えるために武器を探し、身に付け、試している。コンサルティングも教育も研究も全て同じと言える。

 

2021年9月19日 後期授業準備が佳境に入る

8月から後期の授業準備はしていたのだが、いよいよ直前に入って準備を加速させている。特にマーケティングの授業は教科書が無いため全てオリジナル資料となる。と言ってもオンライン授業が基本なので授業時間全てを講義的にすると学生も教員も集中力が持たない。当然、講義スタイルと、その後の議論、質疑応答スタイルに分けられて然るべきだろう。大学におけるマーケティングの授業は私としては初めてであり、非常に望んで実施したいと思ってきたことである。非常に楽しみであり、準備が大変でもある。

2021年9月23日 授業開始準備が続いている

授業の資料を作成していると腰痛が酷くなってくる。座り続けているから当然だろう。今日は良い天気だった、と思う。あまり外出していないが。本当に腰痛が酷いので入浴剤を買い込んできた。入浴剤は腰痛にとっては気休め程度にはなる。研究やコンサルティングでは相変わらずウェブ解析が求められる場合が多い。今でもウェブ解析での新しい発見があり、毎日が勉強だ。世の中の変化が激しく、消費者の変わり身に企業(大企業も中小企業も)が着いて行くのは至難の業。しかし時には日清の合体ヌードルの様に自社製品を合体させて新商品を創るようなとんでもなく斬新なことも起きている。昔では考えられない突飛なアイデア。しかし日清独自に開発したというより、SNSで別々のカップヌードルを混ぜ合わせて食べることが話題になっていたらしい。消費者からの発想を企業が活用したのだ。良いコラボレーションだと思う。こういうクリエイティブやイノベーションは分析そのものからは出ない。別の力でジャンプしなければ出来ないことだ。

 

2021年10月17日 日本酒 伯楽星

お酒を殆ど飲まない最近ではあったが、初めて入った蕎麦屋で飲んだことの無い日本酒が幾つも並んでいた。直観的に美味そうだったので注文してみた。伯楽星という原料米が山田錦の日本酒が大当たり。その次に選んだ日本酒も大当たり。この蕎麦屋、日本酒のチョイスが凄まじく素晴らしい。肝心の蕎麦は普通だった。しかしまだ飲んでいない日本酒が飲んでみたいので何度も通うことになるだろう。しかし久しぶりに飲んだので、その後直ぐに寝てしまった。さて話題を変えて、私の勤務する長岡造形大学をGoogleトレンドで調べてみると「長岡造形大学 入試」での検索が750%増加している。また「長岡造形大学 偏差値」でも180%検索増加している。入試シーズンを迎えて長岡造形大学への世の中の関心が高まっているようだ。検索件数が多い都道府県はトップから新潟県、長野県、群馬県、富山県、大阪府という具合。まあ近隣の順当な結果になっている。

公立の大学は公立であることがブランドであり、その次に地理的な合理性で選択される傾向がある。そこから先は非常にパーソナルな感覚で選択されていくだろう。例えば「長岡」という言葉の響きや、土地のイメージから得られるインスピレーションなどだろう。縁や運も関係してくる。

2021年10月20日 部屋の暖房を入れた

寒くなった。今日は暖房を点けた。外は轟々と風が吹き、雨も降っている。午前中の内に大学に行くが、それまでに部屋が寒いので暖房を点けた。久しぶりの暖房は、やはり暖かく欠かせないものだ。再来週にはデジタルマーケティングEXPOが幕張メッセで実施される。最新情報を一気にインプットする良い機会だ。出張申請を出さねばならない。今週は諸々の準備が多い週である。気温が下がってきたので体調には気を付けるとしよう。

 

2021年10月26日 旅行申請を提出 週末幕張メッセへ!

出張申請と言わず、旅行申請と言うのは何か旅行に行くような響きで後ろめたくなってしまう。Web&デジタルマーケティングEXPOは大いなる新情報の宝庫だと思われる。授業のネタを大量に仕込むことが出来るだろう。この機会を逸してしまったら

非常に勿体ない。何とか今週末に行く予定を組むことが出来た。現在は緊急事態宣言が解かれているから行けるが、次にコロナの第6波が到来したら再び出張出来なくなる。行ける時に行くしかない。その他にもやることは沢山ある。特に毎週ある授業のために、資料を作成する毎日である。

2021年10月31日 10月最終日、寒い時期になりました

10月29日の出張での幕張メッセは久しぶりだったが、懐かしくもあった。何度も幕張メッセは行っているが毎回収穫が大量にある。今回も資料を収集するだけではなくマーケティング会社さんへのヒアリングを実施することで、最新のマーケティング事情を確認することが出来た。また各社のマーケティング上の弱点も確認することが出来た。結論から言えば、最新のマーケティングテクノロジーで情報を収集出来ても最終分析と実行判断は人間がする点である。AIが分析まで実施してくれるサービスまであるが、それを実施すべきか否かは人間の判断になる。つまりAI分析が正しいか、正しくないか、実施すべきか否かは良し悪しが分かる人間が居なければ出来ない。それが出来る人材を育てられるかがマーケティングのアキレス腱であることにどれだけの人が気付いているだろうか。そのようなことを確認しに行ってきた甲斐があった。幕張メッセの様子はコロナ禍になってから初めて見る程の大人数が繰り出していた。以前の幕張メッセと全く変わりない様子。圧巻だった。コロナはこのまま終息していくのか、またぶり返すのか?全く見当がつかない。デジタルマーケティングビジネスに関しては、どんどん加速して熱くなって行くことを確信した。

 

2021年11月7日 誕生日を迎えて、私が数えなくなったもの

生きていく上で、私が数えなくなったものがある。年齢とお金だ。その代わり年齢とお金以外のモノゴトを数え、計算し、分析し、設計するようになった。人生における達成すべき項目、目標値、計画、達成までの期間などだ。世の中の人々は私よりも年齢やお金のことを気にしているように感じる。年金のことや終身雇用のこと、老後資金などが話題になっているが、私にとってはそれらがとても不思議なことに感じる。何故なら長年生きてきて、それなりのスキルや実績があればそのような心配はいらない筈だから。特別高度なスキルや実績のことを言っているのではない。普通に生きていくためのスキルや実績のことを言っている。人間、生まれた時は裸一貫だが、生きていれば何かしら蓄積していく。何も心配することは無い。

今持っているモノが自分の全てだ。それを見つめて自分らしいと思えれば十分だろう。当然、持っている能力を進化させ続けるのが生きることだと思っている。

2021年11月14日 卒業研究の中間発表が終わった

年内、大学での大きな行事は、4年生の卒業研究中間発表だった。それが11/13(土)に無事終了した。その準備の大変さはかなりのものだった。当日は学生の発表を聴き、講評をしたのだが、学生の進歩、頑張りからエネルギーを貰えたと感じた。私としては学生の成長は楽しみであり、喜びである。日本の未来、将来の可能性を見せて貰っている。このような行事からだけでなく日々の授業からも学生の可能性を感じている。ありがたい人生だと思う。学生に感謝したい。それと共に、毎日お世話になっている教員の先輩の方々、同僚の方々にも本当に感謝している。会社員の時代には若者を育てることが出来なくなっていた。会社組織の限界と、資本主義経済の限界が若手の成長を阻む現実を嫌と言う程見てきたからだ。そして大学の場には可能性があると踏んで飛び込んで来たが、それは正しかった。若者達がそれを証明してくれている。私は若者達に必要とされる人材で居られるよう日々研鑽を積むのみ。学生達には自分の得たものの全てを注ぎ込み、そして共に進化して行きたいと思っている。

 

2021年12月4日 芥川賞作家であり、先輩の新井満さん亡くなる

まだ私が大学生の頃、電通クリエーティブ塾1期生として毎週土曜日に現役電通社員から講義を受けていた。その現役社員講師の独りに芥川賞を受賞したばかりの新井満さんが居た。塾生の皆に芥川賞でいただいた懐中時計を廻して見せてくれたことが今でもハッキリと想い出せる。その後、私が電通社員となり世田谷区に住んでいた頃は新井満さんと東急東横線で一緒だった。小柄で痩せた印象の方ではあったが、一度話し出すと声の力と意志の力が静かでとても強い。そのような独特な方だった。小説「尋ね人の時間」や「ヴェクサシオン」は共にその時代と電通を感じさせる作品だった。彼は大衆の時代から小衆、個衆の時代になると80年代から言っていたそうだが、実際それは当たっていた。バブルの時代に引き算の音楽エリックサティを紹介していたことも強烈な印象を残している。未来を予感できた人なのだろう。その新井満さんが最後に感じていた未来は、一体どのようなものだったんだろうか。新井満さん、新潟の出身である。合掌。

2021年12月8日 今年がそろそろ終わりに近づいている

雪はまだ降っていないものの、かなり寒くなった。毎日学生のアイデア、作品からエネルギーを貰っている。健全なエネルギーを毎日浴びていると身体が健康になるようだ。夜更かしなど出来ない健康体になってしまう。日々エネルギーを完全燃焼している。学生を見ていると不思議なもので私自身の学生時代を想い出す。私はかなり怠け者の学生だった。大学の手前の本屋でさんざん立ち読みをして満足し、教室には向かわず帰宅するような毎日だった。そのような私が就活の時期を迎え覚醒した。不思議な運も作動し始めた。大学の就職課に行くと1枚のポスターが貼ってあった。「電通クリエーティブ塾1期生募集」

即刻、応募して面接に呼ばれ合格。以後数カ月間、毎週土曜日に無料で現役電通社員の講義と実習を受けることになる。同時にマスコミ企業を知るために始めたテレビ東京でのアルバイトは偶然にもテレビCMのつなぎ順番が正しいか目視で確認する進行課の仕事だった。来る日も来る日もテレビCMを眺めて確認する生活。テレビ東京の子会社の社員の方と席を並べて少し雑談をしながらの仕事だった。その社員の方はYさんといって良く面倒を見て下さった。Yさんの彼氏もバイト仲間で一緒に食事などしたものだ。良い人達だった。私は毎週の電通クリエーティブ塾の課題を寝る間を惜しんで考え、締め切り直前にバイト先のテレビ東京からCMの絵コンテや商品のコピーをFAXで電通に送信していた。誰にも見つからないように送っていた。テレ東のCM進行課には電通のOさんが出入りしていた。身近にいた電通マンだったのでOB訪問させていただいたが上から目線の態度で良い印象ではなかった。バイトの大学生が受かる筈がないと思っていたのだろう。このOさんの態度は今でも忘れないものだ。若者は未来なのだ。未来を大切にしない者に未来は無い。

2021年12月15日 仕事(≒研究)が複数件決まる

10月、11月、12月が忙しいとその次の年も忙しくなるのはお決まりのパターンであるが、今年の年末もそれが加速している。これは予想通りだった。中小企業の仕事はデジタルマーケティングを必要としている。広告も必要だがそれに伴うデジタルマーケティングは必須。デジタルマーケティングは仕事で身に付けるしかないジャンルのことなので、普通の人は分らなくて当然。だから需要は伸びる一方である。そしてデジタルマーケティングは実践しなければ実力が付かない。基本的なデジタル広告の運用はその最たるものだ。どれだけ仕事(≒研究)や授業が忙しくなっても、朝3時から起きていれば全て片付く。朝3時から早朝の6時まではゾーンに入って仕事が捗るマジックタイムなのだ。それを知っていれば普通の人の倍以上の仕事が簡単にこなせるようになる。そして実は睡眠も深くなるのだ。個人の能力はカスタマイズ次第でいかようにも進化させることが出来る。

2021年12月18日 窓から富士山が見える

今日は寒い。空気が澄んでいるせいか富士山がハッキリと見える。雲一つない。今日はオペラシティホールのアートギャラリーにて「和田誠展」を観てきた。圧倒的な仕事量。80代まで現役の仕事スタイルは理想であり目標だ。展示はあくまで和田誠前仕事のほんの一部であろうが、それにしても途轍もない量の展示だった。ここまで大量の作品を観る個人の展示は初めてだった。自分の人生の55年が、和田氏の仕事期間に吞み込まれていた。どの作品も既視感があるのは、実際にリアルタイムで見た事があるからだった。本の表紙から映画のポスター、映画、エッセイ、作詞作曲、ありとあらゆる仕事を手掛けている。ここまでくると才能を感じるより運命や宿命を感じる。どのように生まれ、何をして、死んでいくか。そのような一人の人を感じた。同時にそれは、例え和田誠氏のように有名人でなくとも、皆に共通なことだ。

2021年12月26日 仕事納め。年内最終日。

年内最終日は、長岡にてイルミネーションの設営をする。よりによって豪雪の日と思いきや、それ程でもなかった。まあ年内最終日に相応しいと言える。今年も急ぎ足で駆け抜けた1年だった。得られるものは多く、サラリーマン時代は遥か昔の記憶になった。先日、新橋を散策してきたのだが大昔の感覚だった。まるで前世の記憶の様な気がした。それくらいサラリーマン時代が遥か彼方に過ぎ去ったのだ。来年の目標は研究成果を出すこと。つまり論文の生産だ。これを来年から集中してやり遂げる。ここに宣言しておこう。研究とその発表無くしては人類は発展できない。それが文系だろうと理系だろうと同じだ。特にマーケティングジャンルは学問的には未開拓過ぎる。これは仕事をしていないと研究も出来ないからなのだ。仕事をしないでマーケティングを研究するというのは、まず無理な話。従って実践的な仕事と研究は両方を同時に遂行せざるを得ない。

2021年12月27日 個人の能力と、適正時給と、可処分時間の黄金比

一般的に「幸せ」とは個人の能力を高め、それに応じた収入を得て、十分な可処分時間を保有していることである。これがサラリーマンだと毎日会社に拘束されるため可処分時間が著しく減ってしまう。そして適正年収の概念は一般的な能力を持つ人であれば雇う企業側から適正年収を判定される。一方で能力が高く自営で収入を獲得する者は自分の適性時給を知っている。そして必要な分を働いて獲得し、可処分時間を有効に活用できるのだ。日本人は歴史的にも間違った価値観や道徳観を学校で詰め込まれているため個人の適性時給を追求する考え方の人が少ない。能力を上げれば年収が上がると言うのは凡人には当てはまるが、能力の高い人は会社の内部留保に能力分が貯められるだけで搾取され続ける。従って自分の収入は自分で獲得する価値観が必要となる。また、それ以上のお金や資産を得たければ、お金を増やすための勉強を仕事以外でしなければならない。いくら仕事能力が高くても、それだけでは多くのお金を得て大きな資産を築くことはできない。せいぜい他の人と比較して少し多くを得るくらいだろう。多くの現金と資産はユトリをもたらし、下らない人間関係に怒りが湧くようなことが皆無になる。そして贅沢の源はお金ではなく「自分だけの時間」だ。私の場合、研究時間がそれに当たる。自分が求める仮説を検証するための研究をするのみ。資本主義的な利益追求の必要性は全く無い毎日となった。

2021年12月29日 2022年の香りがする

2021年が古く感じる今日この頃。今年の終盤を感じているのだ。働き方や価値観が、ここ数年で激変している。その激変に自分は適応出来ている。これが大企業のサラリーマンのままであったらあまり変化を感じていなかっただろう。人生80年以上と考えるならば、この激変を感じて変化する能力を高めておかなければビジネスマンとしては劣化するのみ。研究者としても然り。全く役に立たないことを研究しても自己満足でしかない。自己満足部分以外の真の価値を追求をしている者同士は、互いに分かる。それは仕事でも研究でも同様に分かる。最高に嬉しいのはそのような同士に出会った時だ。2021年は何人かの同士に出会え、非常に実りある1年だった。

 

2022年1月2日 2022年となりました

今年の抱負は昨年以上に全力疾走すること。そして今まで以上に多くを得ること。昨年は日本各地とのお仕事を相当数こなすことが出来た。今年はそれ以上に各地に貢献したい。年末年始はさいたま市でゆっくりと過ごした。幸せなひと時であった。

毎年、このような年末年始を家族で過ごせることは素晴らしく感謝すべきこと。周りの関係者の方々のお陰である。その感謝の気持ちを日本の発展、地方創生へ貢献することで返していきたい気持ちを新たにした。特に研究活動では自分にしか出来ないテーマをやり遂げる決意をした。昨年の活動から目指しているテーマは複数あるのだが、最優先テーマは絞り込めた。

後は健康維持に注力する。

2022年1月4日 仕事始め

本日から仕事の本格稼働を開始した。明日からはエンジン120%で動き出す。今日は色々なアイデアが湧き出てきた。アイデアとは勝手に沸き起こってくるものだ。何%が実現するか分からないが、実現しなかったとしてもアイデアが沸き起こったこと自体に意味がある。そしてその幾つかは有り得ないことに実現したりもする。また何年後かに実現する場合もある。仕事はいつでも緊張感を伴い、気が休まらないものではあるが一方で開始してしまえば気が晴れて乗って来る。今日は明らかにスタートした感じがする。そのせいで外出してアクティビティが上がっている。現在いつものカフェで書き込んでいる。欲しい本も複数冊書店で見つけた。この後におそらく買うだろう。とにかく良いスタートが出来た良き日である。

2022年1月29日 若者は若いだけで優秀

そう思っている。若いだけで優秀という意味を是非、若者達に分かって欲しい。この事実に気付いている人はどれだけいるだろうか。あまり聞いたことが無い話だが私の中では長年を通じた真実だ。若い人の感性、感覚、知識はその時に重要な意味を持つもので、それが数年間蓄積されて独特な価値観を形成する。年配者は経験や実績で若者を凌ぐ部分があるが、その優位性は年々少なくなり、劣化速度は加速している。年配者に求められるのは若者の感覚を出来る限りキャッチアップし、若者達とコラボレーションしたり、若者達に彼ら彼女らの素晴らしい価値を気付かせてあげることだ。先日テレビで、若者達の価値に気付き会社を起こしている頼もしい若者を紹介していた。それはギャルを大企業の会議にブチ込むというサービスだった。忖度0%のギャルたちをお堅い大企業の打ち合わせに派遣して柔軟な思考の打ち合わせを展開させるという素晴らしい内容だった。そこでは大企業社員の肩書などは関係なくギャル達からあだ名を付けられて打ち合わせがスタートするのだ。未来は限りなく明るい。

 

2022年1月30日 雪が降っている

寒い。雪が降り続いている一日だった。雪の風景は決して悪くないどころか、むしろ美しいと思っている。耐えられない程恐っている訳では無い。もし自分が南国の土地の大学教員になっていたらどうだっただろう。もう少し外出する生活を送っていただろうか。いや大して変わらないだろう。どこに住んでいても生活スタイルは変わらないと思う。ニュースを見ていると

北京オリンピックの話をしている。新型コロナ対策は大丈夫なのだろうか。パリオリンピックの話も出ていた。テレビの報道を観ていると支離滅裂な感じがしてしまう。

2022年1月31日 定期的なチェック

定期的に銀行口座やクレジットカードの使用状況、航空会社のマイレージなどが不正使用されていないかを確かめている。

クライアントとの取引情報も含まれるため不正アクセス、不正使用には厳しく目を光らせる必要があるのだ。すると某航空会社のマイレージのポイントが2019年に中途半端な数字で引き落とされており、しかもクアラルンプールへのチケットを購入してその後キャンセルになっていた。不審に思って某航空会社に連絡してみると、確かにWebからチケット購入し、その後電話にてキャンセルした形跡があると言う。コロナ出現の直前であるがクアラルンプールに仕事でもプライベートでも行く予定は全く思いつかなかった。そこで過去のブログを遡り、その近辺を探って思い出した。その頃、私は新規事業でスタートした子会社に出向していた。そこで急遽マレーシア出張が発生したのだが、ある理由で私は行かなくなったのだった。

2年以上前のことですっかり忘れてしまっていた。行かなくなった理由はとても想定外の事が起こって出向先から本社に戻る事となり、更には退職を決意するに至った出来事だった。それくらい当時は大ゴトだったのだが年月はそんな大ゴトすら忘れさせる。いや最近が忙し過ぎるのかもしれない。憶えておかなくて良い事は自然と忘れてしまうものらしい。

 

2022年2月3日 寒さ故、疲労もピーク

かなり疲れが溜まっている。疲れているから文章が出てこない。ここまで疲れているのは珍しい。尋常ではない忙しさだから仕方ないのだが、それにしても度が過ぎている。こういう時は、深呼吸をして暖かい飲み物をゆっくりと飲むのが良いだろう。このような自分の意志でコントロール出来ないようなスケジュールの2月は、自分の人生において2度と来ないと思う。

何故なら、そう思った事で2度起きた事は無いからだ。不思議だけれど。

 

2022年2月6日 長岡市長 磯田さんのブログで紹介される

長岡アオーレで実施中のイルミネーション事業が長岡市長の磯田氏のブログで大学紹介の流れで紹介されていた。

https://nagaoka.rulez.jp/designer-for-newworld/

色々な方々に観ていただいているようで、非常に嬉しく感じている。同時開催のフォトコンテストに関しても今後の応募が期待出来る。年度末まで実施しているので、気を抜かず、最後までベストを尽くしたい。大学でも大きなイベントである卒業研究発表をこの土日で実施している。これも大変な気合が入るものでエネルギーを使っているが同時に学生の魂からエネルギーを貰ってもいる。

2022年2月13日 卒研発表が終わり、卒展がオンライン開催

卒研の発表は一大イベントだが、それが無事に終了した。その準備の大変さはかつて味わったことが無い。複雑さと対応すべき量が半端ないのだった。オンラインでの卒展風景を動画でアップする作業も発生した。その仕事を学生達が非常に良くやってくれて感動したものだ。卒研幹事は今年までなので来年度のことを考えると何よりも先に浮かぶのは研究成果を出すこと。つまり論文を書くことだ。大学教員になってから2年間、初めてのことだらけで多忙を極めており、論文が1本も書けなかった。最終的に論文の成果に落とし込めなければ研究者としての価値はゼロのままである。一方で論文は書けなかったが学会活動はオンライン故に何度も参加することが出来、質問も良くしたものだ。そろそろ対面での学会が開催されそうで期待している。

2022年3月10日 ウクライナ、ザポロージェの記憶

ちょうど30年前のゴールデンウィークに私はウクライナに居た。私は26歳。友人を訪ねて行ったウクライナの都市はザポロージェと言う聞いたことの無い都市だった。それが現在、毎日ウクライナという名をニュースで聴き、ザポリージャの原発が攻撃されたとニュースが流れている。ザポリージャはウクライナ語であり、ザポロージェのことである。30年前の記憶は鮮明に残っている。私の知る限り、全くの別世界として理解できない程の国だったからである。滞在日数は11日程だったので、とてもその間に理解できるような文化、習慣ではなかった。そこで起きた幾つもの出来事は一生忘れられない事ばかり。一方で、まるで違う国でありながら日本人との共通点もあった。ウクライナ人達の厚過ぎるほどの義理人情、ホスピタリティは昔の日本かと思う位であった。そのウクライナがロシアに攻撃されている。今、自分があの土地に居たとしたらどうだろうと考えてみる。それが祈りのような気がしている。当時、ロシアに旅行する場合は滞在場所を指定して行かねばならなかったためモスクワ市内の国営ホテルを指定していた。モスクワのシェレメチェボ空港に到着すると友人のディアナが迎えに来ていた。ディアナ曰く、「これから電車でウクライナに行くわよ」と。私のパスポートにはウクライナのビザは無い。そのことを伝えるとディアナは私に着いてくれば良いと言い、私達は空港からタクシーに乗り戦後の上野駅の様なボロボロの駅に到着した。そこには片腕や片足の物売り達が使い古した靴や自宅から持ってきた食料などを売っていた。その時点で絵本の中の物語の様に事が進んで行き、現実感が色褪せて行った。異世界に入り込んだようだった。そして夜行列車に乗りザポロージェまで16時間の旅が始まる。私達は狭く薄暗い寝台列車のコンパートメントで向かい合い、ディアナはとりとめのない長い話をし、私はそれを延々と聴いている。夜中は寒かったが朝になり陽が昇るといくらか暖かくなってきた。更に陽が高くなると暑くなり眠気がやって来た。どれくらい経っただろう、ディアナも静かになった。すると突然、口の中に鉄の匂いがして暖かい何かが充満した。俯くと鼻から血が滴り落ちた。その時に電車の窓に見えていたのは下部が広がった巨大な円柱形の建造物が複数、つまり原子力発電所が聳え建っていたのだ。その原発は現役で稼働して湯気が出ていた。私を見たディアナは「ウクライナにはチェルノブイリがあるから私達は既に被爆している」と言う。稼働していたその原発はチェルノブイリではない別の原発だ。私は何故か、被爆の恐ろしさより放射能が国を超えて人々に影響することで地球との一体感を感じたのであった。その時の感覚を今一度、想い出している。

2022年3月17日 地震、戦争

長岡の夜中に地震が発生。その揺れ方、11年前の大地震と似ていた。当時、東京の電通本社で味わった震度5強、それと似た感覚の揺れと長さだった。震源地は福島沖、やはり11年前と同類か。ウクライナとロシアの戦争は終息に向かっているとのニュースあり。そうであることを願う。小学生の頃、テレビ画面にベトナム戦争風景が映し出されていたのを観て現実に戦争が起きていることを感じ、驚愕したものだ。それと同じ様な事が再び起きている。そしてこれだけテクノロジーが進んだ近代戦であっても現実の戦闘は古くからの地上戦がメインという不思議さ。全ては人間性ゆえ。生きている寿命の間にどれだけ人間性を高められるのか。プーチンの様な地位、財産、権力を得ても、戦争を起こしてしまうのは理解出来るものではない。

 

2022年3月31日 東京への出張など

年度末で忙しさは相変わらずだが、その中で東京ビッグサイトへAnime Japan2022を観に行って来た。久しぶりのリアル開催のため入場者はかなり多かった。広い会場を歩きに歩いて有益資料を獲得し、ヘトヘトになってしまった。しかしこのようなイベントは得るものが大きい。コロナ禍であってもかなり緩和されて出張が出来るのは助かる。大学での授業や研究に新しいインプットは必須だから。4月にはマーケティングEXPOがある。これも重要なイベントだ。行かねばなるまい。

 

2022年4月1日 過去、現在、未来

当たり前になったが世の中は途轍もなく便利になったものだと思う。そのような途轍もなく便利になったモノゴトは尋常ではない程存在している。ほんの少し事例を挙げてみる。昔は本屋があちこちにあって、本好きの私は漫画から雑誌から真面目な本まで良く立ち読みしていた。本屋に居ると2時間くらい過ぎてしまう。大学生の頃は大学までの途中に芳林堂と言う大型書店があり、そこで立ち読みして体力を使い果たし大学へは行かずに帰ることが多々あった。それが現在ではアマゾンのおかげで立ち読みという行為をするまでも無く自宅で寛いだ姿勢で試し読みが出来る。当たり前と言えば当たり前だが、本好きの私としては至福を感じてしまう。日常に潜んでいる細やかな至福、UI/UXは気が付けば沢山あるのだ。この現在が未来になれば更に便利で心地よいサービスが生まれるだろう。未来は明るいとしか思えない。そんな4月1日。春です。

2022年4月9日 出張で東京に滞在中

昨日は東京ビッグサイトでデジタルマーケティングEXPOに出張で参加してきた。予想通りに多くの出展社があり資料も大量に獲得出来て満足している。有益なマーケティングサービスがあれば、全く使い勝手の悪そうなものまであり非常に勉強になった。展示場は広大なので1時間半も歩き回りヒアリングをし、資料を貰い続けているとかなり消耗する。2時間は居られない。
これは毎度のパターンなので90分勝負になる。私のテーマであるメディアコンテンツの有効性とマーケティングツールを掛け合わせたサービスに関してはまだまだオンラインの中だけでしか出てきていない。つまりマス広告とオンラインマーケティングツールとの掛け合わせサービスは出ていないという事だ。やや似ているのはNTTデータのジオデータプラットフォームだ。

このジオデータプラットフォームはジオデータのみならず他のデータの掛け合わせも可能なのでマス広告とも連動出来る。

といった具合に非常に有益な出張だった。

 

2022年4月13日 履修登録

私が大学生の頃、履修登録は大量に登録して気に入った一部の授業のみ参加するスタイルを取っていた。20個登録して実際に出るのは2個。あとはレポートやテストの時だけ出るのが3、4個位だった。思い出してみればノートPCが無い時代だからレポートは手書きだったのだ。当時の教授達は手書きのレポートを見ていたから嵩張っただろうと思う。その当時の私からしたら長岡造形大学の学生は真面目で誠実極まりない。大学の課題をやり、バイトもして卒業制作をする。当たり前の事だが実際にやってみれば楽では無い事は直ぐに分かる。その価値は本人たちが生きている間に必ず帰って来るだろう。間違いない。

2022年4月18日 長岡造形大学生、君たちは凄い
私の知る長岡造形大学生の全てが性格が良くて真摯で、謙虚。それだけでも才能だと思うが、企画力、デザイン力、構想力、チームメンバーとの協調性などあらゆる面で舌を巻くほど優れている。この事実は毎日彼、彼女らを観察していなければ分からない。企業の採用担当者達が他の大学生と同じ並びで長岡造形大学生を観て、気付いてくれるだろうか?もちろん鋭い採用担当は分かってくれるだろうが。私は思うのだ。もし企業側の採用担当者が長岡造形大学生の凄さに気が付かなかったとしても気にすることは無い。学んだことや身に付けたスキル、素直な性格は誰にも奪われることのない財産だから。
それを持って、その後も磨いていれば、自分に相応しい場所や、人に出会える筈だ。私は企業側を信じるより学生達(未来)を信じている。学生達の方が企業側よりも正しい事を毎日教えてもらっている。良く聴く言葉で「長岡造形大学生は自己PRが弱い」と。私も当初はそう感じていた。が、そうではないんだと確信し始めた。本当の良い資質は簡単には伝わらないものだ。良いモノ(者)を見極めるにはそれだけ良いモノ(者)を知らなければ評価できないのだから。採用試験の自己PRで伝えられる範囲を超えた深さ、中身を長岡造形大学生達は持っている。企業側採用担当の許容範囲を超えている。この様子だと私自身がその説明のために学生と共に、彼、彼女らのために就活する日も近いかもしれない。冗談抜きで!!ただし、学生側が「先生止めて下さい!自分だけでやりますから!」と一言あれば素直に従うのみ。ああ、この私がもっと長岡造形大学生の凄さ素晴らしさ、とんでもない価値がある事を言いたいPRしたい。この気持ちで胸を焦がしている。

 

2022年4月19日 長岡造形大生の自己肯定感を高くしてあげたい

自己肯定感とは自己が肯定することなので、他人がどうこう出来る問題では無いのかもしれない。しかし、私は価値ある長岡造形大生に何としても自己肯定感を高く持って欲しいと思っている。長岡造形大生は外部のコンペなどに参加して受賞したりするのだが、それくらいでは自己肯定感を高く持たないくらい謙虚なのだ。私が自己肯定感を上げる催眠術を習得すれば良いかもしれない。長岡造形大生と自己肯定感の関係、これは卒研のテーマとしては十分にあり得るものだ。長岡造形大生はどんな時に自己肯定感を得るのか、あるいは失うのか非常に興味深い。これは研究しなければならないと思っている。

2022年4月23日 人の自己肯定感を高くしてあげたいと言うのはオコガマシイ事だと痛感した

上記で長岡造形大生の自己肯定感を高くしてあげたいと書いたが、とんでもない勘違いだと自分で思った。というのも学生と話していて教えてもらい気付けたことがある。それは学生はアート(デザインではなく)を志して何度も作品を考え、壊し、創り直しといった訓練、生活を送っているということ。アート作品を作る上で自己肯定感を何度も打ち壊し再生、創造を繰り返す作業が脳内のある種の構造を作っているから自己肯定感が低くなりがち。これがたまたま就活において自己PRが弱く見える現象を引き起こすが、だとしたらそれは悪いのか???一般的就活のフォーマットでは長岡造形大生の良さを浮き上がらせることができない。それは長岡造形大生が悪いのではなく、就活フォーマットにイノベーションが全く起きておらず、本当の意味での学生の資質を理解し、企業側とマッチングできるプラットフォームが無いことを意味しているのではないか?

そう感じ始めている。とはいえ、就活戦線に長岡造形大生が慣れているかと言えば慣れていない。百戦錬磨の都会の大学生の慣れ具合と比較すると厳しい局面はあると思う。戦場での場数に関して長岡造形大生は戦う回数は少なくなりがち。

2022年4月27日 就活は早ければ早いほど良い。間違いない。

就活は1年生、2年生から開始すべきだと言うのが、最近の私の持論。間違いない。痛感している。忘れないようにここに書いておく。就活は1年生、2年生から開始するのが正解。大学時代に物凄く学んで優秀な学生が、就活でその力が発揮できなければ何のための学びか本末転倒。これは私自身に言い聞かせている。学生に言っているのではない。学生が自分達でそのことに気付く筈は無い。何故なら学ぶことやバイトに懸命だから。矛盾しているが仕方ないことだ。それを飛び越えるのは運だ。

もう一つ付け加えると、縁だ。この運と縁を使うにはスキルが必要になる。このスキルは、人に頼むことができるスキル。

就活に関する依頼ごとを人にして運や縁を手繰り寄せるスキル。単独で就活を頑張っていてもこれは身に付かない。そして運と縁を使えるスキルは社会に出てから猛烈に活きる。人に頼むことをしたことが無い、あるいは人に頼みたいが頼める人が居ないという状況を突破するには執念が必要だ。慶応大学の学生は慶応大学卒でない他大学OBにどんどんOB訪問を仕掛ける伝統がある。OB訪問は自分の大学OBにするものという常識を覆している。就活に人生がかかっていることを良く知っているのだ。

しかし都会の学生と長岡造形大生を比較するのは間違っている。長岡造形大生は都会の学生とは異なる良い資質を持っているから。素朴でガツガツしていない穏やかな性格は非常に良い部分だ。そこを損なわず無理をせず良い結果を出してもらうには教員がプレッシャーをかけないようにアプローチするのが良いと思っている。

2022年5月13日 学生の就活対応力

複数の学生から就活のES添削や面談対策の依頼が入ってくるようになった。ESにしてもポートフォリオにしても面談対策にしても準備すればしない場合より数段レベルアップして合格率が上がるのは間違いない。学生にアドバイスを与えると確実にレベルアップしてくるから大したものだ。長岡造形大生はやはり凄い。日頃の授業課題で鍛えられているためアドバイスを理解して反映させる能力が高いのだ。アドバイスをして期待通りに、あるいはそれ以上に返してくるのには手応えを感じる。きっと仕事をし始めたら、仕事ができるようになるんだろうと感じさせてくれるのだ。頼もしい学生達である。私のミッションはひたすら彼、彼女らに対して可能な限り有益なサポートし続けること。

 

2022年5月22日 シン・ウルトラマン

テレビ番組でウルトラマンをリアルに観た世代として、映画「シン・ウルトラマン」は5点満点中5点。私にとっては鬼滅の刃の続編にすら思えた。非常に哲学的なテーマが背景にあり現代の世相も反映していて考えさせられる。Tジョイが今までで最も混んでいた。並んでいる人の言葉から鬼滅の刃の時よりも混んでいるとのこと。凄まじい人数だったがシン・ウルトラマンは事前予約をしていたため良い席を確保できた。鬼滅の刃の時は不覚にも号泣してしまった。そして今回も想定外に泣いてしまった。ウルトラマンの生き方に共感してしまったからだ。それと科学特捜隊の基地に今は解体されて無くなってしまった旧電通本社が使われていた。旧電通本社は昭和42年に完成したからウルトラマンや私と同じ世代だ。懐かしい部屋のキャビネットや屋上の風景などがノスタルジーを感じさせてくれた。不夜城の旧電通本社とウルトラマンは似合い過ぎるくらい似合っていた。ウクライナとロシア、コロナが続く中、ウルトラマンに出てくる怪獣より現在のリアルの方がフィクションのテレビ番組や映画より恐ろしい。怖がりの私は本気で毎日が恐ろしいと感じながら生きている。長年マスコミに携わり本質を知っているだけに真実を知る人間は極一部しかおらず、それを知らないのであれば自ら調べたり、直感でおかしいと感じるしかないと理解している。皆が同じ行動を取っている状況は非常に危険な状態なのだ。映画の「シン・ウルトラマン」は正しいことを言う大人が居るというメッセージが込められていたと思う。正しいことを言う大人にならなければならない。

2022年5月26日 来年度のゼミ、研究室、就活体制の準備

モノゴトは早い準備に優るものは無い。という点で来年のゼミ、研究室、就活対策を現在から準備する。長岡造形大学に来てから3年目となり、色々と分かってきた。学生の気質も少しは理解できるようになり、何が最重要かと言うと大学や教員による「早目の準備」に尽きるということ。世間の速度と長岡スピードが違うため(特に就活速度)それに追いつき、越えなければならない。業界研究は2年生の前半から開始し、インターンは2年生の後半から始めるのが良い。学生時代からデザインなど実際の仕事を自分で請け負っている学生は面接にも強い傾向があることも気付いた。つまりバイトではなくインターンでもない企業と連携した新手の就業機会を複数回(1回では足りない。何故なら1回に影響を受け過ぎる可能性が有る)学生にもたらすことが大切だと痛感した。そこで得られる実績やポートフォリオを蓄積することができれば良い。大学ではキャリア関連の委員会に所属していることから私が「早目の準備」をしなければならない。積極的に業界セミナーや広告関連業界の就活に特化したゼミの開催などを考えてみる。

2022年5月27日 学生の声から学ぶ

学生とのコミュニケーションから学ぶことが沢山ある。最初の学びは学生の質問から始まる。この質問に答えようとするところから私の学びが始まるのだ。質問はリクエストという形を取る場合もあり、これに応えられるかどうかも私の学びになる。

また学生が声を発していない無言の時にも、それを察することが学びとなる。無言の空白にもメッセージはハッキリと詰まっている。歩み寄るべきは私からであり学生は私に気を使わないで欲しい。学生は自分に懸命でさえあれば良く、自分に都合良く時間を使って私を活用すれば良いのだ。学生を理解しようとすることが私の仕事でもある。学生への理解は簡単ではない。彼、彼女らのライフスタイルを理解しなければ思考や行動の意味が分からないから。そういった話を自らしてくれる学生もいる。その話を聴く度に驚くのだ。多くの学生は表面的に見えている部分とは全く異なる内面を持っているから。それに気付くと私は全く学生のことを理解していなかったと痛感する。長岡造形大生たちは同じ空間で同じ授業を受けていることから共通点が多い人たちではあるが、個々の個性は強烈に異なっている。個性に対する理解は慎重でなければならず尊重も必要だ。私の人生の中で学生たちとの対話、議論ができることはかけがえの無い貴重な時空間。授業の合間に幸福を感じて眩暈がする瞬間が幾度もある。幸福の理由はそこにいる学生たちとの貴重な時間には限りがあり、そこでされている対話、議論に自分の生きている証を感じるからだ。

 

2022年5月31日 5月の終わり

5月は気持ちの変動が激しい月だった。激流と言っても過言ではない。しかし激しい月を越えれば楽になる。6月は穏やかで落ち着いた日々になると予想している。毎年6月は私にとって最も素敵な月だった。今年もそうなるだろう。あと今年の後半に期待したいのは海外旅行だ。封印されたことによってどれだけ海外旅行できることが素晴らしかったかを痛感している。また海外旅行に行けなくなり国内旅行の回数が増えたことも知らない日本を知る良い機会になった。仕事でも地方のクライアント企業の仕事が増え、これも現在進行形で非常に勉強になっている。昨年6月の日記を読み返してみると現在とは全く異なる仕事をしている。クライアント企業の顔ぶれもかなり違っていた。そこからクライアント企業数を増やしたいと考え、それは実現している。仕事上1年でかなり進歩したがその先の成長は現在とは違うステージにしなければならない。サロン形式のコンサルティングでクライアント企業数を圧倒的に増加させることが次なる目標だ。

2022年6月2日 大地震の夢

夢を見た。おそらく東京のシチュエーション。自分の住んでいるマンションとは違うマンションに住んでいて、そのマンションが地震で傾く夢。窓から見渡すと他のマンションも傾いたり倒れて行くものまであった。割とリアルな夢だった。首都圏での大地震は起こると言われて久しいが、いよいよ来るのか。何が起こっても不思議はない。心の準備は出来ている。6月は長岡に住み始めた月。今年で3年目に入る。まる2年長岡に住んでいる。6月は良い季節で散歩をするだけで気分が良くなる。今日は朝から映画を観に行く予定。既に予約済み。→そして実際に観に行って来た。最近映画館で映画を観ると泣くことが多くなってしまった。今回の「トップガンマーベリック」は今年最高の映画と言えるだろう。主人公の人生ピンチの場面で決断して取った最終行動の場面に感動して泣いてしまった。まあ他にも泣くべきポイントは数か所あるのだが自分で自分の人生を切り開く決断と行動のシーンは、その命を懸けている映像に震え上がり泣いた。映画と共に人生はあり人生は映画と共にあると言って過言ではない。壮大なスケール感と前作からの時代を超えてやってきただけの奥深い映画だった。

2022年6月3日 仕事、職種、人種

仕事が人を作り、職種によって人は見分けられる。2006年頃だったか休日にとあるカフェで銀座を歩く人々を観察していたことがあった。歩いている人の年齢、恰好、雰囲気、性別などから銀座に来た目的など一瞥して想像してみる訓練だ。企画をする人間としてはターゲットのプロファイリング能力は非常に重要なスキルでありマーケティングそのものだ。

当たっているか否かは分からないが毎週続けていると分かったような当たっているような気がしてくる。

慣れると一瞬で分かるようになる(気がする)。

ある週末の午前、いつものようにカフェで10時から12時の昼前まで大きな窓から銀座を行き交う人々を観察していた。すると前にも同じカフェで見かけた20歳前後の女性が、やはり私と同じように窓近くの席から銀座の往来を見つめている。スラッとして背が高く透明感のある横顔が見える。モデルさんか?と思ったが、モデルがここまで真剣に長時間人間観察をすることはない。自分に最も関心を払っている人種だからだ。だとするとカメラマンか?カメラのアシスタントか?それにしては若いし休日に呑気に過ごしていられないだろう。斜め後ろから見ている私からはハッキリと顔立ちは分からないがハーフにも見える。海外暮らしが長いと読み取れない場合がある。店定番の和栗モンブランを頼んでアイスコーヒーを飲んでいるのは私と一緒だった。やはり目的は人間観察で頭の回転を良くするための糖分をモンブランで取りブラックのアイスコーヒーで長時間集中力をキープしている。とても軽装で飾り気の無いファッションはこれからデートではない。もしかしたら10代かもしれないが年齢の割に間違いなく大人びている。真剣な眼差しは何か仕事をしているプロで、そのために人間観察が必要なのだろう。広告会社などのマーケッターであれば調査データからターゲットを想像するし、せっかくの休日に仕事まがいの人間観察をする筈が無い。私はと言えばクリエイターとマーケッターの珍しいハイブリッドゆえ、休日の人間観察を自らに課す40歳変人サラリーマンであった。一方その女性は20歳前後。普段はどんな音楽を聴いているのだろう、と眺めているとFayrayの「Baby if,」が聴こえてくる気がした。私からレーダー波が出ていることを察知してか女性はスッと席を立って会計を済ませると出て行った。勘も鋭いし身のこなしも素早い。クノイチの様な不思議な女性だった。それから1年くらい経ち、私はとっくに休日の人間観察は止めていた。その頃テレビで若手大物俳優の結婚報道がされていた。驚いた!テレビに映っていた若手大物俳優の結婚相手の女性が、あの時のカフェの女性だったのだ。女性は当時デビューしたての女優で既に映画出演も果たしていたが私は知らなかった。

2022年6月4日 週末の仕事場

先週末は越後湯沢に居たが今週末は東京お台場ヒルトンが週末の仕事場となる。

東京が一望できるこの場所は東京湾を航行する様々な船が目を楽しませてくれる。カラフルな水中翼船が2隻水しぶきを上げながらやって来た。あるいは大型の貨物船がゆっくりと入湾して来る。船名が判ればどの国からどのような航路でやって来たか調べることができる。ただし肉眼で船名を判別することが難しいため単眼鏡を持ってくれば良かったと思う。休息と仕事の両方を交互に実施できるこのような場所は貴重だ。テレワークが一般的になった結果、割安の週末ホテルプランも一般的になり経費での活用が進む。良いことだ。

明日は早朝散歩の後、朝食を取り一仕事する予定。世の中のニュースとしては林真理子さんの日大理事内定が気になる。

2022年6月5日 お台場ヒルトンのマーケティング的失敗2点

部屋と週末プランの値段設定は良かったが、ホスピタリティの失策が2点。これは大いに痛い点だった。この2点が修正されない限りせっかくの資産(ホテルの造り、環境)があっても宿泊候補に入らなくなる。第1に強烈に悪い印象はホテルのWifiが無く、無料でWifiを使うには登録が必要になる点だ。即座に快適な滞在を求めて来る客に対して最初に登録を促すというのはとんでもない。それは登録会員数を伸ばすノルマを持った担当者の存在を感じさせる最悪施策だ。私の場合どの場所にもポケットWifiを持参するため問題は無いがヒルトンの出会いがしらのWifi問題には驚いた。そして最後に、まあ快適だったと気持ち良く

チェックアウトを済ませた客に対してアンケートの依頼をするスタッフが待ち構えていた。その目的はタイムシェアサービス説明会への勧誘だった。満足して帰ろうとする客に対して最後にホテル都合の営業をかけるとは、これまたホスピタリティ

精神が崩壊している。このように到着直後に入口にWifi登録を促すポスターを掲示している点、最後にアンケートと称してタイムシェアサービスの勧誘を行う方針は最初と最後で最悪の印象を与える内容だった。

その2点とも担当者のノルマ達成都合によって客の時間と気持ちを奪う内容であった。素晴らしいサービスは逆に客の素晴らしい時間を増やし、その後も想い出して楽しめるものなのだ。部屋が素晴らしいだけに運営方針が酷いのは残念。ホテルのホームページから改善点としてお伝えしておこう。→何と!ホームページにメッセージを受け取る仕組みが無い!初めから聞く耳を持っていない構造になっている。ある意味納得した。顧客都合を配慮しない方針だと良く分かる。つまりホームページを見て顧客からの意見を受け付けないようになっているホテルは要注意ということだ。

あと1つ残念なことは、誰かのノルマ達成のためにタイムシェアサービスへの勧誘をする若手社員さんだ。会社の方針だからと言ってチェックアウトを済ませたお客さんに声をかけ、嫌な思いをさせてしまう役目を実行してしまっている。若手社員に間違ったことをさせる企業、組織、上司を幾つも見てきた。これは大人が未来ある若者を使って自らの立場を良くするために起こること。若手社員は自分で気が付けるだろうか?そしてそれを拒否出来るだろうか?このような勧誘は間違っていると言える若手社員になれるのだろうか?ヒルトンのように名のあるホテルや一部上場企業であっても合法的に強引な勧誘を行っている場合は多々ある。合法であれば良いのではなく「人としてしてやっていいか、否か」なのだ。これは学生が社会に出た時に出くわす壁となるだろう。会社が求めるノルマが顧客に対して「良いものか、否か」を自ら判断し、反論できるかという点。これは間違いなく新人であっても反論できなければならない。でなければ一生、誰かのノルマに従い自分もそれを繰り返す人になるだろうから。新人であっても会社に意見が言える人間は居る。実際にそのような新人も数人はいた。その人達は

タイミングを見て変わらなかった組織に見切りをつけ自ら出て行った者と、長期間会社と交渉し、粘りつつその間に社内に

見方を見つけ快適に仕事をする環境を獲得した者がいた。自分の生き方が仕事に直結し、仕事が自分の生き方を決める。

だからこそ他人(会社)のノルマを簡単に受け入れるような人間になってはいけないのだ。それが上司であれ先輩であっても、だ。自分の考えはどうなのか自分に問うてみれば、自分がどの程度の人間かハッキリする。生活するために企業から給料を貰い上司からのノルマを受け入れるのが当然だとすると、企業や上司が間違っていた場合に自分も簡単に間違ってしまう。

他人のせいにして生きている人はそれが都合良く、心地良い。悪いのは企業や上司だとして自分を振り返らずに済むから。

恐れるべきは上司や企業の指示、命令ではなく、それらに対して何も考えを持たずに従ってしまう自分なのだ。

そう、新入社員や若手社員は、自分が最も恐ろしいと気付くことが大切。出来るだけ早いうちに。

2022年6月14日 6月がビュンビュン過ぎていく

早回しで毎日が飛んでいく6月。しかし週末はゆったりと過ごせている。コロナはどうなって行くのか。そろそろ夏休みが見えてくるが海外旅行も解禁気味で気になるところだ。一方でウクライナ、ロシアの戦闘は続いている。クラスター爆弾?とんでもない兵器が使われている。同じ地球なのか、同じ人間なのかと思う。大学のキャンパスの目を向けると、そこは天国のようだ。天気の良い日は特にそう感じる。芝刈り機によって刈られた芝草の香りが漂い薔薇園には何種類もの色の薔薇が咲いている。教室では自由に意見を言い交わすことができる。この風景を存分に眺められるのは、間違いなく幸せというものだろう。爆弾は落ちてこない。この日本にいつか爆弾が落ちる日が来るのだろうか。

2022年6月19日 美大生とマーケティング

経営学部などでマーケティングを専攻していない学生にとってマーケティングは難しいものに映るようだ。いや難しいと言う前に馴染が無い、薄い。1回でも社会人となって商品やサービスの販売に関わった経験があれば多少はマーケティングを感じることが出来るだろう。マーケティングを実施する担当者とそのポジションには大きな権限と予算が割り振られるため、それなりの知識、経験、実績が求められる。つまりその道に進まなければ触れにくいジャンルなのだ。しかしどの部署であれどの職種であってもマーケティングを知らずしてビジネスをするというのはナンセンス極まりない。このリアリティをマーケティング専攻でない学生に伝えるのは簡単ではない。美大におけるマーケティングのあるべき姿を模索中だが結論は出ていない。

教養としてのマーケティングであれば実施しているし、これで良いのかもしれない。就活とマーケティング知識を接続させることもかなり難しいものだ。あまり深入りすると自分を見失せてしまう可能性もある。私と学生の温度感の違いは意識しなければならないだろう。私自身マーケティングに携わり出したのが電通時代の晩年であったのを忘れてはいけない。それくらい後期に入ってからマーケティングの重要性に気付いたのだから。

2022年6月21日 ガブリエル・シャネル展(出張)

三菱1号館美術館にて「ガブリエル・シャネル展」が開催されている。そこへ出張で行ってきた。私の目的はシャネルのマーケティングがどのようなものだったか、ファッション作品から読み解くこと。そしてその目的は当時のファッション作品が多く展示されていたためとても良く分かった。経営学的に言えばシャネルの戦略は凝り固まった女性ファッション市場に革命を起こしたブルーオーシャン戦略である。

シャネル本人は当時の男性主導型の社会、ライフスタイルへのアンチテーゼから作品制作をしていたことがブルーオーシャンを切り開くことになった。驚くのはブローチ、イヤリング、ブレスレット、ネックレスなどの宝飾品が大きいこと、そしてイブニングドレスにはラメ入りの生地を使用していてかなりの煌びやかさを演出している。当時は照明が少ないとか光量が多くなかったせいか光物をインパクト出すために多用していたのだろう。他にもシャネルの多くの仕掛けを見つける楽しみがあった。時代が変わっても男性が女性のファッションを見つめる視線には変わりが無いらしく、シャネルは男性視線を誘いつつ女性の肌を直接ではなく間接的に一部見せる造作をしていて見事としか言いようがない。あくまでもエレガントな演出は男性に対して異性を感じさせるだけでなく、美を感じられるかしら?という挑発、挑戦にもなっている。女性から男性へ見せつける戦闘服が途轍もなくエレガントなドレスなのだ。一方で働く女性のスーツも素敵だった。1つだけ疑問が残ったのは、胸の大きな女性に似合う服がシャネルには無いこと。これは更なる調査に値すると思う。

2022年6月23日 シャネルが頭の中に居座っている

昨日の「ガブリエル・シャネル」展が非常に良かったせいかシャネルが頭から離れずに今も語りかけてくる。特に何点かのイブニングドレスと、仕事のスーツからはシャネルの企てがハッキリと見えた。メッセージは作品が残る限り発信され続けている。特に魅了されたのはシャネルにとってのセクシーさとは、男女間の性から独立した孤高な女性の媚びない「美」。

それを見た男性は孤高の「美」を知る女性に敬意を払う。シャネルは男性にひれ伏して欲しかった訳ではないだろう。対等に在るために設計された「美」を両性に対し、共に分かって欲しく作り続けたのだ。そしてシャネルのクールセクシーが実は最もセクシーなのでは?と時間差で解り出す。三菱一号館美術館のUI・UXも素晴らしかった。かなり暗い展示会場だったが、それはドレスをピンポイントでライティングして直接見せる場合と、鏡の様なブラックパネルに反射させて間接的に見ることを可能にするためだった。ブラックパネルに映し出されたドレスやスーツは実際にそれを着た人々がそこに佇んでいるように見える。つまり直接見るよりも間接的に見ることでリアリティが増す演出になっている。WebのUI/UX設計者は美術館の展示を参考に出来るだろう。

2022年6月26日 広告学会 関西部会@関西大(出張)

土曜日には広告学会へ出張で行ってきた。母校の東大大学院学際情報学府で教員をされていた水越伸先生の報告発表が特にタイムリーに気になるテーマで参考になった。日本マス・コミュニケーション学会が日本メディア学会に名称変更した話には、他にも名称変更した団体、組織の事例や今後も名称変更する団体、組織を考えさせられた。カンヌ国際広告祭は10年以上も前に“CANNES LIONS International Advertising Festival”から、“CANNES LIONS International Festival of Creativity”に変わっている。必要とされるクリエイティビティが広告フォーマットだけで語られるナンセンスが既に起きていた。メディアやプラットフォームが増え続けると人間の課題発見、解決能力はメディアやプラットフォームに固定された様に振舞うのではなく、流体の様に移動していく。転職もその一つだし、副業もその形態だろう。一方でクリエイティビティを必要としなかった新聞の様なメディアは流体の様に他へ染み出して行く動きをやり切れない状態にあると思う。メディア論、マーケティング論、消費者行動論といった一連のコミュニケーション論系のテーマは学問として非常に難しくなっていくと思われる。私自身それに毎日晒されており、電通社員と大学院生をしていた当時と同じような感覚を、現在の大学教員とコンサルティング業をしていて再び感じている。これは宿命なのか。そのせいか年に2、3回見る単位が取れずに大学院の学位が取れない夢を見た。目が覚めると大学院は修士は得たが博士は取れなかった事実が残っていた。

↑最近のホテルはエントランスロビーに近代アートを設置していて非常に良いと思う。

2022年6月29日 タイパ(タイムパフォーマンス)と直感

コスパ(コストパフォーマンス)は良く聴く言葉だったが、タイパ(タイムパフォーマンス)は最近良く聴く言葉になった。

お金を基準にパフォーマンスを気にする以上に、時間を基準にパフォーマンスを気にすることがタイパである。つまりやることが多くなっている現状からタイパ重視の傾向が出現している。もっと言えばコスパを気にする時間すら無いとも言える。

理想はコスパとタイパをモノゴトに合わせて考えることで使い分けることだ。仕事では当然だが勉強や学習にとってタイパとコスパは非常に重要。そもそも何を学ぶかというテーマ設定こそが最も難しい。生きていく上で何かを学び続けなければならない。だから何を学ぶべきか見極められるようになるにはどうしたら良いか。これは直感しかない。これまでの企業の新卒

採用は総合職として採用し、様々な部署を経て専門的な部署に落ち着く形式を取ってきたがそのような人材育成が今後は非常に難しくなるだろう。企業側も若手社員側も互いにテーマ設定が難しくなるからだ。若手社員は会社に任せるだけでなく主体は自分。だから自分の直感で決めていくしかない。転職も出来る時代なのだから。

2022年7月10日 リアル広告Expo

東京ビッグサイトにてリアル広告Expoに出張(7/8)

毎回出張では最新のテクノロジー、商材、サービスを確認しているが、今回も収穫が多かった。世の中は常に進化していると実感させてもらえるのがこのような大規模展示イベントである。しかも参加費は無料。かかるコストは交通費と時間だけなのだ。ビジネスを学ぶには学ぶコストを極力下げてスピード感を持ち、仕事をしながら自然に学ぶことが重要。

そして学ぶだけでなく視野を広く考え方の柔軟性と、行動力を伴う働き方が必須となる。一つの場所やビジネスに留まっていては進化できない時代だ。転職は益々盛んになるだろう。良い会社に転職するのではなく、良い自分になるために転職する時代である。つまり自分をカスタマイズするために仕事を活用するのだ。所属する会社や組織のカスタマイズのために自分を活用している場合ではない。自分で自分の給料や時給を決められる個人にならなければ搾取され続ける人生になってしまうからだ。

今回のリアル広告Expoでの見どころは、テレビCMの民主化が進んでいたこと。まだまだテレビCMの活用方法を中小企業が理解するには時間がかかるだろうが、そのサービスを提供する側は盛んにブースを設けて説明を開始していた。おそらく2年後には一般化され始めるだろう。私の研究、仕事など実践領域もその頃には佳境に入って行くと思われる。

面白い時代になってきた。やっとテレビCM2.0時台に突入する感じになって来た。

2022年7月19日 2023年への仕込み

仕事も研究も来年を見据えて準備が必要である。この7月は特に2023年の準備をしている。新しい授業の準備や研究テーマの見直し、そしてコンサルティングの手法など全てを刷新する。最も力を入れているのは、無駄を省き生産性を更にアップさせること。新しい仕事や研究の話は常にあり、ありがたいこと。気が付けば8月も見えてきた。最近の大ニュースは安倍元首相の銃撃事件で、その実行者の生い立ちがテレビで報道されている。同じ日本で暮らしているが、確かに自分と直接関係は無くても犯人の犯行に至った気持ちは想像が出来なくはない。日常には色々な人達の様々な思惑が満ちていると考えると恐ろしいものだ。私は残りの授業を全力で実施するのみ。やり切って夏を迎えたい。

 

2022年7月27日 気が付けば7月末

毎回驚いてばかりだが、長岡造形大学の学生は非常に頭が良い。どういう頭の良さかと言うと、想像力(人の話を聴いて知らない事象、場面を思い浮かべて理解できる)だ。その理解力の根底、理由には意志の強さがあると学ぶことが出来た。日頃の課題への対応力から鍛えられているのだ。が、それにしても中々凄いのである。私のテーマである美大におけるマーケティングの在り方に対しても意見を持っている学生がおり、その指摘は胸を抉られるほど核心を突いていた。私としては教養としてのマーケティング授業を実施していれば良し、といったことで一応自分の正解としていた。しかしその学生の指摘は違っていた。もともとの美大生として企画力やデザイン力がある上にサブの力としてマーケティングの知識、ノウハウを得ることの重要性を分かる学生が長岡造形大学には居る筈なので、それらの学生を掘り起こして育てるのが私の役目というもの。

全くそうだと恐れ入った次第。ありがたい指摘であり感謝しています。本当に学生から学ぶことが多い。まさか、このような指摘を受けるとは想像を超えていた。大きな指摘なので忘れないように書いておこう。

2022年7月28日 究極の癒し空間とは

とある日の夜中、非常に珍しく韓国酒で酔った私は冷たい床の気持ち良さで突っ伏して寝ていた。

その夜は雨が激しく降っていてベランダの排水溝から雨水が渦を巻いて流れ落ちる音がしていた。

激しい音にも聴こえるが、水泡が砕け落ちて行く音色は案外柔らかく天国の楽団が奏でているような、もうこのまま死んでもいいと思えるような心地よいランダムなリズムがループしている。

殺し屋はやってこない。冷ややかな床から睡魔の紫煙が立ち上ってくるようで、瞬く間に眠りに落ちてしまった。

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夢殿:聖徳太子が経を読んだり思索に耽るために篭った場所が法隆寺にある。私は小型簡易版の「夢殿」が欲しい。

そしてそこにはノートPCもスマホも持ち込みたくない。ただひたすら瞑想に耽るのである。理想はテレパシーで誰かと会話

出来ることだ。その相手も別の夢殿に独りで居たら良いだろう。しかしテレパシーさえあれば物体の「夢殿」はいらない。

全て脳内で出来ることだ。太古の昔、人類はそのような能力を持っていたのではないだろうか。不思議なことだが、現代でも物事を深く、よく考えていると話し合っていないのに既に話したかのような既視感を覚える時がある。つまり究極の癒し空間とは気持ちの中に在るということだ。

2022年7月29日 前期の授業が終わった。

長い前期の授業が終わった。長いとは思うが振り返れば短いとも感じる。いろいろなことがあった。自分でも良く突っ走ったものだと思う。毎日は奇跡の連続で素晴らしい日々だ。本当に毎日を当たり前と思えないような価値ある毎日だ。

日々、自分のアップデートに繋がっている。再びコロナの蔓延が騒がれている。いつまで続くのだろうか?

この後の大きなイベントとしては3年ぶりの長岡花火があるのだが、私は観ることになるのだろうか?

この前期の終わりに伝えておきたいこと、伝えておくべきことがある人はそのメッセージを届けようとする。

作品もその評価の時だけではなく再び目の前に展示されて現れる時がある。

それらの作者が生きている様に課題のレポートや作品にも意思があって、また見てもらいたいとやって来る。

あるいはそのレポートや作品の存在は聞いていたがどういうものなのかと、こちらが気にしていると不思議なことにそれを

目にする機会が生まれる。頑張っている誰かの意志は、巡り巡って人づてだったり、分身のレポートや作品となって伝えに

来るものだ。そのようなことが立て続けに起きている。

2022年7月31日 オープンキャンパス
写真は9月に行われる「大学祭」の看板だが、現在オープンジャンパスで訪れている人たちに向けてのもの。猛烈な暑さの中、多くの高校生達やその親の方々が来てくれている。

長岡造形大学の人気が高いことを実感している。

と同時にこの大学の世の中に対する役割も感じる。

それを見ておくこと、どういう学生が何を想って受験し、

実際に入学してくるのか見届けなければならない。

今回のオープンキャンパスは対面で行われている。

私にとっては初めての対面オープンキャンパスだ。

真剣に作品を見入る学生達に未来を感じる。

暑さに負けない情熱がある。学生にも大学にも。

気が付けば7月末日。ニュースによると今日が最も暑い日らしい。

2022年8月2日 東京都現代美術館 ジャン・プルーヴェ展

20世紀初頭に活躍した建築家であり椅子のデザイナー、

ジャン・プルーヴェ。椅子を造ることと家を造ることは同じという。構造こそがデザインを決めるとのことで、私は彼を

骨の建築家と名付けたい。彼の作品も素晴らしいが東京都現代美術館も素晴らしい施設だった。途轍もなく暑い夏に

ジャン・プルーヴェに浸ることが出来た。作者が亡くなっても作品は語り続けている。思想や心構えは人々の心の中に生きて行く。会場には多くの若者が訪れていた。アートとは無くても生きていけるものだが、私にとっては無くてはならないもの。日常にはアートが必要なのだ。ゆとりや遊び、そして何よりも追及する自由と情熱が生きていく上でのエネルギーである。今日は長岡花火の日。しかし私は出張で東京だ。

それはそれで良いと思える夏の日である。

2022年8月5日 人に対する理解、尊重

最近は学生だけでなく、教員にも気付かされることばかりだ。長岡造形大生は頭が良くシッカリ者が多いので、私は完全に彼、彼女らを一人一人の大人と見なして対等に接してきた。しかし、それも程度問題だなと感じることがあった。他の先生が最近学内で学生達とスイカ割りを楽しんだという話を聞かせてくれ、写真も見せてくれた。学生達は大人としての顔だけでなく大学生らしい青春の顔付をして写っていた。それを見た私はこう思ったのだ。彼、彼女らを一人の大人として接するのは

私が大人だから私にとっては都合が良いが、学生にとっては緊張の連続だろう。頭も常にフル回転Maxでは疲れてしまうだろう。学生を大人だと思い過ぎていた自分を反省。学生にはもっと気軽に接することも重要だと思う今日この頃。

自分自身がまだまだ変化しなければならないと痛感する。

2022年8月6日 マンガ、アニメなどコンテンツと若者の人格形成

学生と接していると彼、彼女らが日本の世界に誇る文化であるマンガやアニメの影響を多大に受けていることを強く感じる。海外からの留学生はその流暢な日本語を駆使できる理由がアニメ好きから派生した日本への興味からだ。それが嵩じて

日本での就職に繋がり日本で人生を歩むことになる。かく言う私も(というか日本人であれば多くが)小中高大学まではマンガに浸り続けていた。社会人になってからも広告クリエイターとして興味の有る無しに関わらず様々なマンガや映画、アニメ、音楽を鑑賞していたものだ。マンガの世界は映画以上に空想度合いが増すため、脳内妄想領域の活性化を促進する。

クリエイターの大半はマンガ好きであると言っても過言ではない。その妄想の天才達がマンガ家であり、その天才達を生み

出す世界一の国は間違いなく日本だろう。音楽や映画では韓国の勢いが凄まじいが、マンガに関しては断トツの世界一だ。

私自身がマンガの助けを借りながら学生時代を乗り切ったと思っているくらいだ。勿論、時代は昭和なので文学の力も借りていた。文学では川端康成などの古典文学小説を殆ど全て読んでしまった。高校生の私が川端康成というノーベル文学賞作家の小説にも俗人的なものが幾つもあり、案外理解出来るなと思ったことと、やはり大人の感覚は分からないと思ったことが懐かしい。影響を受けたマンガはブラックジャック(手塚治虫)、うる星やつら、めぞん一刻(高橋留美子)、パタリロ(魔夜峰央)、エリート狂騒曲(弓月光)など受験勉強中に大いに気晴らしになり、それどころか人格や価値観まで影響を及ぼしていたと思う。女性作家が描く女性と男性作家が描く女性のキャラクターの違いを追求したくて少女漫画誌の「りぼん」を購読していたことも今となれば笑ってしまう。ところが、牧歌的な昭和のマンガ文化は平成でとんでもなく進化し、私のマンガ好きレベルでは追いつけないくらい現実から懸け離れた空想レベル(描き方含む)の構想力肥大マンガが次々と誕生する。

もう追いつけない。衝撃的な作品を挙げればキリが無いくらいだが、寄生獣(岩明均)はマンガと知りながら現実的な恐怖を感じた。テーマの本質も深い。夏目漱石や森鴎外の古典文学を読むことの重要性、それを語り合うよりも、感性や価値観を

拡張したマンガを媒体にして人と人が語り合うことの深さを考えると気が遠くなるくらいだ。進撃の巨人(諌山創)、GANTZ(奥浩哉)、シグルイ原作:南條範夫・作画:山口貴由)、以降は追いつかなくなった。映画化された東京喰種(石田スイ)、仕事上必要だったので読んだ、働く細胞(清水茜)などなどまだあるが・・

マンガやアニメはオタクという限られた文化やコミュニティでは普通に語られるのだろうが、一般的なコミュニケーションでは他人の好みがどうなのか測りかねるので気軽に出来ない。本当は感性や価値観が違ったとしても、その違いを互いに話し合えたら、どちらにも大きな理解が生まれるのだけれど。これに気付いたのは海外の方で日本のマンガやアニメ好きの方々が気にせずオープンに、このマンガが好きですとか、推しキャラの恰好をしていたりする姿を見て私が知らなかったマンガや作者を知ることが出来たこと、海外の人々の人となりを早く理解することが出来たという経験があるからだ。外国籍の方々を日本語ペラペラにするまでの影響を与えるマンガやアニメは素晴らしい。だから今後も新しいマンガを読まなければならないと思っている。全く出来ていないが、たまには。実はこのテーマ、自分が出来ていないから放置していたが最もマーケティング的に難しい若者達、Z世代を理解するためには、マンガやアニメといったコンテンツ文化軸を2000年以降時系列的に学び、調査

することが正解だと確信している。

何故Z世代の理解が難しいか、それは*現実の消費世界をどれだけ見つめても、若者達の内面や脳内を知ることは出来ないからだ。男性誌も女性誌もアプリを介しては男女関係なく自由にアクセス出来る。マンガやアニメなど空想妄想コンテンツの世界は若者達が脳内でその世界を構築、拡張し、その中で生活することを意味する。と同時に若者達は本当の現実世界と共存することになるのだ。物理的な時間は変わらないので現実世界にだけ生きている人間と、両方を生きる若者達が現実世界でコミュニケーションしていると両者の間に価値観の歪みが生じる。このギャップは大きくなることはあれど決して小さくならない。特にデジタル世代の若者は現実世界とデジタル妄想世界の両方を行き来することが必須となるため、その調整は楽ではない。だからこそ、この歪みの存在を理解し、想像力を持って若者達とコミュニケーションして行きたいと思っている。

*このテーマは私の最大のテーマであるマーケティングと対をなす必須テーマに他ならないのでいづれ詳しく書くつもり。

2022年8月6日 愛すべき無機質のアート

最近、いつも写真を撮っておきたいと思いつつ忘れてしまうのが長岡造形大学の工事中校舎の写真。

現在工事中の姿は私にとってアート作品の様に見えている。外壁に足場を組まれ、更に安全ネットのベールを掛けられた

その姿は大事な部分を意図的に隠されたアート作品の様に見える。

酷暑の中、ベールを掛けられてしまっているにもかかわらず汗一粒流さない偉容。

研究室に入ると内側から見る窓は目隠しをされて外が見えない不自由があり、やはりアート体験の様に勝手に感じている。

夏の暑さで自分がおかしくなっているのかもしれない。いや、夏のせいではなく長岡造形大学がそうさせるのか?

本来の長岡造形大学の姿はコンクリート打ちっ放しでスッピンのようなものだ。潔い。

私のZoom背景もコンクリート打ちっ放しだ。

2022年8月7日 「花(ハナ)」の日。 花屋経営とコンサルティング

私の本業は大学教員だが、副業として所属する会社は本業が「花屋」であり、実際の店舗が東京の晴海にある。

そしてその会社の中にコンサルティング部門があって私が取締役・コンサルタントとして機能している。

人は花が無くても生きて行けるが、花がある人生はとても豊かなものだ。花は生きていて、エネルギーを持っている。

花は直接人間に話しかけてこないが、間接的な気付きを与えてくれることがある。それは花を見つめている時に感じられる。

例えば、テレワークでたまに使う公民館のミーティングルームの窓から椿の生垣が見える。そこには毎年同じ位置に遅咲きの淡いピンク色の椿が咲く。同じ角度で見える椿は、毎年同じ見え方をしてまるで知り合いのようだ。そこに黒羽に鮮やかな

ブルーグリーン筋が入ったルリタテハが必ずやって来るのだ。偶然だろうが私が椿に目をやっている時に現れる。

あたかも椿がルリタテハを呼んで来たような感覚。また今年も新しい仕事があり、それがルーティンとして廻っていることを

椿もルリタテハも喜んでいるように見える。そんな演出をしてくれるのだ。

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私の長女の名は、果物(花を咲かせる)から名付けたように見える。敢えて意味を持たせないために平仮名にした。

しかし深遠な意味を密かに込めた。ミハエル・エンデの名作と同じ名だ。時間泥棒から奪われた人々の時間を主人公の

少女が人々に返す物語。更にもう1つの面白い意味は私の大好きな食べ物がネパールではこう呼ぶという音になっている。

次女には日本人が最も想起する花の旧字体に子を付けた。どちらも苗字からそそがれる水が川を流れ名が受け止める形。

こうなって欲しいではなく、自由に勝手に育つイメージだ。名前には未来が宿るらしく、娘たちはそのような道のりを

勝手に猛進して私をハラハラさせ続けている。

2022年8月12日 空想力、妄想力、クリエイタータイプの理解

人は頭の中で考えている事の何%を現実世界で話しているだろうか?私自身の感覚ではせいぜい1%~3%だ。人々に話せる内容ではないもの、話しても理解されない内容が97%~99%あるという事だ。

人によっては20%とか30%の場合もあるだろう。中には考えている事の大半を話しているという人もいるかもしれない。

人とコミュニケーションを取る場合、互いに理解するために話すので、自分独自の感覚や独自の世界観を話すことは無く相手との共通領域、つまり中立地帯で話すことになる。空想力、妄想力が強いクリエイタータイプは脳内の自分領域が広大で多くの物語を持って(創って)いるため、そこでの語彙力、表現力の豊富さと、現実世界で使用する語彙や表現力にギャップが

生じる場合がある。現実世界ではマナー良く丁寧な言葉遣いであっても空想世界では乱暴な口調だったりするのは当たり前。

 

ここでクリエイターとオタクの違いを述べておこう。クリエイターはオタク要素も持っているのだが、オタクの様にオタクであることを公言してオタク同士でコミュニケーションを取ることをしない傾向がある。何故ならオタクはクリエイトされた

モノゴトを摂取する専門だがクリエイターは(有名、無名共に)作品などを創造する時間が必要で、物理的にも忙しい。

クリエイターは自分の創造世界の話をすることが自分の内面を晒すことになると感じて話さないし、話したくないのだ。

更にクリエイターは独り深夜に空想力、妄想力が炸裂するので夜は長く、睡眠時間は極端に少なくなる。

そのように内面を知ることが難しいクリエイタータイプではあるが、普段の会話の中にクリエイター自身が広大な精神世界で使用している言葉(キーワード)や口調が必ず出現してその人の本質を伝えてくれる。

 

私が勤めている長岡造形大学の学生はクリエイタータイプが殆どなので、かなりの学生が上記に該当すると思われる。

20年前後生きている彼、彼女達のコミュニケーション手法は千差万別だが、対面で話す時に得られる数%の情報でも、そこに本質が出ている事が多い。20歳前後とはいえ、その個人の内面世界の広大さはコンテンツや情報が溢れている現代に生きているだけに昭和世代とは比較にならない程広大なのだ。そして彼、彼女達にとってリアルタイムでは現実の情報処理で手いっぱいとなるのだ。その忙しい学生達を理解するには、本人の発言を良く聴く事しかない。

2022年8月13日 食べる、ということ

生きるために毎日必ずしていること、それは食べること。空気を吸うことの次だ。当たり前のことだが、毎日食べることは

毎日寝ることと同じレベルで最重要項目だ。脳は腸であり、腸は脳でもあるというくらい食と脳は連動している。思想、思考、発想は腸と脳のコラボから生まれるのだ。なるべく添加物の無いものを食するのが良い。粗食はシンプルな健康法だ。

あれこれと考えなくても良いから時間節約にもなる。私は腸の活性化を図ると運気を操作できると思っている。腹を空かせていると五感が研ぎ澄まされて非常に仕事が捗る。腹が減り過ぎると逆効果だ。また何か大きなコトを達成したい場合、その一定期間はやや空き腹にしておくと闘気が溜まってコトの達成確率をアップ出来る。全てにおいて言えることだが、満たされ過ぎていると鈍るのだ。本当の豊かさを追求するのであれば常に空きっ腹にしておくべきとすら思っている。自分は能力が鈍ったり劣化して行くことを最も嫌悪している。安定とか安心という言葉は自分の辞書には無い。やる気にさせてくれるのはいつも大学生だ。彼、彼女らは自分達が持っている武器(能力や考え方)を上手く使ったり、新しい武器を手に入れようとしている。その姿は懸命で安定とか安心したいと思っているようには見えないのだ。それに厳しい世の中になって行くのであれば、努力する若者が増え、いずれ鈍って劣化した大人が居なくなるので良いことではないか。

もう一度、食べることについて書いておこう。空きっ腹がなぜ良いのか、人は食物だけ食べるのではなく自分がまだ摂取していない知識や知恵や思考や感性を毎日食べているからだ。そのための咀嚼スペースを腸にも脳にも残しているってことだ。

自分以外の外界(敵)を知るには外界のモノを自らの体内に取り込む(食べる、摂取する)のが必須だからなのだ。
腸と脳は考えるためのスペースを必要としている。

2022年8月14日 お盆に考えること

既に来年の今頃のことを考えている。そして既に来年のあらゆる準備を進めている。環境も学生も全てが変わるのだ。

それは間違いのない事実。予言でも予測でもなく、間違く起こること。だからこそ、間違いなく起こる事実への準備は早く

始めるに越したことがない。新しい授業の準備、新しい教材の準備、新しい共創企業の仕込み、などなど。

研究室の雰囲気も変えよう。小さな変化から大きな変化まで取り入れようと思っている。学生からいろいろなことを気付か

される度に自分が鈍感だと悟った。それゆえ自分の専門科目だけでなく精神医学、心理学なども学ぶことになった。

学べば学ぶほど腑に落ちることがあり、驚きの連続。学ぶと不思議とそれを実践する場面が出現するのだ。

それは学生への理解と同時に私自身の理解でもあった。自分を省みることに年齢制限は無い。

どの年代であっても自省は必要だ。健全な自省をしていると気持ちはどんどん若返って行く。どんどん自分がアップデート

されて行くのだ。そんなことをつらつらと想い出して至福時間を過ごしている。

2022年8月16日 京都へ

年に数回は京都に行くことになるが8月のこの時期に京都に行くことは初めてだ。大阪の伊丹空港経由で入るのも初めてだ。いつになっても初めてのことはあるものだ。

幾つかの神社にご報告をしに行く。

来年への予感を得るために。

2022年8月17日 菊水

ランチは菊水。激暑の京都ではあるが驟雨の後は暑さはマイルドになり、むしろ京都らしい風景になる。広い窓から庭を眺めながら長いランチタイムを過ごす。時間、風景、食材、もてなし、会話などなど、全てを食する。特に京都はそれら全てが重要で分解できないことを解らせてくれる場所。

毎日をこのような理想形にする必要は無く、むしろ年に数回で良いだろう。その方が生きている意味、日常の幸せを感じられる。時間の流れゆくさまを眺めて過ごしている。

2022年8月18日 祇園新町の行燈

祇園新町に夜ご飯を食べに行くと、京都女子大の矢野ゼミ生による行燈が何種類も店ごとに並んでいた。期間限定の実施らしく、たまたま訪れて観ることが出来た。京都は人の気持ち、おもてなしの心が見え易い場所。町の灯りにもそれは

証明されている。

 

特に京都の食事処は東京のレベルを超えている。

東京は土地代、人件費など高くなり過ぎてサービスの質が

値段に追いついていないが、京都ではその心配が無い。

 

若いシェフ達が立派な構えの店を切り盛りしている姿を見て

ベンチャー気質があるなと感じ入った。やはり未来は若者達が創っていくもの。

年配者が長く牛耳っている世界は発展しない。

ニュースを見ていたらオリンピック収賄罪で大先輩の高橋治之さんが受託収賄容疑で逮捕されたとのこと。やはり若者へ道を譲らねばならないだろう。

2022年8月19日 外出もままならぬ暑さ

京都も暑かったが東京も暑い。長岡も暑いのに変わりはなく、日本全国暑い。普通に外出して歩くだけでもクラクラする。

気候がおかしいのもさることながら経済も危うい感じがしてならない。政治家は本気で日本の未来を考えていない。

国のトップ連中に私利私欲が跋扈している。最終的にはどのような組織であろうが親方日の丸であろうが、人による。

マスコミの報道も偏り過ぎ。操作性がありすぎる。日本は既に戦争に巻き込まれている。国対国の戦争ではない。資本家と

普通の人々との戦争だ。仕掛けている資本家は思い通りに進んでいるのを喜んでいるが、普通の人々の多くは戦争が起きていることを知らない。コロナは世界戦争なのだ。政治家達は日本を切り売りして自らの懐を潤している。完全にバレている茶番が普通に毎日テレビで報道されている。私自身は政治家になる訳でも無く、どうすることも出来ないのでそれを眺めながら、せめて健康には気を付けようと思う日々である。

2022年8月22日 緊縛拘束アート真っ最中のNID

この激暑の中、足場を組まれベールに覆われた長岡造形大学の偉容である。これをアートと言わずして何と言おう。

その建物の中、私は研究室の模様替えを粛々としている。

殺風景な研究室に少しだけ彩が添えられた。

 

その研究室で少しだけ読書の時間を作る贅沢。

久世光彦の本を読む。本を開くといきなり私の好きな

川端康成の小説「片腕」の話から始まって驚かされる。

自分の中に眠る昭和の感覚が蘇ってくる。

たまには読書で時空を巻き戻してみるのも悪くはない。

 

そんな読書をしていると緊縛拘束アートで作業をする方が

窓枠工事をされている。シュールな真夏日である。

2022年8月22日 NID 緊縛拘束アート その2

いっそのこと、NIDをこのままの姿にしておいて欲しいと思う私はやはり異常である。どれだけ自分が非日常を求めているのか自身で解ってしまう瞬間である。私が大学生の頃はありきたりの毎日にウンザリしていた。臆病なくせに大事件や大きな刺激を求めていた。しかしその珍妙な心意気と行動が

あり得ない未来の扉を開いたのであった。

あの頃も、私は学生でありながら美術館、博物館をマメに訪れていた。珍事が起きたのは東京国立博物館。私は何気なく訪れたのではない。誰かと出会う予感があって訪れたのだった。すると初老のイタリア人観光客(独り)が博物館を案内して欲しいとリクエストしてきた。私は予感通りに出現したイタリア人にガイドをした。その間の互いの問答は非常に珍妙であり最終的には博物館を出て、山谷訪問に至る道中となった。その話を留学ジャーナルの奨学金留学生募集エッセイコンテストに出したところ、私は短期語学留学奨学金を得てシアトルに旅立つこととなった。タイ国際航空TG741便にて旅立った私の生まれて初めての海外暮らしは、いきなりホームステイで始まったのである。珍事はこれだけではおさまらず、更なる訳の分からない偶然を呼び起こしていた。この話は次回へ・・・・

2022年8月23日 留学ジャーナル奨学金からの短期留学(シアトル編)

TG741便には、もう一人の奨学金獲得者が登乗していた。そうシアトル短期留学の奨学生は男女1名ずつ計2名だった。

もう1人の女子の名は園子だった。東京外語大学スペイン語科2年生で私の1個下の19歳。鹿児島県鶴丸高校出身だと言う。

奨学金に応募した理由を訊くと、幼い頃父親がシアトル大学に留学しており家族でシアトルに住んでいたとのこと。

つまり彼女にとっては懐かしのシアトルという訳だ。空港に降り立つとシアトルパシフィック大学の事務局からデイビッドウッドワード氏(最近彼の名前を想い出してFBで繋がった)が車で迎えに来てくれており私達を乗せてそれぞれの家庭に送り

届けてくれるようだった。その途中、園子の昔の知人たちがレストランでディナーをご馳走してくれるといったイベントを

挟んだのだが、これが鮮烈なアメリカンパンチだった。園子の知人たちは大人数でレストランにはものすごい数の皿とボリューミーな食事を用意してくれた。何を食べたか忘れるくらいで記憶に残るのは最後のデザートのバナナスプリットが超巨大で胃袋を完全ノックアウトされたこと。園子は知人たちだから気軽に普通に英語で話しているが、私は初のアメリカ大陸上陸で見た事のない重量級ディナー席にて10時間以上のフライト直後に知り合いでないアメリカ人たちの機関銃英会話を聴きながら適当に英語を返しながらのアップアップ状態。失神するかと思った初アメリカ大陸洗礼だった。

その後、息も絶え絶えにデイビッドにホストファミリー宅に届けてもらったが、ここでも知らない家族に初対面で自己紹介が

始まった。ホストファミリーの父親はジム、中学の教員とのこと。母親は名前を忘れてしまったが看護師のパート職に就いている方。長男はジミー、パンクロッカー。長女は家を出ているが戻ってきていて名前と何をしているかは記憶に無い。

こんな具合で脳は多くの刺激と麻痺で未だかつてないゾーンに突入!更にホストファミリー宅にはフィリピンからの留学生

フィリップが既に滞在しており、私と同じ2階部分を使っていた。しかも見た目は大学生だが彼は30歳でお金を貯めて留学しに来ていた苦学生だった。彼はその家からシアトルパシフィック大学への行き方(バスの乗り継ぎ方)をその日のうちに丁寧に

教えてくれるのだった。私はと言えば、あり得ないくらいの情報をぶち込まれたアメリカ初日、完全にグロッキー状態。

その意識朦朧の中で私はハッキリと認識したことがあった。この一般家庭の家の大きさ、豊かさ、来る途中に見えた普通の家並みの豪華さ人々のユトリ、これらは日本の戦後がいくら経済成長したと言っても追いつくものではなく第二次世界大戦を知らない私が勝利国と敗戦国を感じた強烈な日でもあった。この想いは後の私の人生に大きく影響している。日本の中だけで

日本人だけで培ってきた情報、価値観。清く正しく美しく、慎ましく和を尊ぶ日本の美徳・・・。

しかし、しかしだ!それらはあまりに狭い!小さい!大人し過ぎる!そんなに美しくあるべきか?と思っていた。

何となく感じていた自分のわだかまりの答えは外の世界にあったことを確信した。

「井の中の蛙、大海を知らず」この言葉が心に響き続けるのだ。それは現在も続いている。35年前の話は今も終わってない。

この世に生まれ落ちたからには、生きている間に与えられた殻を打ち破らねばならない運命を悟ってしまったのだ。

そうでなければ自分に恥ずかしい。他の誰かの価値観に合わせて生きて人生を終えるなど命が勿体ない。自分自身のヒーローにならなければ意味が無いのだ。当時を思い出したが今も自分が変わってないことを再認識することになった。

自分が成長していないという事か、あるいは成長し続けているという事か。おそらく両方だろう。その両方で私の世界、宇宙は広がり続けている。この数日後、園子のホストファミリーの事で驚きの事実に出くわす羽目になる。

神は何故そのようなシナリオを書いたのか・・・続く。

2022年8月24日 1987年7月のシアトル

シアトルパシフィック大学に通うにはホストファミリーの家から最寄りのバス停からバスに乗り、ある個所でバスを乗り換えて行くことになる。車社会のアメリカではあるがバス通勤の人々も結構いることに驚いた。毎朝並ぶバス停で皆「おはよう」と素晴らしい笑顔で挨拶してくれる。その横道をジョギングしている人が同じように「おはよう!」とほほ笑んでくれる。

そのような爽やかな毎朝を驚きの眼差しで眺めていた。気持ちの持ちようが軽やかに爽やかなのだ。私の固く戸惑っている

気持ちとは大違いだ。そしてバスは停車を知らせるのにボタンではなく紐を引っ張って知らせるシステムだった。何とか乗り換えも無事に済ませシアトルパシフィック大学のキャンパスに到着すると、そこはコンパクトだが緑の多い小奇麗なキャンパスだった。最初は英語のプレースメントテストで自分が入る語学クラスのレベルチェックをした。園子は帰国子女なので

私より1学年下だったがクラスは1つ上。その教室で休み時間に互いのホストファミリーの様子を話し合った。

園子は小柄な割に良く食べる子でホストファミリーの冷蔵庫を夜中に開けて好きなものを食べていたらしい。すると数日後にホストファザーのリチャード・マックリーンに怒られたらしい。

「だって好きなモノを何でも食べていいって言われたのよ!」と納得がいかない様子。

いざとなったらホストファミリーを変えてもらうと言い出した。流石アメリカ育ちだ。

しかしその話を聴きながら園子が怒られたことよりも私は気になる別のことを考えていた。

リチャード・マックリーン?聞いたことがあるな・・・・。

私の高校時代はとんでもない特殊な環境だった。私立全寮制男子校特進クラスで起床直後の早朝講座から朝食、その後隣接した高校に向かい7限目まである授業の後、寮での夕食、その後の夜間講座という激詰めスケジュールの超スパルタンスタイル。

そして少人数の特進クラス以外は通学制最底辺極道高校ワルの巣窟という漫画の様な青春時代だった。寮は校舎からやや離れた場所に隔離して建てられた鉄筋コンクリート。白山神社の林に隠された丘の上の寮は砂嵐に守られたバビルの塔の様だ。

いや、話を戻そう。その高校での夜間講座に英会話があった。1個下の学年の英会話担当が確かアメリカ人のリチャードって

言ってたよなー。そんなことを想い出していた。私が記憶を辿っているのに気付いていない園子はホストファミリーの話を

続けている。「でもね、奥さんは日本人でワカエさんといってとっても優しいのよ」

夜間講座は曜日ごとに科目が違っていた。当時私は医学部を目指していたので夜間講座の「古文」は捨てていた。内職で化学をせっせとやっていたのだ。「古文」の先生は超マジメな眼鏡をかけた女性の先生で私は何度も怒られていた。最終的には

内職で化学をやっても良いと言われて化学を勉強していたが、後に私は3年生で医学部志望をアッサリと止め文学部志望に変更していた。古文が出来ない文学部志望という捻りの入った学生に変身したのだ。

いや、話を戻そう。よく怒られていた古文の先生の下の名前は確か、ワカエさんだったよなー。
つまり高校2年生の私の夜間講座「古文」の先生がワカエ。1個下1年生の夜間講座「英会話」の先生がリチャード。

私の記憶によれば寮の玄関で1度、C.W.ニコルの様な風貌のリチャードと擦れ違っている。同じ高校の夜間講座という職場で

日本人古文講師とアメリカ人英会話講師が出会って結婚などということがあるかもしれない。で、シアトルに住んでる? 

「園子、ワカエさんって日本で何してた人?」「高校の国語教師って言ってたわよ」推測が当たっている確率が高まった。

「今度、園子の家に遊びに行ってもいい?」「えぇー?もうホームシック!つらい?」

「いや、2人とも知ってる人かもしれないから」「ん、どーゆーこと?」ここで園子に私立全寮制男子高物語を話す羽目に・・

続く。

2022年8月31日 1987年7月のシアトル、そして園子のホストファミリー

今から35年前のシアトル、20歳の私はサニーサイドアップのジミーの家2階に住んでシアトルパシフィック大学のELS(English Language Program)に通っていた。7月の土曜日、2階にいると階下からモヒカン刈りの長男ジムが私を呼ぶ声が聞こえた。

”Takeshi! There’s a call !" 当時は携帯電話やインターネットが無い時代だ。電話がかかってきたら取り次ぐシステムなのである。この頃ビルゲイツはシアトルに住んでいて既にMicrosoft Windows85を完成させていた。私はジムに” Who's calling ?"と言いながら階下に降りて行った。ジムのモヒカン頭が階段の下に見えた。" Female(女から)”と言ってジムがウインクした。

電話に出ると相手は園子だった。「うちのホストファミリーが明日来てもよいって」とのこと。翌日、私は園子のホストファミリー宅へと訪問した。今思えば、私のホストファザー、ジミーがリチャード家まで車で私を送ってくれたのだと思う。

園子のホストファミリーは間違いなく私が高校時代に出会っていた古文講師のワカエさんと英会話講師のリチャードだった!

すごい偶然というか何というか、世界は小さく、狭く、運と縁で結ばれていると強烈に感じたことを良く憶えている。

その思いは長岡造形大学に勤めている現在も同じ。出会う人々は以前もどこかで出会っていたのでは?と思うような顔立ちをしている。教職員や学生の方々の中に、知らないようで知っている様な人々がいる。人との出会いや運と縁をとても不思議に感じるのは昔も現在も変わっていない。

2022年9月3日 立教、東大、三四郎池

つい先日、まとめて用事を片付けるために雨の中、母校の立教と東大を連続で訪れた。ついでに三四郎池にも何年か振りで行ってみた。どちらも何らかの理由で年に1回は訪れることになる。2つの大学を同じ日に訪れることは今まで一度も無かったが、丸ノ内線を使うとかなり近いことに驚いた。猥雑な街だった池袋は今ではかなり綺麗な街並みになっている。しかしどこかB級感が残っているのが懐かしい。一方、本郷は勤勉な空気が漂う文京区で大学の近くまで行くとお馴染みの薬局から漢方薬の匂いが漂ってくる。全く異なる街だがどちらにも私の本質に響く要素がある街だと思う。それを言うならば長岡もそうだ。雪国に暮らしていなかった私が言うのも何だが、雪に閉ざされても粛々と我慢しながら事を達成する粘り、我慢強さが培われる場所。それは長岡だけでなく雪国には共通なのだろう。雪国出身者の決して大きな事を言わず、ひたすら不言実行を貫く姿を沢山見てきた。雪景色が美しいのはその風景には見えない(家に居る)人々の存在があるからだと思っている。

別の意味で見えない人々の存在を少し感じたのは三四郎池でのこと。雨が降っていたので足元に気を付けながら下へ下へと

降りて行くのだが、雨だろうと晴れていようと三四郎池は樹々が鬱蒼としていて薄暗いのだ。浅い谷の底に三四郎池はある。

その日は雨で誰もおらず、私独りが三四郎池を眺めていた。いつもそうなのだが2,3分は心が落ち着く。三四郎池の静寂は

心地良いのだが何故か5分以上はいられない。見えない誰かが順番待ちをしている様な感覚。直ぐに帰らなければならない気がしてくるのだ。久しぶりの今回も全く同じ。不思議だ。

2022年9月6日 長岡はまだ暑い フェーン現象らしい

9月に入っても長岡は暑い。もう慣れたがやはり暑い。誰も外を歩いていない。私は現在研究室で涼みつつ、授業準備、研究などやること山積み状態は相変わらず。この後、アオーレに打ち合わせに出かける。大学はまだ夏休みゆえ静かなものだ。学生も殆ど見かけない。平和と言えば平和。長閑と言えば長閑。退屈ではない私はこんな暑い日には研究室で少しでも涼しくなるように八神純子の「みずいろの雨」を流してみる。昭和はあまりに遠い過日。歌詞の内容に時代を感じる。歌詞の内容の

世界はもう存在しない世界。作詞家の三浦徳子は青森県の出身で昭和24年生まれだから終戦直後の生まれ。私はその歌詞を

昭和53年に聴いていたという訳だ。タイムトリップしてしまう。部屋に帰ったら早い時間に一度睡眠を取り、夜中から仕事を再開しよう。

 

2022年9月7日 明け方の4時に考える

諸々の仕事をしていたら、明け方4時になっていた。

外資系ハイファッションブランドのローカルヘッドに就いたJ氏から昨日メッセージが届いていた。内容は日本人の英語力と

仕事能力の低さを指摘するものだった。それはもっともな話だと思う。仕事能力の低さはDXが進まない事と、進められない

マインドにある。日本人が英語とスピードに非常に弱いのは伝統的なのだ。何十年経とうが治らないし、向いていない。

ただしZ世代以降には可能性がある。自動翻訳機が同時通訳レベルになってくるからだ。苦手なことを克服するよりもテクノロジーに頼った方が良いに決まっている。同時通訳機を毎日使うようになれば英語力は楽にアップするだろう。それくらい簡単に考えて良いのだ。

2022年9月9日 夜中の2時~朝の7時までは仕事が捗る魔法の時間帯

人間が集中出来る時間は長くても90分で、それ以上はパフォーマンスが落ちてしまう。私の経験上、45分で休憩を10分以上入れつつ3時間までは仕事(研究も含む)が集中できるが、それ以上は無理。無理に継続すると翌日に影響が出るので絶対にしない。ただし夜中の2時~7時は別。ノンストップで5時間ぶっ続けで仕事(研究含む)が可能な魔法の時間帯だ。注意しなければならないのは、この時間帯を使う場合、翌日はかなり休憩が必要になる。連日魔法の時間帯は使えない。一週間に2回までが

ベストである。ヘビー級の分析や提案が必要な仕事は、一度早い時間に寝て夜中の2時~3時に起きて開始すると7時までに一気に仕上げられる。それからまた少し眠れば良い。

今日は9月9日、重陽の節句である。大人の女性の雛祭りの意味がある。毎日の中に季節感を感じるよう心掛けている。

英国のエリザベス女王がお亡くなりになった。これからの世界は女性の時代になって行くだろう。男性は女性をサポートし

続ける世の中になる。私はそれで良いと思う。以前からずっとそう思い続けてきた。

2022年9月10日 大学祭

今日は長岡造形大学の大学祭で、私は教員の当番として事務所に詰めている。大学祭がどんなものやら分からなかったが今年は規模が小さいとはいえ、面白い。結構楽しめる。そしてマンガやイラスト、アクセサリー、Tシャツなど色々売られていて

買いたくなったものもあったので後で買おうと思っている。この大学には私が授業やゼミ、研究室で出会っていない学生が沢山いるが、そういった学生をもっと褒めたくなってしまった。皆、素晴らしいのである。授業の課題で見ているだけでは気付けない各々の素晴らしさを大学祭でも知ることが出来た。当番で詰めなくてはならないのに大学祭をずっと見て回りたいという気持ちになった。そしてもっと学生と話し込んでみたいと感じたのだ。そういえば授業以外で学生と話す機会はそれほど多くは無い。学生は大学時代の4年間、課題やバイトにも追われ、教員も学生も互いにどれだけ話が出来るだろうか。限られた時間だからこそ大切にしなければならない。2度と戻らない時間で非常に貴重だと日々感じている。大学祭は明日もあるが私は

出張で東京に行くので観られない。残念だ。過ぎ去っていくこの夏の日々の後にはすぐ秋がやってくる。寒い。既に心に寒さがやってくるようだ。

2022年9月13日 残暑と男子学生

9月も中旬になろうとしているが強烈な残暑がある。長岡も30度以上ある。大阪は35度らしい。長岡造形大学の校舎は夏の

間中、工事用のベールで覆われ息が出来ないような様子だった。しかしそれは観ようによってはアートに見え、私は気に入っていた。大学構内は基本的に夏休みは静かで閑散としている。時として何らかの理由で学生が研究室に訪れることもあるが

稀なことだ。女子の学生比率が高いので研究室に来る学生の100%が女子である。男子学生が研究室訪問してくる場合はほぼ

皆無。なので私にとって男子学生が何を考えているか理解する機会は無いのである。女子学生は自分の考えや話しを伝えることに慣れていてハッキリと言いたいことを言ってくるからその点では分かり易い。中には婉曲的に話をする女子学生もいるが言葉の間にヒントが入っていてむしろ何を言いたいのか良く分かる場合が多い。私は男子学生に対して価値のある情報や考え方を提供出来ているのだろうか?後期はここをジックリと考えてみたい。

2022年9月17日 シャネルを紡ぐ手 アンヌ デュ バンディエール 

上記の写真は9/12に出張で行ったシャネルネクサスホールでの展示。

シャネルのブランドを手掛ける各種工房の職人の手元を写した写真展である。1つのブランドを形成するのに多くの全く異なる技術を持つ職人が携わっている。ブランディングとは何かを考えると全く異なる世界を統一できる「眼力」だと思う。例えばスカートのプリーツという言葉一つに職人のジャンルがある。何気なく眺めて気に留めることの無いプリーツだが、良く見てみるとそこには職人がいる。プリーツは目的ではなく手段。何のための手段かと言えば美しさと、軽快な動きを出す機能性の2点。その美しさと機能性にも多くのプリーツによるバリエーションが在る。靴で言えば、パンプスというジャンルに職人がいる。パンプスの語源はポンプ。馬車の御者が履き口が広い靴を履いていて、その足でブレーキペダルを踏む様子が手押しポンプと似ているからだ。何故人はパンプスを履くのか?ハイヒールではなくパンプスを履いている人は何故なのか?ちなみにハイヒールはパンプスであってヒールが高くなっているだけなのだ。ファッションは哲学であって、何気ない装いにも着る人の哲学が出るもの。そこの意識がある、無いの差は確実に出る。つまりファッションとはハイコンテクストなコミュニケーションであり、見る側(読み取る側)にも高度なリテラシーを必要とする。機能重視のユニクロファッションが流行っている昨今はスピード時代に相応しい。ファッションでコミュニケーションを取れるハイコンテクストを読み取れる人々が少ないからローコンテクストで互いに理解し合う世の中になっている。一方でインスタグラムのようなハイコンテクスト(言語ではない写真ゆえ)を大量に

見て瞬間判断するメタハイコンテクスト時代でもあり、ややこしい。

*左の写真は私の好きな紀尾井町の滞在先から撮影した都心の風景。

2022年9月19日 そろそろ後期の授業が始まる

授業準備など、諸々忙しい毎日。体調管理が重要だ。台風が九州方面で暴れている。昨日は台湾で地震があったようで津波警報が出ていた。昨年の日記(このブログではない)を読み返してみると同じように後期の授業準備をしている。特に昨年の

今頃は大変な忙しさだった。初めてのマーケティング論準備は大変だった。今年はその貯金もあり少しは楽になるだろう。

しかし、少しは楽と書いたが昨年比であって普通の感覚から言えばかなり忙しい。仕事があるのはありがたいこと。

それは健康で体力があるから成立しているのだ。体力が無ければ質量高く仕事をこなせない。常にコンディションを最高に

しておかねば。秋はそれを徹底的にキープする修行の時期だと思っている。自分が以前に体調を崩したことは何度かあるが

秋が多かったように記憶している。夏から秋、秋から冬へと移る季節の谷間で健康に注意して行こうと思う。

2022年9月21日 目黒雅叙園百段階段イルミネーションアート

https://www.hotelgajoen-tokyo.com/100event/wanoakari2022

先週、目黒雅叙園に行って百段階段で催されている

「イルミネーションアート 和のあかり2022」を

観覧してきた。百段階段は、時折アートイベントを開催しており、今迄も何度か訪れているが今回も良かった。非常に涼しい館内で予約制のため混雑が全く無く、静かに観ることが出来た。次から次へとアーチストたちの作品が階段を上るごとに出現して別世界を魅せてくれる。灯りと音楽、オブジェ、そして室内の温度、全てが調和されていて百段階段を

2往復してジックリと観た。階下のショップでは展示作品が商品化されていてビジネスセンスも感じられた。雅叙園自体が起業家の細川力蔵によって創られたものだけに、ビジネスとアートが自然にマッチングしている場所だ。

2022年9月21日 健康診断

年1回受診する健康診断を朝7時に受けてきた。健康管理センターまで徒歩12分ほど。朝の6時台に歩いていると出くわすのはジョギングしている人、犬の散歩してる人、早朝から通勤の方々などである。バスの車庫ではバスの洗車が行われていた。朝の稼働前準備の光景は見ていて気持ちが良い。同じように夕暮れから深夜のビルの窓に光が灯っているのを見るのが好きだ。誰かが働いているのを感じるからだ。その誰かは知らない人であっても自分のために、そして誰かのために働いているのであって世の中が周っていると感じられるからだ。自分が世の中を廻しているなどとは思ったことは無いが皆で世の中を廻していることは実感したい。特に長岡造形大学の学生達とはそれを感じ合いたい。いつか一緒に仕事をしたいと思わせてくれる学生達で私の夢でもある。

*写真は目黒雅叙園イルミネーションアートから

2022年9月21日 大学のエントランス

入口はとても重要。建物の「顔」だから。確かにエントランスの金属の塗装が剝がれているのが気になっていた。それが綺麗に塗り直されている。相変わらずベールに覆われているNIDだが顔が化粧されていて良い感じだ。私も気分が良い。

今日から涼しくなってきた。秋の虫が鳴き始めている。

卒業研究の中間発表が終わると、2022年度が最終コーナーに差し掛かる。早い、早すぎる・・・・。

NIDも外見から変化している。誰もが変化し、旅立つのだ。

 

私も夏前と今ではアップデートされて、以前とは全く違う

自分になっている。年齢ではない。経験と実績は積み上がれば上がるほど進化する。年配者の弱点は自分が出来上がっていると思い込んで新しいチャレンジをしなくなったり、同じことを繰り返すこと。また同年代とだけ話す環境に浸っていると麻痺し劣化する。私が得たコミュニケーションスキルは若者達に負荷をかけずに学ぶことだ。負荷をかけずにとは、こちらから質問をせず、聴き側に徹すること。

若者達の方が私より優れている点が多々ある。彼、彼女らの話をしっかり聴き、良く観察して学ぶのだ。同じ日本に暮らしていても自分とは全く違う時代、文化を生きている若者達の考え方、行動の意味を理解すると、どれだけ自分より優れているか分かってくる。どれだけ過酷な道をサバイバルしていることか。そして年配者も若者の過酷な道のりと関係無い訳が無く、同じような過酷な未来を共有して行くのだ。

それはチャレンジ精神を刺激してくれる良い未来だと思う。

2022年9月23日 寒くなってくると心に灯がともる

「負けず嫌い」という言葉がある。私自身も若い頃は「負けず嫌い」だった。(主に仕事の話)しかし若い頃は負けることが多く、それでいてやはり「負けず嫌い」が増長していたと思う。年齢を重ねると戦い方にも慣れてきて戦場を選ぶようになり負けが以前より少なくなると「好戦的」な人間となった。好んで戦いに出て(チャレンジして)多少負けても勝ちが優っていればOKという発想になった。体力勝負の時代だった。更に年を重ねた現在は戦闘の場を超重要地点だけに絞り全勝する戦略。

しかし効率よく勝利出来るようになると味を占めて戦いの場に出て行ってしまう。そして体力は相変わらず必要になる。

懲りないなあと自分でも感じる。以前のような「負けず嫌い」の感情は無くなったが、その頃の姿勢が現在のエネルギー源に

なっている気がする。当時に作ったエンジンが現在も作動しているような感覚だ。「負けず嫌い」は尊い感情だと思う。

2022年9月25日 日本橋高島屋 「百貨店展」

今回の出張は、タイトルの通りだ。高島屋の中に在る資料

展示室は小さいながらも貴重なデータで溢れていた。

百貨店は登場した当時はイノベーションであり、長らく最新のテクノロジーを提供する場でもあった。屋上の遊園地へ

海外から輸入した象をクレーンで吊し上げる映像を観てとんでもないエンターテインメントを提供していたと感じる。

冷暖房完備は個人宅にはまだ無い最新テクノロジーだった。

そのように何でも置いてあって最新設備の百貨店は魔法の城の様な存在だったのだろう。自分が子供の頃にはその面影は確かに在った。屋上から徐々に降りて全階の商品を魅せるシャワー方式は現在のWebサイトのUI/UXにも通じる。映画での重要シーンでも屋上が使われ、PRもシッカリしていたようだ。古くないどころか当時の最新広報は現在でも参考になる。個人的には銀座より商人のおもてなし気質が漂う日本橋の方が、気が良くて好きだ。

2022年9月29日 授業がとても良い

私は授業が好きなのだと思う。どの授業であっても楽しみなのだ。その理由の第一は、学生が授業に関して真面目な姿勢で

取り組んでいるからだ。学生から提出される課題の作品を前日にチェックして当日の授業に臨む。全てをチェックするのに

かなりの労力が掛かるが苦にはならない。アイデアからエネルギーを貰えるからだ。今日はそういった授業だけでなく、コンサルティングの仕事が2件と、卒業アルバムの撮影があった。体力をかなり使ったので、現在22:10だが既に眠い・・・・・。

睡魔に襲われている・・・・・・・こんな時は、谷山浩子さんの「催眠レインコート」でも聴くか・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=32yOwbog4S0

2022年10月1日 9月が終わった

アントニオ猪木さんがお亡くなりになった。私が子供の頃のヒーロー達が次第にお亡くなりになって行く。無敵の存在、アントニオ猪木でも寿命には勝てない。宇宙レベルの時間速度から比較すれば人間の一生は一瞬。80代も20代も変わりは無い。

しかし人間レベルの時間速度で考えれば、80代と20代は人生の晩年と序盤になる。でも思うのだ。結局は生きている間に

どれだけ悟れるかで、年の多い少ないではない気がする。私は年を重ねる度に年を気にしなくなっている。年齢に抗うつもりは全く無い。新しいことへの知識欲や体験欲が非常に強いので学び続けているだけだ。モノゴトは分っている気になったり、慣れて行くにつれ新鮮味が薄れて飽きる。慣れというものは良くもあるが進化にとっては気を付けるべきもの。

たまたまネットサーフィンをしていたら30年以上前にCM撮影でお仕事をさせてもらったタレントさん(現在は女優、歌手)が

昨年結婚され、しかも30年のアニバーサリーコンサートを開いていたと知った。その時の映像を観たら素晴らしく、昔と変わりない元気、パワーに満ち溢れていた。楽曲を何曲も披露しており、さぞかし準備も大変だったろうなと感激。その命を賭けている仕事っぷりを観ると魂を揺さぶられる。

2022年10月2日 円楽さんがお亡くなりになった

昨日のアントニオ猪木さんと同じ時期、円楽さんがお亡くなりになった。時は経って行く。毎日が過ぎて行く。皆、一緒に生きているし、生きて行くのだ。今日は日曜日で、長岡造形大学では総合選抜入試が実施されていた。高校生が受験しに来たが受験が終わると大学の敷地内は受験生の多くの家族が迎えに来ていた。誰にでもこのような受験体験があるもの。いつか見た風景、毎年繰り返される風景だが、いつも神聖な感じがする。初心を想い出させられる。誰もが今を走るのみだ。そして割と多くの人が今、そこそこ頑張っていると思う。入試が終わると今日の午後は気持ちの良い風が吹いていた。部屋の冷房は付けずにベランダの窓を全開に開け、樹々の葉が風に揺れる風景を眺めていると自然に美しいなと感じる。これが幸せなのだ。

2022年10月6日 Jアラートが機能しない?→茶番です

世の中のニュースは殆どが大衆操作。北朝鮮のミサイル脅威を国民に伝えて超高額防衛装置の購入を正当化している。その

莫大な資金を使う事で潤う業者、仲介者がいる。しかし、そんなことよりも大切な日常の幸せは確実に在る。そのような茶番など全く関係のない人々が沢山いて、素敵な気持ちで暮らしている。純粋な気持ちで知らないで良いことは知らず、知るべき目の前のことに集中する。それで良いのだ。日々、大学生に接していると毎日を生きることに集中する尊さを改めて感じる。

自分も日々、リセットされ翌日を迎えることが出来るから。ありがたいことです。長岡は少し寒くなってきた。昨年は10月20日に暖房を点けたので、今年も同じくらいだろう。

2022年10月10日 静嘉堂文庫美術館への出張と明治安田生命本館

丸の内にある明治安田生命本館の中に静嘉堂文庫美術館が在る。歴史的な建造物の中に展示される名宝の価値は言うまでもないが、ついでに観ることのできる明治安田生命本館のかつての執務室の数々・・。歴史を纏った空間は現在でも当時の残り香がするようだ。その歴史を残したまま、階下を見下ろすと現在のワークスペースでは休日勤務の方々(全てが女性だった)が普通に働いておられた。この空間に勤務出来るだけでも価値がありそうな職場である。近代日本を創った人々が欧米視察に

出かけその成果を具現化し、一丁ロンドンと呼ばれた丸の内界隈は三菱財閥の建造物が残る。固く朽ちることのない建造物はその偉容のままに、そしてその周辺に生きる人間の中身は大いに変化している。建物のあちこちに点在するガードマン達の

多さよ。彼らは歴史の番人の様だった。展示品から調度品に至るまで、それら全てが私が生まれる前から存在し、現在まで

大切に保存され、こうした展示により陽の目を見て出会うことが出来たモノ達。その歴史の重さに眩暈がする。

2022年10月11日 リ・ブランディングの課題

長岡造形大学には全国津々浦々から学生が来ているため、その彼、彼女たちの地元企業の商品、ブランドは多様極まりない。

55年以上生きているが、日本各地のブランドは知らないものばかりだ。学生達から地方ブランドの和菓子、日本酒などを聞いていると味わってみたくなる。それらブランドの多くは若者達に知られていないという課題を抱えている。知っている者はその素晴らしさを体験しているが、その熱量を知らない人に伝える技術、企てが必要になる。あの手この手を考え抜いてヒントを見出すのだ。ターゲットである自分と近い世代にもヒアリングするのが良いだろう。自分の脳みそを駆使しながらも他人の脳にも尋ねてみることだ。私にとっては学生達からの情報は宝物。日本の地方にあるブランドを知るだけで人生が豊かになる。しかし授業の課題が地方ブランドのリ・ブランディングだからそのようなことを知れる訳で、この課題が無ければ私は地方ブランドを知る由も無いのだ。学生同士も然り。お互いに話し合うから知ることができる。そう思うと現在のニューヨークやサンフランシスコの驚異的物価高と賃金上昇は、真逆の現象に思えてならない。人々の間に格差が生じ、それによって価値観が断絶しコミュニケーションに障害が出てくる。暴力や犯罪も増えて行くだろう。この長岡で私は思うのだ。この時の流れと、人と人が自由に学び議論する空間がかけがえのないものだと。そして日本の若者というブランドも、リ・ブランディング

の必要がある。その素晴らしさがもっともっと知られて良い筈だから。そう書きながらリ・ブランディングされたブランドを

見る前にブランドがリ・ブランディング出来る可能性を察知する能力、リテラシーも必要だと思う。誰もが伝えることに躍起になっているので自ら情報の価値を見つけて感じる野生が弱くなっているとも言える。

2022年10月12日 久しぶりに文学の力について

私の本質は経歴にも出ている。経歴は事実であり嘘をつかない。私は文学部出身なのだ。文学が好きで文学部を選んだ。裏を返せばサラリーマンになりたくない人間だった。サラリーマンや勤め人、公務員と言った職種、職業に関心が無い人間だった。しかしいざ就職する時には文章を書いて生きていける企業を選び広告会社に入ることになる。学生時代に文学は経験したことの無い世界(フィクションではあるが)を縦横無尽に行き来する楽しさに浸っていたのだが、55年以上生きていると経験したことと似たシチュエーションの文学に出会うことも多々ある。するとフィクションの文学がリアルな日常で参考となる場合がある。これが最近私が文学に対して感じていること。事実は小説よりも奇なりとは良く言ったもので、私の人生には小説よりも面白いことや不思議なことが起こり続けている。リアルライフでは解決策など浮かばない場面が出て来る。そのヒントをフィクションの小説に見出すことがある。それを今、文学で体験しているところ。もう一つ忘れないように書いておきたいのは、大学生は非常に文学的ということ。私にとって大学生の存在は理解し切れないためにフィクションと似ているのだが、実際には大学生から意見やアドバイスを貰って取り入れているからだ。そう、フィクションをリアルに活用させてもらっている。最終的に私が信じているのが文学であり大学生であるというのも共通している。

2022年10月17日 立教大学の箱根駅伝出場に想うこと

毎年、年始に箱根駅伝をテレビ中継で観ているのが唯一の正月らしいことなのだが、来年の楽しみは立教大学が箱根駅伝に

出場することだ。何と55年ぶりの快挙とのこと。私が生まれた頃に出場して以来なのだ。さ来年は立教の誕生150周年記念で

その時を狙って箱根駅伝出場の準備をしてきたようで1年前倒しになった。モノゴトは全て対策と準備で完遂できる。もちろん口で言うのは簡単だが、それを実行すればそれだけのことは必ず出来るもの。私も自分自身の至らぬ点を日々、1つずつでも改善、改良し、無いもので必要なものは学んだりしながら身に付けるようにしている。生きている限りこれらを怠ると劣化の一途を辿って行く。大学生達との対話、議論から私が修正すべき点を見出すことができる。時には大学生側から指摘あり、

これは非常にありがたいことで最重要だと認識している。常に自戒と自省をしている。

2022年10月19日 多忙を極める今日この頃

気が付いたらとてつもなく忙しい。妥協なく仕事をしているとそうなるのだが、最近少しスケジュール間違えが発生するようになった。これは危険な兆候なので注意しよう。年内の修行がピークに達しようとしている。この急勾配を乗り越えてやっと山の向こう側へ行ける。一踏ん張りせねば・・・。いや二踏ん張りは必要で、三踏ん張りまで行く可能性もある。

こんな時だからあえて読書する。時間をかけて文学に浸ると気持ちが落ち着いてくる。先人が残してくれている心の道筋が

文章で表現されている。文字と文字の間がタイムマシンへの入り口になっている。それは小説の中の時空と作者が書いている時空の二重層になっているのが見えるからだ。どんなに忙しい時も文学の時空を遊覧できると忙しさを忘れてたっぷり時間を感じれらる。また違った切り口での読書では、学生への推薦図書をどの本にするか決めるための読書がある。長岡造形大生が社会人になる前に読んでおいてもらいたい本を探す読書。これは自分の価値観と長岡造形大生の価値観で両方が当てはまる

内容だと思えるものを選出する。これが簡単ではないのだがヤリガイがある。

 

2022年10月20日 暖房を入れ、健康を気にかける

昨年同様のこの時期、暖房を入れ始めた。これは研究室と長岡自宅の両方で同じタイミングだ。今日の午前中の授業が終わったら午後に予定していたことがあったのだが、今年に入ってからたまに起こる胸痛が発生した。今までは20分~30分で治まっていたのだが今日は数時間続いた。立っていられないので寝込んでしまった。これで午後の予定はキャンセル。夕方になってやっと普通レベルに回復したが油断できない。明日の状態を観察することだ。明日には出張を入れていたが再検討する必要があるかもしれない。やはり健康によって全てが影響を受ける。何よりも健康が大切だと痛感させられる。これから寒くなるので要注意で暮らして行こう。

 

2022年10月22日 注意しようと言っていた矢先に、体調不良に!しかし今日、回復!

やはり忙しさのピークだったようで10月20日に激しい胸痛が発生、翌21日はずっと寝て、やっと午後に起き上れたため大学の

医務室に行った。熱が37.8度あり即病院へ行くことに。K病院までフラフラしながら歩いて辿り着くと、発熱患者は車で来た人だけ対応とのことで診察されず愕然となった。そのまま帰り道にあるエールホームクリニックは即座に対応してくれてPCR検査も実施。結果陰性で胸痛は大したことが無いとの診断だった。エールホームクリニックは明るい院内で勤めている人の性格の良さまで滲み出ていた。フラフラと弱っていたからこそ、その慈悲の空気を切実に感じられた。助かった・・・・。

そして本日は朝から回復している。油断はできないが。辛いことがあった後は良いことが必ずある。そう、実際にあった。

コロナで長らく連絡が取れていなかった方から久しぶりのメッセージが届いた。ありがたいことで元気をもらいました。

2022年10月24日 完全回復して感じること

体調が悪くなると独り暮らしは大変だ。今回はコロナでは無いから良かったがコロナに罹ったとしたら買い物にも行けなくなる。健康があってこそ全てが上手く行く。逆に健康が保証されなければどんな実力や強運を持っていても意味が無い。

ちょうど寒さが強まる時期でもある。21日と22日は1日に2回風呂に入って体温を調整していた。しかしこのように一度体調を悪くすると気を付けるのでまた健康に戻るのだ。体調不良の原因は多忙による疲労蓄積から免疫力が落ちたからだろう。ただ

胸痛の原因が不明。さて休息を十分に取りつつ超効率的に仕事をするとしよう。結局仕事量は変わらない。効率を更に上げるのみ。我ながら仕事が好きで仕方ないことに呆れる。原信で買い物をしていても商品チェックは自分の買い物とは関係なく

マーケティングデータとしてのものだ。だから私は買わない商品の前でその商品を異様にチェックしている。しかし毎日チェックしていると霊感の様にマーケ感が鋭くなって市場で何が起きているのか商品の並びから分かってしまうことすらある。

今迄納豆コーナーに並んでいた焼肉味のタレ納豆と、ウナギのかば焼きタレ納豆が姿を消していた。マーケティング論の授業内で不味いという情報が出ていたものだ。これは一定期間は目立って売れていたもののリピーターが付かず棚から撤退することになったと思われる。この仮説を裏付けるため原信に電話調査してみよう。→原信から連絡あり、ウナギのかば焼きタレ納豆は夏の期間限定商品で、焼肉タレ納豆はバイヤーが仕入れを止めたとのことらしい。つまり売れなくなったのだろう。

味をチェックして無かったことが悔やまれる・・・。

 

2022年10月27日 多幸感

頭の良い学生達、それは長岡造形大生のことである。彼、彼女達に毎日感じているのは頭が良く素直で謙虚。そのような学生達に恵まれ私は日々幸せを感じている。学生の課題に対する作品を見たり、グループディスカッションを聴いたり、学生達からの意見を聴くにつけ、発見や驚きがあり未来への示唆まで感じられる。これほどの健全な知的インスピレーションに浴していられることの多幸感たるや何事にも代えがたい宝だ。もう何もいらない。この知的環境があれば未来へ貢献できる教育、研究、地域活動に全てを捧げられると思っている。未来に対して私が出来ることは無限大にある。学生達がいる限り、私は今まで以上に私に期待しているのだ。

2022年10月30日 東京出張で得られるもの

私が東京に居る場合は出張の場合が半分くらいある。この出張が非常に重要で最先端の美術展の中でも自分が厳選し、見ておくべきものを全て観覧している。これによってアーチスト、作家達の企ての言語化、美の在りようの言語化、思想の言語化といった修行となる。偉大なる作家達の仕事を言語化するには解釈するための予備知識(逆にそれを準備しない場合もあるが)や歴史的背景など多大な教養が必須となる。なので出張前は移動時間を含めてその準備に時間がかかるものだ。先日は体調不良に陥った中でそれを実行したため非常に大変だった。アートを理解するためには体力、健康も重要なのだと痛感した。健全な精神と肉体を維持していないとアートを感じることは困難である。

2022年10月30日 弥生美術館 「楠本まき」の仕事展

東大の弥生門を出ると直ぐに弥生美術館に出会う。大学院時代には入ることがなかった弥生美術館に出張で行くことになり

初めてその中に入った。目的は同世代の漫画家、「楠本まき」の展示を観覧するため。最近特に感じていたのは繊細な線や文章を見るのに老眼がキツく観るのが厳しくなってきたということ。と同時に繊細な線や文字は若者に向けて創られた作品だと気付く。若い眼には繊細さや淡い色彩を見極めるだけの細胞と集中力があるのだ。それと同レベルに理解するには視力や集中力を落とさずに維持する必要がある。これは至難の業だ。ある年齢に達すると聞こえなくなる周波数域があるらしい。それと同じように高齢になると視力が弱くなり見えなくなることで気付けないアート感覚があるのだろう。そこには諦めも必要だ。

とはいえ、それらに抗うだけ抗って細かい線画を食い入るようにして目に焼き付けてきた。楠本まきの漫画はコマ割りの無い

体裁の本があり、独特な味わいを醸し出していた。作品の印象は繊細な線画に、考え抜かれた言葉を添えているというもの。

紙芝居に近いものを感じた。世界観を伝えるにはメディアを何にするかは重要だ。更にはそのメディアの質感、手触りまで。

本というメディアを最終形とするならば全ての要素が世界観を構成する。電子書籍とは全く異なる。NETFLIXなどがあっても

映画館に行く人々は沢山いる。それと同じで紙の本は、よりそのメディアに相応しい作品を呼び込み続けるだろう。若者達の間にレトロブームが流行るのも分かる気がする。

2022年11月1日 11月の予感

年末には予感が鋭くなる。11月に入ってから良い知らせがやって来る予感がある。それは年内にやって来る。それによって

年末年始は気持ち良く過ごせるだろう。それはそうと、研究と教育の速度を高速化しなければならないと痛感する毎日。

世の中の変化を取り入れ、即座に教育や研究に展開して行くためには自分の学習スタイルを更に高速アップデート化せねば

ならない。仕事(=研究)はリアルタイムに進行するから良いとして、10代、20代が摂取している情報と同レベルの情報摂取が最も難易度が高い。これに関しては大学生から吸収するしかなく、その手段はゼミや研究室、ホームルームになるだろう。

2022年11月6日 56回目の誕生日

上記写真は先日の出張時、銀座エルメスのアートギャラリーでの展示の様子。病み上がりでの観覧だった故、写真アップが出来ていなかった。この歳になるとハッキリ言って個人的に欲しい物質的なモノは無い。知識欲、知恵欲は旺盛にある。未来を創るために若者達と研究をしたり、学び合ったり、仕事を一緒にすることが最高の喜びだと答えは出ている。地方創生、日本の国を良くして行きたいと大きな思いが湧いてくる。この国で幸せに生きて来られたから自然にそう思うのだろう。綺麗ごとではなく本当にそう思えるようになった。それは日々、共に学び合う大学生達のお陰である。人のことを考えない人間だった私が大学教員となったことで大学生とコミュニケーションをスムーズに取れるように工夫を凝らして(現在も進行中)生きている。そこから学び得られるエネルギー、希望、未来の感触が素敵だから私が変化したのだと思う。56歳の誕生日に浮かぶ

言葉は「感謝」が相応しい。大学の教職員の方々にも感謝である。今日は天気の良い日で、私は汐留、銀座、勝どき辺りを

散策して過ごしていた。

2022年11月8日 虹が出ていた

大学に向かう途中、物凄く立派な虹が出ていた。この後、

にわか天気雨が降り研究室に到着するとリュックサックを忘れてきたことに気付き、取りに戻るという失敗があったものの良い虹だった。良いことが起きそうな気がする。

何故、人は虹を見ると良いことを思い浮かべるのだろう。

逆もあり得ると思うのだが。今日は皆既月食と冥王星食で5000年に一度の天体らしいが、虹を含めて意味があるのだろうか。やはり虹は素敵なことを予告していた。この日は

良いことが立て続けに起きた日だった。研究室メンバーからサプライズのバースデーケーキプレゼントがあり、感動!!そのようなことが人生に起こるとは思ってもいなかった。

研究室で皆でケーキをいただきました。その余韻を引っ張りながら帰宅すると良い知らせのメールが届いていた。

頑張っていると必ず良いことがやって来る。

2022年11月14日 最近気になって仕方が無いコト

それは「SHEIN」。マーケティングの最先端、SHEIN。それは絶対的に注目せざるを得ないアプリサービスなのだが、今朝のニュースでSHEINの店舗が遂に原宿に進出したとのこと!!これは出張してでも行かなければならない。マーケティング論の授業にSHEINの最新情報を届けなければならないだろう。あと些細なことで気になっているのはUQワイマックスのキャラクター、青と赤のガチャピンとムック。これが欲しくてたまらない。イオンかリバ千に行った時に、UQのブースに青と赤のガチャピン、ムックが何体も飾ってあり欲しくなったのだ。そもそも研究室にスポンジボブと仲間たちのぬいぐるみを置いたら、もっと置きたくなる衝動が沸き起こり、抑えていたが抑えきれなくなってきていた。何故抑えきれないかというと気分が上がるからである。前向きなヤル気が沸き起こること知ったからだ。おそらく好きなキャラクターぬいぐるみに囲まれていると仕事や研究のパフォーマンスが格段にアップするんだと思う。そしてテレビ番組(NHKか?)でスポンジボブのアニメが先週放映

されていたので観てしまった。相変わらず面白く、そこでもテンションが上がってしまった。それ以来テンションが上がりっぱなしなのである。早めにキャラクターのぬいぐるみを追加補充しようと思っている。

 

2022年11月14日 過去のコンテンツの再来と最新コンテンツの攻防

youtubeでありがたいことに大昔のアイドルの歌謡曲が沢山アップされている。それらは当時ですら知らなかったマニアックな楽曲を現在になって聴くことが出来る。特に驚いたのは誰かが編集してシングルB面だけ集めたコンテンツがあり、更に作詞家、作曲家別にもなっている。例えば高田みづえのB面は殆ど知らない曲だったが、良い曲ばかり。うーーーーん、唸る。
https://www.youtube.com/watch?v=OQNfwg9QBy4

凄い時代だ。タイムマシンである。本人だって驚いていると思う。こうなるとAIの相棒を持つ時代は直ぐそこだ。自分のAIを携えて常に最新情報をAIから仕入れ、議論し、お勧めを聴くのだ。パートナーAI、間違いなく必要になるだろう。

2022年11月17日 川崎レナさん(17歳)、国際こども平和賞

大人が諦めていることを世界に向けて「変えて見せる」と発表して国際こども平和賞を受賞した川崎レナさん。彼女の英語スピーチを見たが力強くて素晴らしい。議会で居眠りをしている年配の政治家達を糾弾していた。このような若者と一緒に仕事やプロジェクトをしていきたい。心からそう思う。生きているからには何からも諦めたくない。諦めるとは、未来がある自分や社会、世界対するハラスメントだから。大人の政治家がガッカリさせてくれることに慣れた私達だが、私達自身にも問題がある。私達が声を上げなかったからこうなったのだ。自業自得ということ。だから未来を変える力のある川崎レナさんや、

そのような若者達と一緒に仕事やプロジェクトを実施して行くべきだろう。間違いない。

2022年11月22日 月夜見さんの本「終わりなき魂を生きる」を読む

どれだけ忙しくても読書の時間は絶対に必要で、実際どれだけ忙しくても読書してしまう癖は無くならない。自宅に帰ると

予約購入していた月夜見さんの本が届いていた。一気に3分の1ほど読み込んでしまった。今までスピリチュアルな世界をここまで分かり易く言語化してくれた人はいない。その意味で発想が広がる非常にクリエイティブな本であった。人は誰でもクリエイティブな感性を持っていると思っていたが、それは魂レベルで誰もが繋がっているからだと理解出来る。あの世もこの世も無いという感覚も現在の自分では良く解る。現世の自分の過去は既に前世に感じているから。そして現在が未来に繋がっていることが「今見えている」という感覚もある。物理的な肉体や空間があるから「見えている」ことが実現するまでに時間が掛かってしまうという感覚だ。そしてその本を全て読んではいないが、途中で夢を見た。その夢の内容は私自身のカルマが

何だったのかを教えてくれるものだった。とても簡単なことだった。私は人に見返りを求めてしまうエゴがあったのだが、

そのカルマ落としは大学の教員になって未来ある大学生に少しでも役立つ人になることであった。自分のことよりも大学生達のことを考えて実行することだ。最近はそれが少しは出来るようになってきた。

2022年11月24日 サッカーワールドカップ、日本がドイツ戦に勝利

ドイツは予想通りに強かったが、日本が先制点を取られた後に粘りと急激な猛攻を見せて大逆転劇を演じてくれた。凄い。

元気と勇気を貰った。日々、大学での授業準備と来年度の授業準備が忙しく隙間あまり無い状況だが充実している。学生達からは毎日、手応えを感じている。授業の課題に対するアイデアや作品からは起業出来るレベルのものが幾つも散見される。

そこから得られる発想、刺激に対して私が大いに学んでいるのは間違いない。長岡造形大生は宝の山だ。そしてまだまだ発掘されていない埋蔵金の様な学生達が存在していると思う。毎日発掘してもし切れない程いるのである。幸せな毎日だ。

2022年11月25日 サッカーワールドカップ観戦事情(大学生編)

昨日のコマーシャル演習の授業で、私のコースの学生全9名(全て女子)に、サッカーワールドカップの「日本×ドイツ」戦を

テレビで観戦したか?という私の問いに、答えは「いいえ(全員)」だった。誰もリアルタイムで観戦していなかったのだ。

全員がツイッターなどのSNSで翌朝くらいに知ることになったようだ。テレビを観ている層は、日本全国が観戦して湧きに湧いていると思い込んでいるが、実際はそれほどでもない。テレビ信奉者、視聴率信奉者(私もそうなのだが)と大学生以下の

若者達では住む世界が全く違うことを認識しなければならないだろう。この気付きが無ければ現世の正しい理解は出来ないのだ。時折、このようなチェックをして行こうと思う。私自身、マーケティングを専門とする者として若者調査は必須である。

そもそもテレビ視聴率はテレビは設置している世帯で取ったデータを基にしているが、大学生独り暮らしではテレビさえ置いていない者が多いという事実がある。信じられないことになっていると知ることが必要なのである。

2022年11月29日 新宿駅南口から渋谷区代々木へ

先日、久しぶりに代々木に行った。私は渋谷区は若い頃から苦手で余程のことがないと行かないのだが新宿を経由して行くと

苦手感が無くなるから不思議だ。特に新宿南口から甲州街道沿いに初台へ向かって歩いて行くのは気持ちが良い。良い気の流れを感じる。歩いていると小さな公園が幾つか出現する。そして少し甲州街道を逸れると一軒家の並ぶ住宅街になる。

その日は曇りでやや寒い日だったが、想い出すと寒さも曇りも感じず、むしろ明るい印象がある。現実に見て感じた風景と

想い出した時の風景は違うのだ。長岡が雪が降る割に、想い出す時にはその印象が薄いのも似ている。自分がポジティブ思考だからだろうか?毎年11月から12月の年末まで忙しくなる。実際に今も良い意味で忙しい。疲労は眼と腰にくるので注意しておこう。平和な正月を迎えるために。その前にクリスマスもあるけれど。そして年内に京都に行かねば。

 

2022年12月2日 12月に入って寒くなった

寒くなると当然身体が冷える。ただでさえ忙しい中に身体が冷えてくると体調が悪くなりがちなのだ。11月から12月は要注意である。実際に疲労が蓄積して体力が落ちている。こんな時は睡眠が最も重要。仕事をこなすには昼寝や早寝を小刻みに入れることだ。現在、夜中の0:20だが21:00~23:30くらいまで寝ていた。それで少し回復できた。肩凝り腰痛が酷い。加えて眼精疲労ときている。自分も良くやるなあー。学生のためには何でもできる。学生の頑張りにエネルギーを貰っている毎日で私の方が救われている。ただ少し疲れている。

2022年12月8日 綱渡りの日々

スケジュールとスケジュールの隙間を縫うように新しいスケジュールが入る。これは12月らしい綱渡りの感じである。これを

乗り越えられたら正月になるイメージだ。今年は予定通りのチャレンジをしてきた。自分でも良くやったと思える内容だ。

正確には予定以上に頑張った結果が出ていた。それによって来年の戦略が見えてきた。世の中を変えるイノベーティブな仕事をするのが自分の役目だということを実感する1年だった。そういう運命にあることを知り、またそういったイノベーションを起こせる若者達を育てることが使命なのだと悟ることが出来た2022年。クリエイティブ、イノベーション、パッション、日本のブランディングなどが2023年の自分のキーワードになることだろう。

2022年12月9日 そろそろ今年が終わろうとしている

今年の収穫は論文ではなく、大学教員になる前の自分の仮説が正しかった証明が出来たこと。これは論文よりも価値がある。

確信と悟りが得られたのだから。56年生きてきて、このような感覚は6回目だ。大きな節目に自分の仮説を立て、その証明のためにリスクを負う道を選んで来た。今までそれらの道は全て間違ってはいなかった。今回も正しかった訳だが、この正しさは非常に大きく広がって行くと感じる。大学と企業を連携させる試みがかなり上手く行き始めており、両サイドにとってのソリューションになっている。大学も企業も、あらゆる組織という組織は個人を評価するのを辞めた方が良い。チームワークで仕事をしているのに個人での成果評価などナンセンスなのだ。また個性の連携が価値を生むのだからチームやユニット毎に評価すべきである。減点法ではなく加点法で評価しなければならない局面ばかりだ。最新の価値が何か分からないと古い価値観からの減点法しか出来なくなる。今年は非常に気付きや悟りが多い年だった。全ては長岡造形大生からもたらされた。長岡造形大学は金、銀、ダイヤ、プラチナの鉱脈の如く、とてつもない人材豊富な大学だ。私が言うのだから間違いない。大企業や

一流企業の企画のプロ達に引けを取らないどころか、チームになれば長岡造形大学の方がレベルは遥かに上になる。

頭の柔軟性とチーム連携での作業スピードが凄いからだ。加えて雑念無く修行を積んできた精神性が企画、作品に宿るから。企業に言いたいのは、まとめて10名から20名を長岡造形大学から採用したら良いということ。資金が豊富にあるスタートアップも10名まとめて採用すれば即戦力のインハウス制作部隊が得られ、広告・広報活動もスムーズに出来るようになるだろう。夢の様な話が現実に出来てしまう。もっと驚くような話は沢山あるが企業(大学)秘密としてここには書けない。

2022年12月12日 イチニ、イニチの日

未来に向かって前進する音が聴こえるような12月12日だ。実際に未来へと進んでいる感じがとてもする年末である。今年の

成果を振り返る時期になり、大いなる成果を上げてきたと感じる。自分としては満足である。その先への仕込みも出来つつある。長岡でのイルミネーションプロジェクトが年末から開始されるため、その準備と実行が最大の山場ではあるが、それを越えたら年明けになるのだ。2023年は更に進化する年になるだろう。私の成果は論文の形ではなく別の実績として上がることになる。正に野望の幕開けがやって来る。今からも非常に楽しみだ。

2022年12月14日 強風と霰の後、晴れという天気だが、寒い!

忙しさが止まらない。年末は体調を管理しないと危険である。先ほど風呂に入って温まっておいた。一旦、寝てから夜中3時くらいに起きて仕事をする予定。このように大変なスケジュールの年末だが、授業では年末になっても学生の実力を垣間見るシーンが多い。学生からエネルギーを貰い続けている。このような幸せな時間が私が働いている時間の大半を占めている。

これは大学教員冥利に尽きるというものだ。仕事納めまで、やらねばならぬことは山積みだが1つ1つ確実にやるのみ。

最も大事なのは、睡眠時間の確保。これさえ出来ていれば恐いものは無い。

 

2022年12月15日 03:30~05:00 仕事の捗る魔法の時間帯

今日も朝の3時半から仕事を開始して、4時58分に仕事を終えた。最近この1時間半が非常に効率よく仕事が出来る時間帯に

なっている。物凄く集中出来るため、始まりと終わりが一瞬の様に感じる凄さである。眠気は一切無い。邪念も浮かばない。

真空地帯に居るような感覚になるのだ。この後、一眠りしても良いのだがその前の23時~3時までの睡眠が効いていてそれで

十分なところがある。つまりその4時間で完璧に睡眠が取れているのだ。うーん気分が良い。朝のゆとりが途轍もなくある。

温かい飲み物を作ってゆっくりとしよう。

2022年12月19日 京都出張を終えて、京都のタクシー運転手に思うこと

京都のタクシーは素晴らしい運転手さんもいるけれど、詐欺師の様な人もいて非常にがっかりさせられる。こちらが京都に詳しくないと思って遠回りを提案してきたりする。こちらがそれは違うんじゃないですか?と問い正すと、「では戻りますか?」などと言ってくる。個人タクシーだった。誰も諫める者がいないのでやりたい放題なのだろう。常習犯なのは間違いない。京都のブランディングを下げる人間性の悪いタクシー運転手が一定比率で存在する。これは京都における課題と言える。この課題解決はどうしたら良いだろうかと暫し考えてみた。直ぐに答えは出ないのでタクシー業界の団体にメール報告しておくとしようと思ってサイトを探したら、一般社団法人京都府タクシー協会があったが電話とFAXしかなく、詳細を説明するメールが送れない。やはり聴く耳を持たない姿勢では駄目だなと思った次第です。

 

2022年12月20日 北野天満宮で

先日の京都出張時に幾つかの神社を巡ったのだが、北野天満宮に入ろうとした時、入れ違いで毎朝見ている某テレビ局女子アナに出会った。マスクをしていたが毎朝見ているので直ぐに分かった。お母様と2人での参拝だった様子。かつては職場が近くてランチなどで遭遇してもおかしくはなかったが会ったことは無かった。テレビでは常に明るく楽し気にしているがプライベートでは凛として力強いイメージだった。何か決意をしたのだろうか、その様な表情をしていた。私は決意はとうにしており

どちらかと言えば覚悟をしたためた来訪であった。その出張から帰って来たが長岡は大雪で交通機関が停止。私は到着早々に

長岡駅で足止めをくらい、日本最古のビジネスホテルと言われるホテル法華クラブに落ち着いてこれを書いている。まさかこうなるとは思っていなかった。越後交通バスの運行が朝5時に発表になるので、それをチェックして予定を立てるしかない。

2022年12月21日 長岡の自室(自宅と言う呼び方よりワンルームゆえ、自室)にて

ホテル法華クラブから宮関の自室に戻って来て感じるのは、ここもまた「我が家」なのである。小さいながらも落ち着くし、

仕事が尋常でなく捗るスーパー自室と言える。ある意味で私の長岡オフィスとも言える。やはり自室にカムバックすると仕事が捗る。どれだけ雪が降っても耐えられる室温キープが可能。理想は床暖房があることだが、そこまで贅沢は言わない。

未来の大学の在り方ビジョンが今年は明確になり、企業コラボの理想形も見えてきたのが大収穫だった。自分の予想を超えた結果が得られた訳だが、これに感じることは自分を越えて行くために限界を超える背伸びをすることが必須ということ。

忙しいとか、予算が無いとか、手続きに時間がかかるとか、ではないのだ。やるか、やらないかだけ。やれば良い。そしてやる決断をすると不思議な運気が発生する。まるでイノベーションの神が存在して、その神に目を掛けられると上手く行く様な感じなのだ。関係者全員に魔法が掛かるような状態が発生する。この体験は関係者全員の共通体験として強烈な印象を伴う。

これは電通時代に体験した至高体験より更に上のレベルだった。何故ならば関わっている人数と立場の多様性(企業人、大学教職員、大学生など)が豊富なのと、スピード感が現代の速度だからなのだ。これが2022年の集大成だった。また、この件だけでなくこれを証明するだけの周辺結果も出ている。満足な2022年だ。まだ残りの日数でもイノベーションを起こせる。

2022年12月23日 ほぼ仕事納め

年内95%の仕事は今日で終えたが、あと1件だけ29日に仕事が残っている。ありがたいことです。少しゆとりが出来たので休養を取りつつ最後の仕事に集中できる。今年1年も走り続けた。自分に良くやったと言ってやりたい。願いは叶う事もあれば叶わない事もあったが総じて満足のいく結果である。私の1年を漢字一文字で表すならば「喜」だろう。世の中はコロナ、戦争、物価上昇といったマイナスな事柄が多いのだが、私自身はポジティブにやってこれた。11月に体調を崩したが何とか持ちこたえることが出来た。私独りで出来ることでは無く多くの教職員、学生の方々の協力あっての事ばかりだ。感謝しています。またコンサルティングの仕事ではクライアント企業様から学ぶ事が多く恐縮しつつも最大の価値提供をするように心掛けて来た。

まだまだ研鑽を積み上げねばと感じている。ハードワークで自分のスキルは年々上昇しており、仕事の成果にもハッキリと出ているのが嬉しい。まだ自分の伸びしろは大きく残されていると感じている。さて、来年2023年はどの様な年になるだろう?

2022年を超える実績や成果が得られる年だと思っている。ジャンプする年だ。日本経済のジャンプは2024年だと感じる。

2022年12月26日 2022年が古く感じる

2022年と書くと、もう古く感じている。気持ちは2023年になっているのだ。年末はいらなくなったものを捨てたり売ったりで断捨離をする時期。新しいモノゴトを呼び込む儀式の様なもの。同世代との飲み会などを開いている人達も多い時期だが私は若い世代の20代~30代の後輩や仕事仲間との総括会を実施する。これは本当に有意義だからだ。1回の会合で互いに仕事に役立つノウハウを共有できる。この世をサバイバルする武器を互いに提供し合うのだから当然だ。馴れ合いのサラリーマン集団とは訳が違う。大きな会社に属しているとモノゴトの本質が見えなくなる。ましてや自分の人生戦略や武器に関して無防備になる。個人のビジネス能力開発は会社の看板を失くしてからが本物なのだ。大企業で高いポジションに付いて誰からも批判を受けずに呑気に楽な仕事を続けていると、そのレベルの低さは簡単に露呈してしまうので恥ずかしい。実際に恥ずかしげも無くむしろ自慢げにこんな仕事をしているとSNSでアップしている同世代を発見すると苦笑してしまう。そういった年配者達は

若い世代のレベルを知らないのだ。下の世代の台頭に疎くなる。何故なら自分は高位置にポジションしているからという驕りがあるから。そして上から目線で台頭してくる若者達に助言したりしてしまう。自分がイケていると勘違いする。若者達は

想像以上に敏感で頭が良く、そのような劣化ジジイを簡単に見破る。劣化ジジイは秒殺されるのだ。年配者は若者達からコラボしたいとオファーがなければ間違いなく劣化しているということを肝に銘じなければならない。私も肝に銘じている。

2022年12月28日 マーケティング・コンサルティング総括

ここ3年間はコンサルティングの仕事で日本全国、津々浦々の企業さまからお仕事をいただいてきた。こちらから価値を提供しつつ勉強もさせてもらった。マーケティングはストリートファイトであり実戦あるのみ。机上の空論は実戦では意味を成さない。マーケティングとはそれを実施する者の権限やポジション(と予算規模)に依拠し、セキュリティが高い状態で成されるため学問としてのオープン性とは相性が悪い。学術書として述べられているものに実戦の凄みは無い。つまりマーケティングの実行は軍事作戦に似ていて真相は関係者しか分からないものだ。デルタフォースやネイビーシールズの作戦がニュースにもならず誰も知らないのと同じだ。今年は特に難問として手が出せなかった中小企業でBtoBのクライアント企業さまに着手し、光明を見出すことが出来た。D社時代のクライアントが大企業でBtoBtoCのマーケティングは、私にしてみれば前世の仕事に

見える。つまり初級編だ。マーケティング実戦ではクライアントが中小企業になるだけで仕事は中級編に突入する。これに

中小企業の予算規模と達成期間の条件が加わるともはや上級編になるのだ。D社時代は機動部隊に所属し、複数の部下と作戦を実行していたのとは訳が違う。中小企業クライアントさまには確かな地図が無い土地に夜中単身で落下傘降下して任務遂行しなければならない。そのための武器やツールも常にアップデートしている。大学でのマーケティングの授業内容は実戦レベルではないが一部の武器やツールは学生に提供している。実戦には最新兵器の導入が不可欠なので、2023年は武器やツールの

吟味が更に重要になるだろう。マーケティングの高度な実施力は中小企業クライアントさまでこそ鍛えられるものだ。

2023年1月1日 年末の秘密基地

毎年、埼玉県某市にて年末を過ごすのだが晴天で静粛な日が多い。商売武器のマーケティングツールの吟味を行う。全てで10種類以上を駆使する予定で幾つかは新しいモノを加えるつもり。1年の戦略的スケジュールを立てるのだが、最重要なのは何をやるのかよりも、何を絶対にしないかという誓いを立てることなのだ。時間と資金の投資をしないことを決めることが最優先。それが決まった後に、時間と投資すべき

モノゴトを決める。今年は仕事で撮影と編集を受け入れる

予定なので最新の機材を購入することになる。これは
iPhone14 proを購入すれば良いだけのこと。テレビCMの

電子送稿フォーマット、ProRes422 HQで撮影できる。それを

MXFに変換して送稿するのは広告会社に任せれば良い。私がテレビCMプランナーだった時代は32年前から27年前。あの当時からテレビ

CMは変わったかと言うと、変わっていない。むしろ劣化している。

特にビールのテレビCMは酷くて目も当てられない。どのビールのテレビCMもタレントを何人も起用して「美味い」と言わせている。テレビCMはフィクションと言う以上に自作自演の虚構の世界で日常から懸け離れているように見える。この感情は若者はもっと強く感じられるだろう。

この状況に鉄槌を喰らわすのが私の役割だと感じている。またコピーライターに関してはGA4を学ばずしてコピーを書いている輩が殆どというのも職業意識として劣化していると言わざるを得ない。プロ意識はクライアントと直接対峙しない限り育まれないものだから、新入社員や若手社員にとっては大企業の歯車に成り下がってしまうと人生設計で大きく間違うだろう。広告業界やテレビ業界がビジネスモデルで間違っているのは、拠り所となるデータを視聴率に置いていること。これは業界都合の指標であり、2022年にはこの大間違いを再認識できた。広告、テレビ

関係者が2022年の時点でも異常なくらい視聴率信仰で驚愕した。特にサッカーワールドカップでの盛り上がりは勘違いを加速させていた。

この根本的な間違いを業界都合からクライアント側のオウンドメディア数値へシフトしなければ未来は無い。この話が分かる人が広告業界には

居ない。私の言い分が理解できない広告業界人は自分が終わっていると認識すべきだ。今となっては私がテレビ局のSAS担当と近くなり、広告会社はSAS専門会社とだけ付き合うような時代である。テレビ局はSASは枠売りとわきまえているため私のような独立したクリエイティブディレクターとは相性が良い。運命的にも2023年にはこのジャンルを掘ることになっているようだ。

2023年1月3日 大学生にとっての教科書は実戦

大学の4年間を大学だけで済ませてしまう習慣はこの時代には遅れをとってしまう。それが分かっている大学生は大変でも実戦的な仕事を同時期に開始してセミプロからプロの状態に仕上げている。これは理想的な状況といえる。経済的な状況からバイトをせざるを得ない場合でも、仕事に直接繋がる実戦的なバイトが出来ると理想的だ。大学の4年間に新入社員の2~3年目までの経験値が出来るようなカリキュラムやチャンスが必要だと思う。無理だと思っているのが間違いなのだ。大学側にも企業側にも若者を見縊って勘違いしている部分がある。彼、彼女たちは年配者の感覚より余程優れている。昔の年齢より進化して

レベルアップしているのだ。それに気付けないと学生も教員も時間を浪費してしまう。なので今年の授業には実戦を様々な形で持ち込もうと考えている。

 

2023年1月4日 絶対にしないことを決める戦略

これが結構難しい。良かれと思って準備することや投資することが外れる場合も多々ある。ヤル気があるからこそ攻めに出たくなるが長い目で見て戦う場を後ろにズラす方が良い場合がある。あるいは戦いそのものをしない方が良いことすらある。

自分にとっての鬼門が幾つかあることを忘れてはいけない。本当にすべきことだけするには、自分からいらないモノゴトを

1つずつ剝ぎ取って考えれば良い。それが無くても問題ないモノゴトを削除して行くのだ。既に1月の予定で入れていたモノを

幾つか削除した。すると脳内がスッキリして他のモノゴトを入れられる、あるいは既存のモノゴトをジックリ出来るというメリットが発生する。本日もそれによって出来た時間をクライアント企業さまに使う。あるいは大学の授業の準備に使うことにする。

2023年1月5日 学術論文の実戦への価値

実戦のコンサルティングで学術論文を紐解くことは殆ど無い。殆ど無いと書いたのは、例外的にターゲットのことを知りたい場合に参考にしたことがあったからだ。消費者行動論などの消費者研究論文であれば、具体的なターゲット層に関する論文を探して読むことは考えられる。しかし論文を査読する側も高齢化しており、現実に起こっていることを理解しているかと言えばかなり難しいだろう。実務家はあくまで実務家として大学で教える価値は実践的内容(の手前の基礎)となる。マーケティングの実戦は1年で大きく戦略から戦術まで変化する。その変化を実践に取り入れられるか否かでビジネスが大きく変わる。

SEO対策やオンラインの広告運用を自分でしていないと全く分からない世界。SEO対策は現代のコピーライターとして生きていく上で必須ノウハウで、これを知らずしてコピーなどは書けない。ところがこの重要性に気付くととんでもないブルーオーシャンを発見できる。これは企業秘密なので書けないがアナログな広告ビジネスとデジタルマーケティングを融合させるヒントはSEO周りにあると言って過言ではない。これを知らずしてMAやDMPなどを語るのは片腹痛いというものだ。

世の中には本末転倒ソリューションが溢れていて笑い死にしてしまいそうだ。

実務家はどこかに所属してそのシステム内で生きて行くのではなく、どこでも生きていける実戦的ノウハウを持ち、それによる対価を得ている人と定義できる。ある意味で傭兵と同じだ。学者は学術的組織内と学会に重きを置いて生きているので実戦の空気までは掴めない。それは各種学会に参加して大いに感じていて、それが悪いとは全く思わない。

実戦に出る学者と出ない学者がいるのは生き方の問題だから。実戦に出ているとしてもその程度によっては学者の域を出ない場合も多々ある。私の場合は学者とは言えず、実戦家(実務家)であり研究者ではある。実戦イコール研究にはなるからだ。

ところが研究を学術化するには論文化が必須で、これは実戦とは全く別の労力を多大に必要とする。つまり私の研究は実戦と行き来していて学術ルートには乗らないのだ。メディアやマーケティングの学会などは現実を学問としてキャッチアップするのは困難を極める。大事なことは自分がどこで、何をして生きて行くか、そして私の場合はそれによってどれだけ他社や他者(クライアント企業や若者達)から必要とされ、一緒に働けるかの1点に尽きる。学術論文を紐解いている場合ではなく、私がしていることは最新のマーケティングツール(武器)を武器商人たるマーケティング会社から調達して実戦で使いまくることだ。この大量インプットと吟味こそが実戦で生き残るための習慣なのである。加えて武器商人達との情報交換は1回話すだけで

戦術を得られる大変貴重なものだ。

2023年1月11日 昨夜の体調の悪さ

やや頭痛がして体が怠かったため、早めに寝て何とか回復した。大抵のことは一晩寝れば回復するのであるが、今日の授業のために学生が提出した作品を事前に見ておかねばならず早朝から実施して事無きを得た。体調の悪さは正月に運動してないことからくる筋肉の硬直にも理由があるだろう。ストレッチをせねば。頭痛にはナロンエース、これがあれば助かる。また買い足しておこう。因みにイヴクイックば全く効かない。薬によって効く効かないがこれほど違うのかってくらい違う。今年のカレンダーをまだ買っていなかったので、昨年同様にリバ千に行って買ってくるとしよう。アナログカレンダーは重要な戦略ツールなので必須。スケジューリングは生き方そのものだから。

 

2023年1月12日 ユニクロの賃金最大4割アップ、初任給30万円

ユニクロが口火を切って賃上げを発表した。これは大きな決断である。新潟の最低賃金が時給860円とのことだが、これは35年以上昔の私のバイト時給(東京)より低くて唖然とした。こんなことで良いのか、と怒りが湧いてきた。若者こそが未来なのだということを年配者が理解して後押ししなければ誰がするのだろうか。賃金は若者に厚くしてあげるべきだ。年配者を守る大企業がまだまだ多いのだろう。しかし、その様な大企業から若者は去って行く。今は明け方の5時24分。寒いです・・・。

週末には共通テストという大きなイベントがある。お互いに頑張りましょう。

2023年1月13日 13日の金曜日、恐怖の出来事!

今日は注意をしていた。特に何も悪いことは起きなかったのだが原信のレジ前に並んでいると事件が起きた。私が雑誌棚の方をレジ前の列から身を捻って眺めていた一瞬に、スルスルッとカーゴを押して来た婆さんが私の前に横入りしたのだ。ほんの一瞬で、しかも狭い隙間に割り込む身のこなしは慣れたプロのような感じだった。私は唖然として何が起きたのか分からなかったが、徐々に婆さんが常習犯だと分かって来た。たまたまであの動きは出来ない。今までも劣化老人の色々なパターンを見てきたが、これは黙ってはおけない。何故ならば今後もやり続けそうだから。誰も何も言ってこなかったから、その様な平然と横入りして悪気ないモンスター婆さんが誕生するわけだ。日本の象徴だ。つまり誰も文句を言わないならヤッタ者勝ちという恐ろしい考え方。私は自分のレジを終えた後、原信を出た婆さんを追って正面から呼びかけた。「お婆さん、さっき明らかに横入りしましたよね。いくら年上だからって常識的にありえませんよ横入りは。今後二度としないで下さいね。またやりそうだから」と言っておきました。すると婆さん、普通の顔で「ああ、すいませんね、じゃあ何かお詫びをしなけりゃならんね」といいつつ先ほど買った買い物の中から何かを取り出そうとした。それを見て私は「いえ、結構です。もう二度としないで下さいよ」とだけ言い残してその場を立ち去ったのだった。70歳から80歳くらいの小さな腰の曲がった婆さんらしい婆さんだったが、何を考えているんだろう。しかも形式的には謝っていたが顔は申し訳ないとは言っていなかった。何かを渡してその場を離れようとする狡さすら感じた。長岡で暮らしていて気分を害することは殆ど無かったのだが、まさか原信であのような婆さんに遭遇するとは。もし今後、横入りする人がいたらその場で「ちょっとアナタ横入りはいけませんよ、と言うようにしよう。その婆さんが先にレジに進んで、横入りされたと実感したら私の頭の中で「このクソ婆」という言葉が湧いてきた。

普段、このような汚い言葉は絶対に使わないようにしていたが、そんな言葉が浮かぶようでは私もまだ未熟だ。修行が足りないと自分を戒めた。

2023年1月14日 若者達と年配者達のコミュニケーションの本質

最近、若者達の生きづらさを築いてきた年配者の一人として、戦犯のような心境。

若者達を分ったと思って実際に分かっていることなど無いと思うべきだ。就活、就職、大学、企業など、全ては既存(年配者達が作った)のシステムで人々はそのシステムの中で個々人が効率良く、面倒なく過ごしている。そこに本音を言い合う理由はあるようで無いのだ。本音を言い合ってメリットがあるのは支配者側であり続ける限り、年配者と若者達の溝が埋まることは無い。この点を甘く考えてはいけない。しかしシンプルに考えれば年配者としての自分はオープンでありさえすれば良い。オープンであれば得られる情報も増えるのだから。そして年配者達は若者達にとって有益な情報を提供し、コラボレーションすることだ。現在にこそ、その瞬間瞬間に価値を提供し続けることしかない。価値観の違いは流れる速度の中でどんどん乖離して行く。だから同じ速度でコミュニケーションが取れなければ本当のコミュニケーションが取れているとは言えない。

こんなことを書いている私はとりわけ若者達とコミュニケーションが取りたい訳では無いのだ。コミュニケーションしたいのではなくコミュニケーションを取らねばならない、つまりmustだと考えている。理由はマーケティングな視点で理解したいということ。仕事なのだ。仕事だから出来る。仕事でなければ諦めてしまうだろう。本来、年配者達と若者達はコミュニケーションを取る必要が無かったし、その方が互いに効率が良かった。ところがもはや、そうとも言っていられない時代になった。互いに互いをプロデュースする時代が来たのだ。これはお互いのチャンスで、一緒に仕事をすれば良いと思う。

 

2023年1月16日 カナダのラジオ(CBC Tront)

明け方はアプリで各国のラジオを聴く習慣なのだが、今朝CBC Trontを聴いていたらインフレによって生活が大変な様子が分かった。司会者が掛かって来る電話を取って生活者の声を聴く番組だ。68歳の女性はパートタイムジョブに戻らざるを得ないと言っていた。またある者は金利が低い今こそ借金すべきと言っていた。この2023年、カナダもどこも大変なのは同じようだ。ラジオは現地の人の生の声が聴けるから良い。ネットの記事だと文字だから左脳的に理解できるが、生の声は右脳にイメージを湧かせてリアリティーが高まる。ラジオの効能に改めて感じ入った。

 

2023年1月23日 最強寒波がやって来る!

相変わらずGoogle Digital Garageでオンライン学習に嵌っている。無料で優れた学習コンテンツが沢山あるのだ。素晴らしい。このような学習ツールを使っていれば、海外での仕事をオンラインで出来るようになる人が続出してもおかしくない。

もはや日本に暮らしていても世界と繋がっていると実感できる世界がある。気温は低く寒い。これから卒研に向かっていくが

気温が低く寒い日々が続くだろうから体調に気を付けよう。本日は大学で大掃除がある。毎年の恒例行事だ。

 

2023年1月24日 最強寒波はやって来た!

天気予報通りに最強寒波、来てます。寒いです。この雪の中、やることは山積みで、特に成績を付ける作業が途轍もない人数分ある。全てを丁寧に評価しなければならないのでコツコツと締め切り日まで続けることになる。この時期はそういう時期なのだ。雪国で自分が夜中から明け方にかけて大学生の成績を付ける日々を想像出来なかったが、これは幸せなことなのだ。

若者達の頑張りをレポートの形やオンライン授業のチャットでのやり取りまで含め全てを顧みて評価させてもらうのは彼、彼女達の頑張りを受け止めることだから。とても神聖で貴重なことだと思っている。それにしても寒い。マメにストレッチをして身体をほぐさないとエコノミー症候群になってしまいそうだ。気を付けよう。

 

2023年1月25日 雪の中、学生のレポートを読みまくる

マーケティングの授業だけでも150人以上の学生がいるので、成績を付けるためには150以上のレポートを読むことになるのだ。これは大変ではない。素晴らしいことだ。1人1人のアイデア、分析、提案を150以上読むことが出来る途轍もない贅沢と

言えるだろう。学んでいるのは学生だけではない。私も学んでいる。学生達のレポートは私の知となり肉となっているのだ。レポートの内容は宝の山の様に価値がある。嬉しいものだ。私の大学生時代、37年前よりも現代の大学生達は頭が良くなっている。当然だと思う。情報量とスピードが桁違いに違う生活で、脳の処理速度は上がっているのだから。会社にずっといる

年配者達は大学生の頭の良さに気付けるだろうか?所詮新人だという見方をしてしまうのではないだろうか。認知バイアスがかかった状態で若者達を見てしまうと大変勿体無いコトになってしまう。ただしかし、矛盾するようだが優れた若者達に気付けない年配者が沢山いればいる程、私は楽しくなる。ある時からガラッと世の中が変わると思っているからだ。その時に皆、やっと気付くのだと。玉音放送を聞いた時の様に(私を含め多くの人は聞いていないが)自分達が信じ切っていた価値観が

違っていたと知る時が突然やって来るのだ。世の年配者達が愕然としている時に、私は若者達と普通に一緒に仕事をしているだろう。

 

2023年1月26日 生きてきて、ずっと思い続けている違和感

私の考えは世の中の一般とはかなり違っているのだと思う。一言で言えば私は誰もが当たり前だと思っていることを当たり前だと思っていない。私の頭の中は世間の人々が言う殆ど全てと真逆の考えなのだ。例えば人々の暗黙の了解としてポジティブな意見を言い合うことが正しい様に行われているが、私はかなりネガティブな人間なので毎日がハテナマークだ。

例えば、自分のやりたいことを計画して実行し、成し遂げる素晴らしさこそ人生の醍醐味という考え方が一般的だと思うが、私はそんなことよりも遥かに素晴らしい超快感体験が沢山あると思っている。例えば、二度とやりたくない仕事から解放されて自由の身になった時とか。あるいは二度と会いたくない人がいる会社、組織などを辞めて別世界に生きる喜びとか。何かを成し遂げるよりも、辞めることの方が圧倒的に重要だと思っている。世の中の大半の人々は何も辞めることが出来ず、長年

右往左往して人生を終えて行くように見えているのだ。辞めること、捨てること、そういった体験の方が強烈にその後の人生を豊かにすると思う。世間一般で言う良いことなど、たかが知れている。だが、辞めることの大切さを説く人は皆無。

私は幼稚園から小学校の6年生まで、約7年間ヴァイオリンを習わされていた。毎週土曜日の午後に通い続けたのである。

それが私の人格形成に少しは意味があったのだが、辞めた時の解放感が凄かった。それは成功体験と言って良い。新しい空いた時間で私は私のやりたいことを開始したのだった。何を開始したか、それはやらされていたことを片っ端から止め始めたのである。部活は入らされたので行かなくなった。教師の言うことは聴いているフリをしていた。そもそも中学校まで義務教育と言うが、私は義務が大嫌いなのである。他人の言う当たり前を遮断すると自分がどういう人間か少しずつ分かり始めたのである。この時の気付きは、その後の人生に大いに役立つ切り札となった。義務教育は嫌いでも私は勉強は好きだった。

私は自ら進んでする勉強が猛烈に好きだと気付いた。それは正しくて今も続いている。

2023年1月28日 弥生美術館 田村セツコ展

御年85歳のイラストレーター、田村セツコさんの展示を観てきた。子供の頃から馴染のある少女のイラストとファンタジーな世界。展示作品から感じたのは、書くように描く、描くように書く、田村さんの言葉とイラストの一体感だ。言葉もデザインであり、デザインも言葉になっている。著作物も沢山売られていて、その中の言葉で印象的だったのは「年を取ると魔法使いになる」という言葉。若い頃と違って大抵のことは出来るようになるという様なことが書いてあったが、全く同感。培ってきた能力を魔法と呼べば、それこそ正しい。毎日が楽しくなる。あと、イラストを描く意味を田村さんはこう答えている。少女には「孤独」がある。それを元気付けるためにイラストを描くのだと。「少女」の部分を何に置き換えても当てはまると思う。まあ、田村さんは「オッサン」に向けてはイラストを描いてはいないと思うが、全ての作品は癒しや慈愛に満ちていた。紙や布が好きという言葉にも大切なモノが含まれると感じた。スマホやテクノロジーの時代に、たまには私も塗り絵をしてみたり、紙の切れ端や布で人形を作ってみたくなった。冗談ではなく本気で。あと驚いたことに、私が好きなガーデニングの神様、ターシャ・チューダーと田村さんは会っていたのだ。うーーーむ、繋がる何かを感じて嬉しくなりました。その後、弥生美術館を出て学生時代に住んでいた文京区千駄木方面まで散歩した。身体の60兆個の細胞の何個かが千駄木を記憶していて、新しくなった街並みで方向が解らなくなっている自分にこっちの方角だと引っ張ってくれている感覚になった。実際に引っ張られる方向にかつて住んでいた学生寮の場所があった。そこはマンションになっていた。

 

2023年2月1日 1月があっという間に去って行った。

正月が前世の様に感じるほど、時の流れは早いもの。大量の学生のレポートを読み込んで採点をし続ける毎日。授業が終わっても時間が余ることは無いのである。しかしそれは非常に楽しみでもあるのだ。レポートを通じて大学生の感性、価値観を知ることになるのだから。世の中は変化し続けていて人間も変化し続けていると実感する。もし私がこの職に就いていなくて

学生のレポートを読まない生活をしていたらどうだろう。私の見ている世の中は古い価値観から変わらない風景で、それを飛び出すことは無いだろう。学生がレポートに書くアーチストは若者達であって私が知らない人々も多い。

それだけでこちらの学びになる。私は採点をするが同時に学んでいるのだ。つまり採点をしまくっている状態とは、学びまくっていると同義。ゆえに苦にならないどころか喜びである。これは幸せな仕事と言って良いだろう。

2023年2月2日 2月は多忙な月

この3年間、2月は忙しい毎日である。3月になって雪解けの兆しと共に少し緩くなる。雪解け後の地面を見ると嬉しくなる自分がいて驚いたものだ。普通の地面が見えるだけで結構嬉しいものだな、と。これは雪国暮らしに染まったということだろう。

悪くない。自分の価値観が多様になり、些細なことが喜べるようになっているのだ。しかし会社員はどうなのだろう?定年が訪れて昔の会社付近に行ってしまう人々を何人か見てきた。それは不思議な光景だった。もう定年退職したはずの方がスーツ姿で昼頃に会社近辺を歩いていた。驚いたのは社章をスーツに付けていたこと。しかもその社章は旧社章で私の時代には無く

その前の時代の社章、つまりその方の若かりし頃の社章だったのだ。微笑ましいとは言えず、愕然としてしまった。ご本人がそれで幸せな気分であれば良いとは思うが、私は恐ろしい光景を見たと感じてしまった。人間は死んでから成仏すると言うが

生きていても成仏したり、しなかったりすると思う。つまり様々なステージを卒業していく時が成仏の時だと感じる。

成仏せず老害化することが最も恐ろしい。かくいう私も自らの劣化チェックを怠らないようにと心掛ける毎日である。

2023年2月5日 渋谷東急百貨店 閉店

渋谷は苦手な街なので渋谷東急百貨店には殆どいったことはなかったが、渋谷の風景の一部として憶えている。百貨店のある風景は昭和を想い出させる。私の生まれ育った浜松の繁華街には松菱というデパートがあり子供の頃にたまに連れて行ってもらう嬉しい場所だった。平成になると松菱は閉店し、しばらく廃墟化していてたまに帰省する私は寂しさが募ったものだ。

同じように昨年私の大学時代の街、池袋を昨年に訪れた時、西口の丸井が無くなって空き地となっていた衝撃は忘れられない。時代は黙っていても進み、変化し、人は亡くなり、モノも無くなる。それと共に価値観も変わり、無くなる。だから楽しむことだ。変化を味わって今、現在を楽しむことは年齢に関係が無い。歳を重ねると自分が失われていくモノゴトと同世代を

生きていたから自分が喪失して行くような感覚が生まれがちだが、そこで感慨深くなっている場合ではない。

歴史を長く生きているからこそ、その変化を実感として味わえる特権がある。贅沢なことだと思う。長生きすればそれを沢山味わえるのだ。私は若者達が知らない世界を知っている。それは過去であり戻ってこないものだから、貴重な事実であり体験なのである。

 

2023年2月7日 昨夜、胸痛に襲われる

昨年に2回、昨夜1回胸痛を味わった。かなり痛い。のたうち回る手前くらいの痛さだ。これは症状から胆石症だと思われる。食事後、夜に起きることや、肩や腕の筋肉痛といった症状が当て嵌まっている。素人判断ではなく病院で確認しよう。胆石症には脂っこい食事は厳禁だ。嫌な感じの肩凝りや筋肉痛は胆石症から来ていたのだな。胆石症が出る前の兆候は少し分かるようになってきたと思う。

 

2023年2月9日 胆石症ではない?

昨日、病院へ行くと逆流性食道炎か胃炎の可能性があるとのことで、それらの薬を処方してもらった。しばらく様子見だ。

体調は回復してきたが、油断はならない。寒い季節は体調管理が本当に重要。そしてまだ忙しい時期は続く・・・・。

食事は淡白なものを少しづつ取る程度にしておく。

 

2023年2月10日 卒業・修了研究展 始まる

3年ぶりの卒業・修了研究展の来客を招いての開催が始まった。私が長岡造形大学着任前に訪れた時の印象は、レベルが高いな

あ、しかも展示の量も多い。といったものだった。今年はそこから更にレベルアップが感じられる作品が多かった。特に未来的な思考と製作が成されていて目を見張るものが非常に多い。時代と共に学生達は確実にレベルアップしている。この時代と共にというのが非常に重要だ。私が感じているのは未来の津波が襲ってきて皆呑み込まれてしまうイメージである。

その波に乗って楽しめるか、呑み込まれるかの時代になっている。テクノロジーの進化と価値観の変化加速を自分の人生に

どう織り込んで生きるか、そのスピードと身のこなしが大切な時代である。若者達の中で昭和レトロブームがある。

それを自分の作品に取り入れて新しい創作が出来る学生を、昭和に育った年配者は大いに評価する。しかしそこで発見したのは、逆に年配者は若者達の価値観に憧れを抱けるのか、抱く時間、価値観を持ち合わせているのかという気付きだ。

そう、昭和の価値は蓄積されて可視化もされて再解釈され易いが、リアルタイムの若者文化は年配者達から解釈されること

無く流れて行き、現在の若者達が年配者になった時に再評価されるのだろう。いつの時代も若者達の文化を年配者が憧れを

持って感じることは困難だったのだ。卒業展示で、とある学生はアニメで不死のアンドロイド主人公を描き、そのアンドロイドが知り合った人間が歳と共に朽ちて行く様を諦観しつつ逆廻し回顧する作品を制作していた。人間側ではなくAIやロボット側から描かれる人間という未来を感じさせるものだった。そのようなあらゆる作品の全てが、奇しくも同じメッセージを放っている様に感じた。未来と対峙することは利他的に生きるということ。

それはどこかで誰かを互いに感じて生きることだと感じさせられた卒業・修了研究展だ。

 

2023年2月11日 大学では学生同士の学びの質が最重要

大学生の最大の学びは、同学年同世代の思考、価値観、作品に触れ、感じ、理解することに他ならない。大学教員から何を

学び取りたいかは大学生側に主導権がある。私の教員としての危機感は大学生に追い越されることである。これはそのまま

大学の危機感でもある筈。私が追い越されないためにしている勉強の1つは海外の優れたオンライン学習コンテンツを大量にインプットすること。Google Digital Garageはその基本的な学習コンテンツ提供サービスだ。そしてそれらを実践の仕事で

活用し、知見を溜めること。加えて海外の複数メディアの報道、CNN、BBC、VOAなどなど米英他複数メディアから満遍なく毎日ニュースをウォッチして思考範囲を広くしておくこと。あと大学1、2年生の価値観を聞き、時間があれば話し合うこと。

大学生達から追い越されないもう一つの大きな柱は仕事(≒研究)である。

2023年2月13日 卒展の終了 / 観察力の鍛え方

素晴らしい展示の数日間が終わり、あっと言う間に展示物が取り払われた。それを見るにつけ、目に焼き付けておいて良かったと思えるのだった。自分の作品を観ている人を観ている学生を、私は観ていて非常に面白かった。全ての学科の作品を観ることは出来なかったが、かなり多くの作品を観た。素晴らしい体験でありつつ、脳がフル回転するので非常に気力、体力を

消耗する。観覧するだけで長距離マラソンを走り終えた感覚なのだ。この後はゆっくりと休みたい。休もう。明日は大掃除。

 

そうだ、忘れないように書いておこう。これからの時代を生き抜くために最も重要な能力は何か?卒展を観ていて確信した。それは「観察力」。対象は「人」。「人」の行動や表情、発言などなどを徹底的に観察する。卒展では自分の作品の前で他人はどのような表情をするのか、何を話しているのか、どんな行動を取るのかなどを根こそぎ観察できるのだ。

更に他の人の作品が、どのように観られ、話されているのかも観察できる。これからの時代、能力が高いとは観察力にかかっている。観察力を高く持ち、利己的な気持と利他的な気持の程良いバランス感覚があれば能力が高い人間になれそうだ。

観察とは単純な比較ではない。ましてや順位、序列ではない。違いの分析と、それによる戦略立案なのだ。それが他人との

比較順位や世間の基準で良いとされる価値観で自分を測ろうと一喜一憂していると、凡人として支配される側に終わる。

己の道に早く気付き、邁進できるか否かでしかない。だから他人を良く観察している人は分っている人だ。周りに忖度したり、同調するのは一瞬で出来ることだが自分だけの道に進むことは決意していないと一生出来ない。だから覚悟して決断した時は自分でそれがハッキリ分かる筈だ。他人に興味を持たなければならない訳では無い。むしろ他人に興味が無くて良く、

客観的な観察が出来れば良い。

2023年2月17日 卒展終了打ち上げを終えて

私の研究室に所属する学生さん達との卒展終了打ち上げを

終え、今年度が最終局面を迎えている。東京に就職する者は引っ越し準備をし、そうでない者も新たな生活に漕ぎ出して行く。どちらも素晴らしいことで、期待に溢れている。

最後の打ち上げでの学生達の言葉は私にとって全て学びだった。いつもそうであったように、私は学生達から学んでいる。学生が薦めてくれるモノゴトは全て体験しようと思うし、価値観の同じこと、異なること全てを受け入れて私の

骨肉とさせてもらっている。

*左のマージャン室はミーティングルームの予約が取れない時に仕方なくコンサルティングのミーティングに利用する

部屋。私はマージャンをしない。ここで仕事をするだけ。

話は変わって、つい先日まで大麻が合法なタイで大麻体験をしてきた知人から聞いた話。人生観が変わりハッピーになるリアルが何をもたらすか、の話だ。大麻体験は「今」に至福体験をするということ。計画的な成長をしなければならないという呪縛から解放されて「個」をリセット出来るのだと。

味覚、音感などが敏感になり、感受性が開花、覚醒すると

今まで見てきた世界が一変するとのこと。この話を聞いて

大麻合法の国で大麻を吸いながら観覧できる美術館があるのか知りたくなった。ニューヨークは既に大麻が合法となったので多くの美術館・博物館に行く前に吸うことは出来るだろう。私が興味深いのは、大麻を吸いながら観覧出来るかということ。この後、調べてみようと思う。

 

2023年2月19日 「俺は現在(イマ)なんだよ!」by

桜木花道

アニメ映画「The First SLUMDUNK」を観た。大ヒット作で

ありながら個人的には全く観て来なかったSLUM DUNKを映画で初めて観た。その素晴らしさは実写でなくアニメで実現した意味だ。アニメは命を吹き込むことが出来る。それは技術と気持ちあっての賜物。そのどちらもが世界トップレベルで実現されていた。内容的にはスポーツものというより、

若者が生きて行くための戦略が詰まった戦略的コンテンツだった。私はカーネルサンダースの様な湘北高校の監督の立場から選手たちを観ていた。選手たちだけでなくアニメーター達も闘っている映画だろう。幸せの根源は、現在(イマ)を生きること。現在(イマ)を逃してはいけない。それを必死で手繰り寄せ誰からも奪われない体験にする。それを仲間や同世代と実現する意義を見せつけてくれる映画だった。

2023年2月20日 松本零士さん亡くなる

子供の頃、松本零士の戦場シリーズ漫画を大量に読んでいた。あの頃が懐かしい。第二次世界大戦が昭和20年に終わって私が生まれたのは昭和41年だから、戦後ではあっても戦争は身近な過去に感じていた。だから戦記物、戦場ものコンテンツは漫画に多くあった。プラモデルもその流れを汲んでいたし自分も良く買ったことを憶えている。子供の頃、夢中になったコンテンツや物語は自分の親世代が創ったものが多い。だから当然、そのクリエイター達、巨匠達は亡くなって行く。普通のことだ。

何度も読み返していた松本零士の漫画をある年齢から読まなくなった。それらの漫画達は実家のどこかに眠っているだろう。

子供心に染み込んできたのは大人の魂だった。戦時中を生きた価値観が漫画の中に確かにあった。そして知らない戦争の風景をリアルに想像して戦慄したものだ。偉大な作家、偉大な作品群でした。

 

2023年2月22日 寒い日だ。雪が降っていたらしい。

朝起きると、外は雪で真っ白だ。夜中に寒くて起きることは稀にあるが昨夜はそうだった。1月や2月の暖房費はどうなっているんだろう?心配です。ヨーロッパでは光熱費が倍額らしい。日本はまだ物価が上昇したとはいえ耐えられるが、今後はどうなるのだろう。プーチンはウクライナを狙う前に日本と局地的な戦争を起こそうと考えていたという恐ろしいニュースを見た。本当に何が起きてもおかしくない世の中である。だから悔いの無い生き方、行動をしようと改めて心に誓うのだ。

 

2023年2月27日 入学試験など、いろいろあり体調が崩れている

寒い中、忙しくしていたら身体が重くなり、案の定その後に熱が出た。昨日は1日寝て過ごした。予定が吹っ飛んでしまったが

仕方ない。そして明日は出張だから、なんとか回復して東京都現代美術館に行かねばならない。ゆえに今日は無理が出来ない。やはり体調不良の元凶は寒さだと痛感する。身体が冷えると免疫力が落ちるのだろう。このパターンは年に2,3回ある。

長岡が悪い訳では無い。東京だって寒いときは寒く、同じように体調不良になるのだ。しかし何が幸せに必要かと言えば健康しかない。腹巻でも買おうかな。

 

2023年3月1日 体調不良が継続 仕事にならない

昨日、出張で東京都現代美術館に行ったのだがかなり混んでいたので体調不良が悪化した。頭痛、筋肉痛もあって睡眠も取りにくい状況。加えて提出しなければならない事務手続きが幾つもあってかなりのダメージを受けている。早く回復しなければ仕事に影響が出てしまう。やはり寒い地域は体温が低下して免疫が落ちるから健康には要注意である。歳を重ねるごとに寒さはキツくなってくるな。雪国暮らしはつくづく大変だと思う。

 

2023年3月3日 熱は下がったが病み上がり

やることは山ほどあるので、ストップできない。

 

2023年3月10日 体調は完全復活

いやぁーー、健康って素晴らしいですね。体調が悪いと食べる気にもならないしヤル気も失われて気力が湧いてこなかった。

やっと体調が回復してまともな身体、脳で思考が可能となった。花粉のせいか眼がショボショボしているがこんなのは大したことない。熱が出て頭痛が伴うと考えることが出来なくなる。つまりは仕事が出来なくなるのだ。完全復活して良かった。

しかし体調が悪い時に限ってやらねばならない仕事が山積みだったという修行。辛かったです。やっと春が来るのか。

今、気温は暖かいのが幸いであるが、寒の戻りもあると聞く。まだ油断禁物だ。

2023年3月14日 カレー屋のRASA

長年D社に勤務していて、良く行ったコンワビル地下、通称コンチカのカレー屋、RASAが3月末で閉店すると聞き、行ってきた。大人気のカツカレーやエビは12時台前半で売り切れ

12時半過ぎだとポークやビーフは食べられる。写真はポークカレーをドンブリで注文しているもの。私はいつもこれだった。たまに辛口のビーフを注文していた。店は行列が出来ていて皆が閉店を知っている様だ。しかし私の知る顔ぶれは居なかった。FaceBookを見るとD社の同期などが訪れている様子だがたまたま時間帯がズレていたのか合わなかった。

まあ会うことを期待していた訳では無いのだが。懐かしいモノゴトはこうして少しずつ消えて行くのだ。人も同じ。3月末までにもう一度くらいはRASAに行っておきたい。あの空間と空気感は一生憶えているだろう。多忙な中、食べる

カレーの至福のひと時。誰もが味わえる普通の幸福だ。

2023年3月16日 令和4 年度教員顕彰制度

私の勤めている大学のtwitterで最新情報が流れて来たので見てみると、令和4 年度教員顕彰制度が発表され受賞した

先生方が学長と共に写真撮影している様子が掲載されていた。私も申請していたのだが落ちてしまったんだなーと思って

WEBサイト記事を読んでいると、何と私も受賞しているではないか。恐らく連絡が取れず撮影には参加できずだったのだが嬉しいものです。令和4年度も自分なりに頑張ってやってきたので報われるというものだ。私は毎年頑張っている。それは自分が一番良く知っている。至らない点も良く解ろうとしている。解っているつもりにはならないように気を付けている。春先は暖かくなりヤル気も自然に湧いてくるものです。2月には体調不良で鬱気味だったがやっと晴れて来た。

 

2023年3月17日 学位記授与式の日

ついに学位記授与式の日がやってきました。私にとっては3回目となり自分の研究室からの卒業生を出すのは2度目になる。

昨日も大学でお別れの会があり教職員何名かが退職され挨拶をされていた。その中でS教授の幸せな様子が印象に残っている。

カーデザインが好きで車メーカーに入って長らく働かれた後に大学教員になられた。ずっと好きなことを仕事にし続けてこられたのは非常に幸せだと思う。そして定年を迎えられた。私の場合、仕事の最終形はどうなるのがベストだろうか?ふと考えてみた。すると自分らしさが少し分かってくる。私の未来は予想外の連続なのだ。自分の想像を遥かに超える未来しかない

運命なのである。つまりこうなるとベストだという考えは無く、その時にこれで良かったとなる類のものだろう。

私の場合、そう容易く分かる未来にはならない。

 

2023年3月17日

学位記授与式は、予想以上に立派なものでした。毎年感動があるのだけれど、今年も昨年以上の感動がありました。学長、

市長、学生代表からの挨拶の言葉は全て素晴らしく心があった。仕事で素晴らしいプレゼンテーションは何度も経験してきたが卒業の挨拶はどうしてこんなにも感動するのだろう。どのようなプレゼンテーションと比較しても次元が違う程素晴らしい。それに加えて研究室の皆から私の人生史上最高の花束をいただき、一生忘れないと思う。私はこのような花束を貰える

人間なのだろうか?少し困惑した。困惑しながらも、その花束を超える人間になって行くしかないと思い直している。

学位記授与式後に祝賀会には参加する予定ではなかったのだが、参加することになった。これも言うまでもなく感動があり

今日は感動に浸れる良い一日だった。最後の最後まで私に学びを与えてくれる学生達に感謝しかない。

2023年3月19日 卒業式でいただいた花束

卒業式でいただいた花束は現在東京の家の玄関に飾られて

元気に咲いています。卒業生達は卒業式を終えて社会に

出る直前の不思議な春休み期間中だと思います。私の気持ちの中にも彼、彼女達が感じているであろう、その不思議な

気持ちがある気がしている。かつて自分にもこのような時期があった筈なのですが、流石にそれは思い出せません。

今日は天気が良く、散歩をしながら不思議な春休みを堪能

しました。穏やかで長閑な日。このような日をまだ何日か

味わえる期間なのです。中には既に新人研修がバリバリと

開始されている企業もあるようですが土日はゆっくりと休んで欲しいと思います。これからへの期待や希望、そして不安や緊張など様々な気持が交錯する日々でしょう。それらは

全て素晴らしい気持ちです。そして貴重な感情です。初心

忘れるべからずという言葉がありますが、その初心が正に今、創られているような気がするのです。

また今度4年生になる現在の3年生はインターンへの応募や

早期内定者決定に向けての試験にエントリーする学生達が

出てきています。早い戦いに臨む学生達はたのもしく、

幾らでも助けになるよう支援していくつもりです。

私自身のことは、やはり外部研究資金の申請準備を進めたり

新しい授業内容の準備を進めることが目下の必須項目。

私も早目早目の準備を怠ることなく、やっている最中です。

世の中ではWBCの日本VSメキシコ戦が近くで楽しみです。

2023年3月24日 WBCが終わり、忙しい3月末

感動のWBCは価値観を変えてくれた。憧れのメジャーリーグを越えている日本野球。大谷翔平を見ていると世の中を変えるのは個人の意思から始まっていると感じる。二刀流を志す最初は本人なのだ。それを認めさせるには結果を出して行くしかない。結果を出せば徐々に認められ、応援する2人物も現れる。これは大谷翔平に限らず全ての人のあらゆるレベルの話に通じている。自分の意志、魂が誠実で、自分を裏切らずに努力を続けていれば必ず結果はついてくる。やはり強い意志が重要だ。

やりたいことを決めて、邁進できる状況を創ったら走り続けること。その意志が持てずに悩む若者達は多い。大谷翔平は世界的に元気や勇気を与えるアイコンになった。私も感じるところが大いにあって負担に感じていた仕事の一部に対して違う見方が出来るようになって大谷翔平には感謝している。3月末は大学授業は無いのだが年度末でやることが山積みで忙しい。

バタバタしています。

 

2023年3月25日 独学の師 野口悠紀雄、山口周、田坂広志、森岡毅など

この時代に何が最強かと言えば、間違いなく「独学」と言い切れる。上記の独学の師が口を揃えて独学の達人となることが

自己の戦闘力を高めることだと言っている。その通りだと思う。私の知恵の中核は全て仕事と独学に依るものだ。その時の

必要(仕事)に迫られて身に付けたモノゴトばかり。受験勉強は役に立ったかと言えば殆ど役立っていなかった。英語を仕事で使えるようになったのは外資系営業担当になったからである。当然だが経営をしたいのに経営学を学ぶだけでは足りない。英語を学ぶだけで英語の達人になれないのと同じだ。そのジャンルそのものだけ学んでも新しい飛躍、ジャンプが出せるようになるわけではない。自己のカリキュラムを創ってその学びの成果を証明するために実戦の仕事をするのだ。

新たな問いを立て続けて生きて行くので、何か既成のカリキュラムを修了して完成などとは夢にも思わない。

生きている以上、完成はしない。未完成のまま向上し続けるのみなのだ。

今は授業開始前の僅かなインプット期間だが、この時期にインプットすると吸収が良い。そんな時期である。

 

2023年3月27日 北野天満宮と水卜アナ

今年に入って京都出張に出かけた時、北野天満宮に立ち寄った。その時に毎朝テレビで観ている水卜アナ(ミトチャン)が

お母様と思われる女性と一緒に帰るところだった。私は偶然、水卜アナを正面から見て「あっ、毎朝見ている人だ」と思った

のと同時に、水卜アナが何かを決断したような表情をされていたのを見て取った。直観的に結婚が近いのかと思ったのだが

中村倫也さんとの結婚で、やはりそうだったんだなと感じた。朝の元気を毎日貰っている気持ちなので大いに祝福させていただきたい。おめでとうございます。

 

2023年3月29日 いよいよ2022年度が終わる

3月末日をもって今年度が遂に終了する。ああー、長かった。しかし直ぐに次が始まる。本当に3月の末、特に3/20-3/31の間は

特殊な時期だと思う。束の間の休息(実際はバタバタしているが、ほんの一時休息がある)を感じられる短い期間。もう十分に2022年度を振り返った。大変な時期もあったが全ては終わるのだ。全てはケリが付くのだ。スッキリする。掃除もする。

いらないメールは削除する。ノートPC内の要らないデータも削除する。アナログな書類なども捨てる。図書館から借りている本は返却する。3/31までやり残しが無いようにしよう。

 

 2023年4月4日 新学期、新年度が始まっている!

原信に買い物に行ったら新社会人になった卒業生2人に会った。2人とも元気で入社2日目とのこと。皆どうしているかなーと

何気に思っていたタイミングだったので、新しい場所で元気にしている様子を知ることが出来て本当に嬉しかった。卒業生の活躍は私のエネルギーの源だ。

 

坂本龍一さん亡くなる

坂本さんは残された時間がどれだけあるか分からない中で、「音楽より先に好きな音を集めたい」と言っていた。

その言葉の中に大事なことが詰まっている。人生は何時でも限られた時間であって、元気であっても病床に臥せっていても

実は同じなのだと思う。芸術も普通の仕事も、好きなことを死ぬまでやり抜くこと。出来れば自分にしか出来ないことをやり続けること。幸せの度合いを測る一つの尺度は、どれだけ好きなことをやり続け、どれだけ自分オリジナルなことを成し遂げられたのかだと思う。「音」について話す坂本さんの顔付が素敵だ。「音楽」の話では無く「音」についての話。空気の様に

日常に溢れている「音」を愛することの無限の可能性を感じさせてくれる。これは何も坂本さんだけの話では無い。彼が言っていることは全ての人に平等に降り注いでいる。彼の偉大さは私達の中にも生きていると言っていい。

2023年4月7日 環境と能力の話

自分のパフォーマンスを最大に発揮するには、環境が最も大事だということ。能力アップのためにはその基盤たる環境が良く無ければ能力アップできないということだ。大谷翔平にとっても誰にとっても、食事と睡眠はその最たるものだろいう。私の若かりしバブル時代には寝る時間が少なく仕事をしていたが、それはベストパフォーマンスではなく普通レベルの仕事を猛烈に沢山していたに過ぎない。自分以外の他の人でもできるレベルの仕事が普通の仕事だ。自分しかできない価値のある高レベルの仕事は、間違い無くコンディションが良い中で達成される。時間的ゆとりと何者にも邪魔されない空間も重要だ。疲労回復のノウハウや設備も高単価の仕事をする人間には不可欠なのである。環境は出来るだけ整えても高年齢化に伴う劣化は仕方ない。4月は新しい授業が始まるため、その準備や諸々の書類関係で結構忙しいのだ。

 

2023年4月10日 前期授業初日! そしてChatGPTに関する議論

メディア概論が今季授業の最初だった。今日はガイダンスを兼ねた初回授業だったため、次回以降の内容をダイジェストする授業だった。大学でもどこでもChatGPTに関する議論がいろいろある。最も多い意見として論文やレポートに使われて、人が考える事をしなくなるのではないかというものがある。しかしそのような使い方をする人はいるだろうが、逆にChatGPTで

クリエイティビティを上げる人達も続出する。そちらの未来にワクワクする。明日からはゼミや研究室も始まる。授業準備は

大変だが楽しみであり喜びでもある。

 

2023年4月13日 本格的に授業が開始!

ゼミや研究室も第1回目の授業を終え、普通に新学期が稼働している。新しい授業は内容を創ることが大変だが楽しみでもある。そのためのインプットをして即座にアウトプットを繰り返している。気候は暖かくなるとニュースで言っていたのに、

まだ寒い。大学の廊下に置いてあったデスクを私の研究室で使えるようにしてもらったので学生との授業や打ち合わせが

やり易くなった。いろいろと変化がある。真面目に地道に誠実にやっていくのみ。それだけで十分だ。

 

2023年4月14日 出張は新国立美術館「ルーヴル美術館展」

4/15(土)は新国立美術館の「ルーヴル美術館展」に出張となった。新国立美術館はまだ行った事がなかった。

今回はルーヴル美術館所蔵の「愛」という視えないモノを絵画として表現した作品の展示である。アイデアというよりも

圧倒的な画力に依る「愛」の表現と、宗教、文化、歴史、哲学といった背景を感じられると期待している。それらの深みを

吸収できるか否かは事前の予備知識に依る。明日までにできる限りの予習をしておこう。

2023年4月16日 ルーヴル美術館展の感想

新国立美術館は初めての訪問だった。事前予約をして入場制限があるため猛烈な混雑は無いものの、観覧者は少なくなかった。それでも十分に鑑賞出来、テーマである「愛」に関しても大いに感じ、考える事が出来た。絵画による「愛」の表現に感じたことは、その「愛」を表現するために費やされる時間である。つまりその絵を描かせる背景、理由の大きさが

「愛」と解釈するならば、100年以上前の「愛」に費やされた膨大な時間、技術を観覧時間に浴びることになった。

それに浴した後、私が感じたことは、この時代にはインターネットが無かったんだなということ。つまり自分の生活近辺での「愛」を感じることで精一杯だったのだなと。

良く言えば自らの人生を考える時間が沢山あったのだ。

現代においての「愛」の表現に絵画という手段は取れそうにないとも感じた。書き切れない考え、感情が湧いてきた。

2023年4月20日 散歩に良い季節

4月は散歩の季節である。散歩は脳を活性化させる。歩いていると良い考えが浮かんでくるものだ。少人数のゼミや研究室であれば歩きながら行っても良いと思っている。教員と学生の理想的な学び環境と言えば、オックスフォードやケンブリッジのコレッジ制だろう。教員達と学生達が生活を共にする学生寮だ。そのような環境で暮らすことが学びにとっては最高だと思っている。生活を共にすると互いを知る度合いが極端に上がる筈だから。私は高校、大学と寮生活を経験している。そこで寮監や宿直で教師が泊まることはあったが常習的に教員が泊まることは無かったことは少し残念だった。

学びの本質は試験の点数や偏差値などではなく、生活そのものの中にあることを痛感する。その考えは私の講義内容に

反映され日常風景から見えるマーケティング論やメディア論として興味を持てる設計にしている。

2023年4月22日 ルーヴル美術館展「イタリアの婚姻契約」

190年以上昔の絵画だが、実写の様に視えることに驚いた。

4K、8Kの画像を通してこの作品を観たらどのように視えるのか非常に興味深い。その場に居るように見せる技術は

テクノロジーではなくアナログの技術なのだ。ルーヴル美術館展で多くの作品がある中で、もっとも私の心に残った作品はギョームが描いたこの作品だった。私にとってギョームは

ドキュメンタリーのジャーナリストとして写実的な絵画という手段を取っている様に視えるのだ。ローマ近郊の裕福な

農家の風景とのことだが、描かれた1830年代のイタリアはフランス七月革命の煽りを受けて秘密結社(カルボナリ)がイタリア統一にむけた反乱を起こしていた時期だ。世の中がどうであれ幸せや冨はいつも偏在している。翻って現在は

どうだろう。ロシアとウクライナの現状があるが日本人は

今のところ平和である。自分達の幸せや愛を感じられるからこそ、それ以外の世の中の現状に深く感じ入ることが出来るのも事実だ。インターネットの情報スピードが遠い国の他人に対する「愛」を考えるキッカケにもなる。

2023年4月26日 私と芸術 丹下健三の旧電通本社と、志水清児の「飛翔」

私と芸術との出会いは多くの人がそうであるように小学校の「図画工作」の時間だった。私は何の勉強もしていない素の状態で最も出来た課目が図画工作だったのである。自分の描いた絵や作った工作物が学校で展示されたり受賞して市立美術館に

展示されたりといったことがあり、自信に繋がっていた。図画工作の教科書から偉大な画家などのアーチスト達を知ることが

芸術への目覚めになっていたと思う。良く憶えているのはゴッホの絵の模写をしたことだ。自分の描いた模写の絵が気に入って額縁に入れて飾っていた。そういえばあの絵、どうなったのだろう?家を改築したころは私は大学生で実家に居なかったから実家の自分の部屋に飾ったゴッホの模写がどこにあるのか分からないままだ。あの絵がまだあるのなら、大学の研究室に

飾りたいのだが。しかし、その後の私は中学に入ると高校受験を前にして絵を描くことの興味を失っていった。芸術を志すことは現実的な生き方をする以上の決意を必要とする。少なくとも私にはそうだった。今日、この文章を書いているのは旧電通本社の前に在った志水清児による彫刻「飛翔」を想い出していたからである。旧電通本社は私が生まれた1966年の翌年に完成したほぼ同い年の建造物だ。建築設計は丹下健三である。旧電通本社自体も芸術だったが、丹下健三とコラボしていた志水清児の彫刻「飛翔」は私の心の中に未だに存在し続けている。バブル時代の残り香の真っ最中、超猛烈な働き方は高圧窯の中で

長時間走り続ける超絶耐久レースの様で、鋼のメンタルを自負する電通マンであっても溶かしてしまうほどのものだった。

私は時折、旧本社の1Fロビーから見える「飛翔」を眺めていた。その一時を今になって良く思い出す。芸術はどこかで人の

精神的支柱になることがある。私は電通に入社する前から旧電通本社の偉容と、そこに一緒に写る「飛翔」のシンボリックな彫刻を写真で見て知っていた。威風堂々としたそれらは当時の私の憧れだった。そしてそれらは現在、解体され、そこから

消えた。ところが志水清児の「飛翔」は山梨県、清春芸術村のレストラン stove(素透撫)の前に移設されたという。

その記事をネットで読んだ時、「会いたい」という気持ちになった。stoveの前に移設された「飛翔」の写真もネット上にあったが、以前の「飛翔」と違って見える。顔付が変わっている。旧電通本社前に在った時より、移設されて穏やかに静かに佇んでいる様に感じた。また対峙したいという気持ちになった。「飛翔」には当時の自分の気持ちが纏わり付いている。そして「飛翔」を思い浮かべた後必ず思うことは、ついこの間卒業して行った大学生達は元気に働いているだろうかということ。

2023年4月27日 Alfred North Whitehead

後期から「発想・着想演習」授業の主担当になったため、

ホワイトへッドの著作を読みたいと思っていた。どうやって入手しようかと考えていたところ、大学の図書館で検索したら書庫にあった。私は図書館や美術館、博物館は宝の倉庫だと思っている。札束や金塊が積み上げられている様に感じるのだ。実際にはそれ以上の価値があると思っている。それらを何時でも手にできる自分は幸せだ。手の届くところに宝が溢れているのだ。ところが宝物は所有することが目的でも

幸福でもない。自分に取り込んで使うことに意義がある。

手にした時から宝の物語が始まるのだ。ホワイトヘッドの

ことを教えてくれたのはマクルーハンである。マクルーハンが親交を持った学者たちは軒並み私好みの論を唱えている。GW中には読み切ってしまうと思うが、果たしてどのような気付きが得られるだろうか。Adventures of Ideasの序文を読んでみたら、他にもScience and The Modern Worldと、Process and Realityとの3部作になっておりそれらは補完し合っているらしいのでいづれ読むとしよう。

2023年5月1日 5月、GWに突入した

幸い天気が良く、気持ちの良いGWのスタートとなった。映画、読書、授業準備、コンサルティング準備といったインプットの休日となっている。ゆとりある健全かつ豊かなインプットが質の高いアウトプットを生み出す。ここ数年間の休日はその意味で上手く行っていると言えるだろう。ここ数日間の読書で好きな作家だった高橋三千綱が亡くなっていたことを知った。魂の師匠だった彼は2021年に亡くなっていたのだった。私の米国留学のキッカケをくれた作家、作品は小田実の「何でも見てやろう」や高橋三千綱の「シスコで語ろう」といった本だ。最近読んでいる高橋氏の「素浪人心得」の中に彼が留学資金を貯めるために東京アメリカンクラブでバイトしたと書かれていた。これには驚いた。私もニューヨーク短期留学の資金を東京アメリカンクラブのナイトシフト(夜勤)で稼いでいたから全く同じ体験をしていたことになる。既に亡くなっている高橋氏からの

メッセージをその本から受け取ることができた。かつて20代の私がそうだったように、50代になった私が再び高橋氏の本からメッセージを得たのだ。それは還暦を前にした彼がオーストラリアへ短期ゴルフ修行に出たくだりにあった。私もその年齢のタイミングでしたいことが心の中にあるので大いに共感できたのだ。魂の師匠は現在も魂の師匠に変わりがなかった。

2023年5月11日 我が心の師、渡部昇一と、あらまほしきイメージ

GW中からかなり読書をしてきたが、我が心の師である渡部昇一氏の著作を読んでいる。2017年4月に87歳で亡くなられた彼の著作から生きる上での非常に大切な考え方、態度を学んできた。私の中学生時代に出会った本「知的生活の方法」は今でも

紐解く本だ。その中に書かれていた生き方を踏襲して生きている。最近の渡部先生の本の中で80歳を越えてから書斎を作ったというものがある。素晴らしい。私は図書館の中に暮らしたいと思っている人間だ。それはつまり書斎に暮らしたいに等しい。また渡部氏はその理想的生活の原点を、高校を卒業して大学に進学する間の期間に英語の師である佐藤順太先生(旧制鶴岡中学→後の鶴岡第一高等学校→現 鶴岡南高校)の家に招かれたこととしている。

時は昭和24年。佐藤順太先生の自宅には小さいながらも立派な書斎があり、当時にしては途轍もなく貴重な英語の百科事典が揃い、障子を開けると青龍寺川が流れていたという。その書斎で佐藤先生は煙草を吞みながら色々な話をしてくれたとのこと。この原風景が渡部昇一氏の将来を創ったと言っても過言ではない。その話を本で知った私にも、その風景が見える気が

する。それを参考にして自分の将来はどの様な風景の中に居たいかを考えている。天気の良い日の長岡造形大学の風景は楽園の様で、その理想的な風景をイメージするのに役立ってくれる。私はその途中に居て、まだまだ先は長いと感じているのだ。

2023年5月14日 新入社員の5月

新入社員が勤め始めて1か月以上が経ったところだ。GWの休みがあった会社も無かった会社も、どちらでも新入社員はやっていけると思っている人達と、このまま続けて良いか迷っている人達がいるのだと思う。そういう時期なのだ。仕事内容や先輩達や上司との人間関係など、考えることは沢山あるだろう。つまり振り返りの時期が来たのだ。ここで振り返りつつ冷静に分析することが今後に大いに役立つだろう。私は新入社員ではないが初心を忘れない意味で自分の新人時代を想い出している。

 

2023年5月18日 そろそろエンジンをかける

5月も中盤を超え、大学前期の授業もかなり進んで少し先の夏休みが見えてきた。最近は夏のように暑い日もある。昨日は

夕方から夜にかけて長い打ち合わせがあったが部屋の温度が高く、具合が悪くなったくらいだ。さてしかし夏休みに入る前にやるべきことは多々あり、この5月中にはエンジンを本格稼働させるつもりだ。体調には気を付けつつスピードアップする。

太陽の昇りも早くなり現在は朝5時台だが外は充分に明るい。早起きは何か得した気分になるので、これからの季節はお得な

季節だと言えよう。今日も朝一から散髪に行き、無駄の無い計画通りの一日を過ごす予定。

 

2023年5月19日 長岡市デジタル推進ラボ総会に参加

今年度から長岡市デジタル推進ラボの幹事とさせていただいた。その初めての総会に参加してきた。昼間の長岡市街は夏並みの暑さだったが人通りは殆ど無く非常に静かだった。総会の内容は昨年度の報告で、どのようなことを予算を使ってやって来たかが良く解った。またデジタル推進ラボのWEBサイトがメディアとして活用できることも解ったので、こちらとしてもお役に立てる場面は色々あると思われた。

 

2023年5月20日 新入社員は会社を辞める決断をしても良い時期

私の経験上、世の中の多くの会社はまともな倫理観、モラルで活動していると思われるが、中小企業やベンチャー企業の中には未熟な経営者、社員などで構成され、モラハラが横行している場合がある。今まで社会を知らない新入社員はモラハラが横行する会社で先輩達から洗脳を受けると自分が至らないと思ってしまうこともあるだろう。しかし会社の先輩達、社長の発言に多くの矛盾や、汚い考え方を感じるとしたら、おそらくその感覚は正しい。体調に異変が出始めたら直ぐに病院へ行って診断書などを書いてもらうべきだ。長時間残業を強いるような職場であれば労基署に報告すれば良い。そして休むことが先決。休まないとまともな考えにならないからだ。長時間働かされていると思考停止に陥り、それは危険な状況だ。特に独り暮らしは危ない。最近では就業時間外にLINEをしてくる上司の話を沢山聞く。小さいベンチャー企業などは社長を団長として入社2,3年目の社員が劇団員の様に新入社員を洗脳するための芝居を打つ場面が良くあるものだ。新入社員が仕事が遅かったり至らない点を古株社員達でことさら非難して自分達のストレス解消にしたり、コントロールしようとするのだ。そういったモラハラ行為を新入社員諸君は録音しておくのが良い。証拠を取っておくことが大事だ。そのようなモラハラ会社の社長や社員達は、儲け至上主義で自分達のことしか考えていない。どんなに稼いでいたとしても人間性は最低なのである。原因は幼少期の家庭環境に在る場合が殆どだと思われる。だから家庭環境が恵まれていた新入社員はターゲットにされ易いから要注意だ。間違ってそのような会社に入ってしまった場合は躊躇なく辞表を出せばよろしい。

2023年5月26日 学術と実務の隔たり(社会科学において)

現代はコスパやタイパを重視する時代で、今後それらは更に加速して行く。感覚や価値の文法が大きく変わって行っているのである。その中でマーケティングや経営学の学術と実務の隔たりは大きく乖離していくだろう。両立は困難どころか無理だ。

そもそもアカデミアに実務が重要だという議論は、現実との乖離を認めざるを得なかったためで苦肉の策なのである。つまり

アカデミアは後付けの理屈で実務家の必要性を唱え、実行に移した。広告は以前(私の経験上30年前くらい前)から学術論文の中身と実務は殆ど連動していなかった。広告の研究者は実務者とは人種が違い、価値も違うため同じ「広告」という言葉を使っていても互いにピンとこないのである。実務側から研究者になる人の場合は実務側に参考になる論文、書籍のアウトプットが見られる。しかしそれらも今後の時代は無理になって行くだろう。例えばデジタルマーケティングの基本の1つであるリスティング広告の運用を実際にやっている実務家はいるが、その実務家が大学で教える機会は殆ど無い。ましてや研究者にリスティング広告実施者は皆無だろう。学術は実務を知らずして何を知りたいのかというテーマ設定すら出来ないだろう。実務側の本質が猛烈なスピード変化を起こしているので学術論文の査読スピードを経てのアウトプットタイミングでは価値が無くなってしまっている状態だ。研究者、学者側は研究内容や言葉の定義に時間をかけているが、その定義する項目が増加している昨今、定義をし合うだけでコスパ、タイパに見合わなくなっている。その価値観の変化をアカデミアは感じていないのだ。

アカデミアの習慣、価値観は厳格ゆえに朽ちて行く。ただし、研究者個人(実務家含む)の発信に関して言えば、自分の成果を論文以外のyoutubeなど、何でも自由に発信できるから問題無い。メディアの研究者であればマクルーハンが言うように

メディアの変化が知覚の変化を起こすということから価値観が激変していくことを理解出来るだろう。しかし、どのように

激変しているかを知ることは非常に難しく、追いかけても膨張する宇宙の様に際限が無いのだ。社会科学も天文学の様に、人々の知覚、価値観の変化をリアルタイムで可視化する装置を開発せねばならなくなり、それには社会科学だけの知識だけでは無理で理科系の研究者達とのコラボになる。このコラボ領域には可能性が有ると言える。私の立場から言えば実務はアカデミアにおいて教育に活かせるし、教育は実務と繋がっていなければ意味が無いためこの連携は必須だと確信している。一方で学術、研究は発明や発見に近くそれらを見つけた場合には実務で実践して成果をマネタイズするモチベーションが働く。

実務を論文化するモチベーションはコスパ、タイパの観点から相反してしまうのだ。

2023年5月30日 海外旅行、海外出張に関して

コロナ禍に入ってから海外旅行していない。20歳以降で個人的な旅行や仕事の出張で海外に行かない年は殆ど無かった。

25歳の1年間だけ忙しくて海外に出られなかったことがあったが、それ以降は毎年海外旅行や海外出張には行っていた。

それがコロナとなり2019年8月の米国テキサス州オースチン出張を最後に3年以上海外に行っていないことになる。

さすがに海外エネルギーが欲しい時期だ。大学教員になってから海外に一度も出ていないことになる。私のキャリアの総仕上げのために還暦前の夏休み期間中に超短期海外留学をすることを計画に入れている。そこで今年はその視察を兼ねての旅を

企画しているところ。還暦前の超短期留学先はアジア某国のビジネススクールを想定している。

 

2023年6月1日 6月に入って運気が変わった

今年の新入社員には既に会社を辞めた人もいるだろう。新しい生活で使う交通機関や住む場所が変わった人達は昨年までの

人生から大きく変化した毎日を過ごしていることでしょう。変化は進歩であり、神秘でもある。その変化は自分にとって必要な変化に違いありません。人生の区切りに変化している訳では無く、変化はいつでも起きていたのです。つまり人生のどのような時期であっても変化に敏感でいることが気付きを多く得られるのです。また自分の殻を破ろうと努力している時は自分が変化しているから周りも変化している様に見え出します。今日、6月1日は私にとってもそのような1日でした。1日1日をかけがえの無いものとして生きて行くこと、それを意識しています。

 

2023年6月5日 就活最中の長岡造形大学生

この時期は就活相談が多くなる。良くある相談が希望する会社から出された課題に関する相談である。各企業の就活生に対する課題を知ることは大学教員にとっては非常に重要な情報だ。企業が求めている課題を知ることが出来るからである。そして

その課題に果敢に取り組む長岡造形大生のレベルは高い。毎年書いているが、私は決して贔屓目に見ているのではない。

私が電通時代に実務で培った経験とスキルを持ってシビアに観察しても、長岡造形大学生の課題に対する提案アイデアは、

かなり良い。秀でた少数が居るということではなく相談者は殆ど全員が良いレベルである。あまりに私が良いというと学生は本当か?と訝る節があるので言い過ぎないように気を付けているが、それでも良い案には良いと正直に言ってしまう。

私が26歳当時つまりテレビCMプランナー現役時代と比べても、ずっと良い絵コンテを描ける学生が居る。他の企業の課題に

対してもそういったレベルの学生が何人も居るのだ。それは当然と言える。テレビ以外の動画コンテンツを見て来た量が私の時代よりも現代の大学生は圧倒的に多いだろうから。私が最近考えていることは、若者達から年配者が学ぶ仕組みを作りたいということ。大学には若者達と教職員の年配者達が既に居る。教える側が教職員ではなく、若者達にして教職員側が学ぶ立場になるケースを増やして行くのが良いだろう。そしてそれは有料で。大学生達がバイトで時間を使わずとも、大学で年配者達に教えることでお金を稼げるようにできる仕組みは可能だと思う。これは大真面目に考えている。

例:「年配者達による若者達への有効なコミュニケーションの取り方」といった内容を若者達が年配者に講義したりワークショップを開催したりするイメージ。そのような講座があれば私はお金を払ってでも若者達から本気で学びたいと思っている。

私が思う最も価値あることはそういうことである。間違いないと確信している。

2023年6月20日 いろいろな記念日

56年も生きていると様々な記念日があり、それらを大切にすることが幸せの秘訣になってくる。週末の滞在先はバンコクだった。テラスの朝食が有名だったがこの季節は暑すぎる。

せめて夕方でないと楽しめない。学生の就活対応や海外との打ち合わせがオンラインであり全てこのバンコクオフィス(ホテル)で対処した。場所がどこであってもライフスタイルは変わらない。奥に見える高いビルはマンダリンオリエンタルレジデンスで、その左横にはICONSIAMというメガショッピングモールがある。連日そこまで船で繰り出したが流石に飽きた。快適度は日本(東京)が圧倒的に上だ。

日本の不動産はどんなに高価でも世界的にはバーゲンセールだと言われるのも良く解る。

この暑さと交通渋滞の効率の悪さがバンコクの弱点である。

2023年6月20日 高い天井と薄い人口密度

日頃低い天井と人口密度の高い仕事空間に長時間居るとしたら、それは良い事ではない。たまには天井が高く、少人数の空間に身を浸すことが必須である。その休息無くして高いパフォーマンスでの仕事は期待できない。

 

水の流れる音、庭には小鳥達が戯れている。朝食時の雀達は

客人達がテーブルを離れて他の料理を取りに行っている間、

行儀良くしていて決して食べ物を盗み食いしない。下に落ちた欠片を啄んでいる。まさかホテル内の鳥達を教育している訳ではないだろうが、非常に不思議に感じた朝食の出来事。

 

2023年6月22日 SASINビジネススクール

タイの東大と言われるチュラロンコーン大学。

そこにあるSASINビジネススクールは米国ノースウェスタン大学ケロッグビジネススクールとフィラデルフィア大学ウォートンビジネススクールの協力で創られたタイ最古であり

最先端ビジネススクールである。

先週そのエグゼクティブプログラムのディレクターRagil Ratnam氏にGlobal Executive Programの内容をヒアリングしてきた。突然の訪問にも関わらず、丁寧に対応してくれたことにタイのホスピタリティを感じた。

またExecutive Educationのトップ、ロイ・トミザワ氏も

時間の無い中で対応して下さり感謝しきれない。

自己投資としてGlobal Executive Programを考えてみたための訪問だった。

 

2023年6月25日 オープンキャンパスの日

本日は長岡造形大学オンラインオープンキャンパスだった。私は昼時の「先生と話そう」パートにZoom参加して質問に答えるという仕事。同席した他の先生の研究を聴くことも出来、非常に有意義な時間だった。私にとってオープンキャンパスや入試や各種行事は全て重要なイベントである。それらは全て若者達の未来に関係しているからで、その未来に関われること自体が

非常に価値あることだと痛感している。私が長年サラリーマン生活をしてきて感じることが出来なかった未来を感じられる

価値、それが大学には沢山ある。それを感じて発見があると私自身の未来のビジョンも広がるのである。

事実、将来やりたいこと、やるべきことを大学教員になってから見つけらることが出来た。私自身が気付かなかった自分自身のテーマを知るには若者達との対話が役立った。自分だけではどれだけ努力しても見つけられないのである。他力が、特に

世代の違う若者達の協力が必須なのだ。逆もまた然り。若者達にとっての私がどれだけお役に立てるか、こちらもチャレンジの毎日である。

年配者サラリーマンの難しい点はポジションが上になると若者達と自然に接触する機会が無くなり、客観性に乏しくなることだ。それどころか同年代の価値観に染まって打開策が全く浮かばなくなる。何故なら年配者は新しいチャレンジ(本当の意味でのチャレンジ)をしなくなるからである。年配者達は何年にも渡って居心地の良い仲間内と過ごし続ける。

それは悲劇であり喜劇ですらある。一方、大学生達の様な若者達はチャレンジせざるを得ない。前に進むしかないのだ。

その緊張感ある場所、空間に同時に身を置けることは何よりも代え難く、それを仕事に出来るのは幸せ以外の何物でもない。

2023年6月26日 うぐいす姫

子供の頃に読んだ絵本で強烈なインパクトと好印象の物語が、最近調べたところ「うぐいす姫」という物語だと判明した。

ネット上で絵本のページを見ると確かに見覚えのある絵柄であった。とある女の子の御屋敷に招かれて入った少年はその家の

見てはいけないと言われた箪笥の引き出しを開けて見てしまう。するとその引き出しの中には黄金色に輝く稲穂が靡いていたり、水田に田植えをするミニチュアのお百姓がいたり、要するに四季折々が棚の中にある不可思議な世界。お屋敷の女の子は男の子が約束を破って箪笥を覗いたのが分かると、うぐいすに変化して飛び去ってしまうのだ。その絵本から物凄い色彩と風を感じたことを、つい昨日のことのように想い出す。というのも長岡の風景がそれを想い出させるだけ似ているからなのだ。奥深い記憶が攪拌されると脳が活性化するのは間違いない。自然の風景は脳に良いに決まっている。

長岡は本日、かなり暑い。やって来ました、この暑さ。毎年のことだが上手く避けなければやってられない。研究室では当然冷房を入れ、かつ扇風機も廻している。絵本の世界観と研究室はそれほど遠くは無い。カラフルな付箋紙が散らばり、私は

ミニチュアのお百姓ではないが田植えをするように授業の設計をしている。

2023年6月28日 チャオプラヤー川を前にした夕暮れ

この写真は先々週末のバンコクの夕暮れである。湿気と暑さが猛烈で、ついでに交通渋滞もかなりのものだった。暑さでは長岡も負けていない。今日の長岡は晴天で暑かったが、

夕方に突然の雨に豹変した。気まぐれな初夏は毎年の事だ。

この暑さは世界的に危険なレベルに達しているのでは?

歳のせいか、年々暑さに耐えられなくなっている。自分の

体力のせいか、それ以上に地球温暖化の速度が異常なのか?

授業が終わると次の授業準備で資料をせっせと作っている。

学生さんの就活インターン用の提出課題をチェックさせていただいたりもしている。学生が日々の課題や就活で頑張っている姿を見ていると自然と自分も頑張れるという健全な日々を送っている。ありがたいことだ。人の頑張りは他の人に良い影響を与えてくれる。私もそう出来るよう精進するのみ。

2023年7月2日 7月に突入

6月は私にとって縁起の良い月なのだが、最近はそれ程でもない。今年の6月もまあまあくらいで過ぎて行った。この7月は

努力の月になりそうだ。頑張りがモノを言う。結果はそれ以降に出て来る。最近知ったのだが電通出身で大学教員をしている

先輩が何人かいらっしゃる。同期や後輩でも少しはいるようだがあまり情報が無い。ハッキリとお名前と所属大学が分る方は

チェックしてどのような学びを提供しているか参考にさせてもらっている。やはり私の特殊性はクリエイティブだけではないところだ。コピーライティングや映像企画をさんざんやった後に営業やマーケティングをかなり実践したことが他の誰にも

出せないリアリティに繋がっている。それゆえにコンサルティング業も出来る。クリエイティブだけではコンサルの幅が少なくなってしまうからだ。大学での授業設計は企業に置き換えると研修の設計になる。このノウハウは非常に専門的な知識と

経験が必要となる高度な仕事だ。個人技を磨くには非常にやりがいのあるジャンルである。

 

2023年7月4日 本当にやりたいこと、やりたかったこと。映画「インディジョーンズ」を観て

映画インディジョーンズを観て来た。不覚にも泣いてしまった。子供の頃から本当にやりたいことを追い求めること、その

ワクワクはその時にしか得られない宝物だ。私にもその宝物は在ったのだ。宝物は年々その姿を変えながら存続し続けた。

インディジョーンズの様に考古学者に憧れ、シュリーマンの様に複数の語学を使いこなす自分を思い浮かべて理想としていた時期と、医者になる志が交錯していた少年時代であった。しかし大学進学の現実を目前とした私は私立文系に切り替えた。

その後の夢はコピーライターやCMプランナーに変わり、それは運よく叶ってその運命を何年か堪能したのである。

そしてそれは巡り巡って大学教員となった現在も、大学生と共に学ぶ立場で運命のメビウスの輪を歩んでいる。この映画を

観ている最中に悟りが開けたように感じた。人間の思考は相対性理論を体験できる。時空間の移動は自分の思考で可能になるのだ。私は映画を観る前から映画を観た後にサーティーワンでダブルカップレギュラーサイズ(味はブランニューデイとナッツトゥーユー)を食べると決めていた。映画の終盤にアイスクリームの話題が出て来た。好きなことは思考していればやってくる。そして予定は現実となった。予定は予言にもなる。予定は過去にも未来にも繋がっている。映画の中に出て来たインディの部屋は私の知る1980年代後半のニューヨークの部屋に似ている所があった。舞台はやはりニューヨークシティ。彼はハンターカレッジの教授で定年を迎えようとしている設定だった。何かがループしている。そう、人にはループする周期があり、それは個別の周波数を持っている様に独特なのだと思う。今回のインディジョーンズのテーマもそんな内容だった。本当に

偶然だが、同時に買った本が「成功は時間が10割」(百田尚樹)だったこともタイミングが合っていた。

2023年7月7日 七夕で出張もあり

目黒雅叙園、百段階段への出張は昨年と同じ。2年連続で出張予定だ。アート作品として、展示としての学びが非常にある有意義なイベントである。外は真夏くらいの暑さである。仕事、仕事、仕事の連続はその仕事が好きであれば幸せそのもの。

現在の私は、まあそうだと言っても過言ではない。ありがたいことだ。以前はそうではなかった時代があったと思うと隔世の感がある。まだ道半ばではあるが行くべき道筋はハッキリとしている。大学でのチャレンジングな授業はヘビーで心身ともに消耗するが、それは幸せそのものである。学生の素直さ&頭の良さ、加えて教員の真剣具合がレベルを上げている。また職員の方々の献身も素晴らしく言う事が無い。良い大学だとつくづく思う。今日も分刻みのスケジュールだがコントロール出来ているので問題はない。ただ先日、大事な会議を失念して不参加してしまった。年に1,2回そのようなことが起こる。気を付けよう。あーーー暑い。

2023年7月8日 目黒雅叙園百段階段 和のあかり

昨年に引き続き、出張で目黒雅叙園百段階段、和のあかりに行って来た。目黒駅からホリプロを通って目黒雅叙園に行く道のりは1年前と全く同じルート。その辺りは電通時代を良く思い出すエリアだ。ただでさえ歴史とアートの百段階段に現代の作家たちの作品が散りばめられ、その絢爛豪華さに

気を失いそうになる。これは毎年訪れなければならない。

個人的には、この百段階段で怪談イベントをやって欲しいのだ。ホリプロの島田秀平さんに伝えておこう。

コンサルティング頭脳の強化にはアートが絶大な効き目を

発揮する。そのアート以上に凄い効き目があるのは大学生との議論である。頭の良い大学生は頭デッカチな大人や経験や実績を積んだ年配者より遥かに重要な新しい価値観や感覚を教えてくれるからだ。社会人は既に会社員になって劣化が

始まっていて新しい価値や感覚には疎くなっている。

2023年7月8日 最高に価値ある学びとは

それは既存の学問を学ぶことではない。既存の学問は既に古くなっている。

そして学問のアプローチ自体が古い。先行事例の研究が必須というが、そこに疑問を持たないのは既に劣化が始まっている証拠なのだ。先人に言われたことをそのままトレースしているだけ。最新の価値観や感覚は若者が生み出すもので、それを理解出来なければ何も解っていないことになる。年配者は古い事例を紐解いて諸々解った気になっているが、それは過去に向いた自己満足なのだ。

年配者達が自己満足している様子は実に気持ち悪く、若者達はそのような風景が最も嫌いなのだ。私が最も興味関心を置いているのが大学生の価値観や感覚である。その理由は共に

未来を創っていく上でそれらを理解することが必須だからなのだ。年配者が自分の価値観で逃げ切ろうとしているのは若者達と共に未来を創る気が全く無いからだ。

私は自分が進化していると毎日感じている。会社員時代の晩年は自分が進化している感覚が途絶えていた。自分で何かを勉強してやった気になっているのも自己満足でしかない。

最も大切なのは、知り得なかった価値観や感覚を若者達と実感し、共に実践することだ。

2023年7月12日 マンション外廊下で惨殺死体を発見する!

何と、今日は恐ろしいことにマンションの外廊下に首と胴体が切り離された惨殺死体を見た。それはノコギリクワガタの死体

である。見事なノコギリの角と頭部が胴体から切り離され、胴体は全く別の位置に放置されている。隣のドアの前なのだが

私が掃除していいものか躊躇してそのままにしてある。謎だ。ミステリーである。人間の仕業だとしたら何かの呪いの儀式なのか?人間の仕業でないとすると、スズメバチか鳥のような天敵がクワガタを食して捨てたと考えるのが自然だろうか。

話題を変えよう。大学生からはインターン応募の良い結果などが届いたりしている。昨年よりも早めにインターンの重要性を

伝えた結果が出始めていて嬉しい限りである。こちらが伝えたことを素直に吸収して粘り強く頑張りシッカリと結果を出す

学生達は本当に優秀で感心する。

 

2023年7月16日 暑さ爆発、仕事量も爆発

この激暑の中、授業準備や仕事は多忙を極めている。大学構内はとても静粛だが、私の脳内は大渋滞の忙しさだ。まあそれは

望んでの忙しさゆえ、問題は無い。むしろありがたい忙しさと言える。ここで注意しなければならないのが体調管理だ。既に暑いと言うだけで胃腸の調子があまり良くない。何故か暑くなると腰痛も増すようだ。外出するときは水分の準備とネッククーラーなどの最新装備で出かけるようにすべきだ。そもそも外出を減らすのも大事。あーーー暑い。計画的に連休を過ごす。

 

2023年7月21日 激暑は続く

暑さが相変わらずの中、昨年の日記を読み返して驚いた。昨年の丁度この時期に、現在考えている事と全く同じ事を考えていた。昨年考えていたことは今年実現している予定だったが、それが叶わなかったため今年も同じ事を考えている。つまりそれは自分にとってかなり強烈な願いであり重要な計画なのである。私自身は間違いなく進歩している。それは昨年まで出来なかった事が今年は出来るようになっているからそう感じるのだ。年齢が幾つになってもこの進歩は必要。そして進歩とは個人的なもので組織や他人とは関係無いものだ。ここが重要だ。自分の能力の最大活用こそが人生の達成目標なので、それを妨げる要因は全て排除すべきなのだ。昨年の日記にはその排除要因が克明に記述されていて今年感じている事と全く同じだった。

つまり排除すべき要因が未だにある。その排除のために全身全霊を注ぐ夏だ。

 

2023年7月22日 最近、夢を沢山見ている

将来的な夢は当然ありつつも、睡眠時に見ている夢が最近多いようだ。昨夜も沢山見たようだがハッキリ憶えているのはピンク色のサングラスを、何かに追われて逃げているハーフ顔の女性から手渡されたというもの。それと別にD社の以前の社長M木さんが笑顔で楽しそうに踊っている夢。全く脈絡は無い複数の夢だがトータルで何かを意味しているようだ。

夢の話とは別だが、隅田川を眺めているとボラのジャンプが頻繁に見られる。銀色の腹が空中に煌めくのだ。更にボラの稚魚が大群水面下を泳いでいるのを見た。大群が水面に独特なウネリ模様を表出するために気付くことができる。ボラの大量発生は春先から夏にかけて何年も前から見たことがあるが、何を意味しているかは分からぬ。

2023年7月24日 後期授業準備などなど

今週末で前期の授業が全て終了する。その後は採点入力や後期授業準備が続く。毎年同じパターンで少しは慣れて来たが、

やることは結構多い。夏休み時期に入るとはいえ大学ではボランティア的な仕事があるし、地域との共同研究もある。

もちろん自分の研究もあるので絶対に暇にはならないのだ。健康診断も受けなければならない。いずれにしても大学生達は

未来を創る人材であるのは間違いなく、その人達と学べることは何にも代えがたいと毎日感じている。

そのおかげで私の将来設計などもかなり精緻にイメージできるようになってきた。ありがたいことだ。気を付けるべきは激暑の体調管理である。

 

2023年8月3日 長岡花火

昨日、今日と初めて長岡花火を観ているが、物凄い規模と迫力の花火だ。私は人混みが大嫌いなので花火そのものは素晴らしいと思えるが、会場に出向いての鑑賞は出来ない人種である。長い行列も大嫌いなので行列の出来る店にも行ったことが無い。という訳で本質的にはあまり長岡花火には興味が無いのであった。皆が良いというものには興味が湧かないし、むしろ

嫌いなのである。それを痛感した2日間だった。それにあまりに長時間上を向いているのは肩凝りになるし、何よりも暑い。

健康には良くないのだ。若者達にとっては良いと思う。年配者にとって大規模花火大会は寿命に関わるレベルだ。

この暑い夏、痛感するのは健康的に平和的に快適に生きるには極力自分のペースで余計なことをせず、自分のやりたいことだけに集中することだ。人間、50歳を越えたら誰からも邪魔されず自分の道を邁進するコンディションを100%達成していなければ成功しているとは言えない。自分道に邁進するコンディション作りを120%以上に引き上げるべく更にカスタマイズして行く

毎日だ。

 

2023年8月5日 オープンキャンパス1日目

長岡造形大学キャンパスはオープンキャンパスでかなり賑わっていた。私は相談会に出て多くの高校生や、その親御さん達からの質問に答える役割だった。明日も同様に相談会に出る。加えてそれが終わってから前期授業のレポート250人分に採点を

 やり遂げた。私の速読はスピードが速いほど理解力が高まるためレポート採点は苦にならないのだ。苦にならないのだが座り続けるために腰痛や肩凝りは発生する。これは仕方ないことだ。入浴剤を入れた風呂で何とか回復したところだ。

この後、睡眠はシッカリと取るつもりだ。体調管理は万全にしたい。

 

2023年8月13日 お盆休みに入った

お盆を過ぎると1年の終わりが見えてきて、来年が展望できる。既に来年の大まかな予定は立てている。来年は世の中的にも私的にも大きな変化が起きることは間違いはない。私的には仕事の総仕上げ期に突入する年になる。還暦前の仕上げ時期だ。

そして還暦後こそが本当の正念場でそれまでに培った能力をフルに発揮するステージに入るだろう。そこからが本番である。

世の中には60歳や65歳で定年を迎える人がいるが、私には全く関係が無い。定年が無い人生だ。やりたい仕事を自分で選び、その報酬も自分で決定でき、休みたい時には自由に休む。それらが全て叶うのが次のステージだ。

 

2023年8月21日 出張などが入る予定

先週まで怒涛のレポート採点&集計、採点入力などをやっていた。成績を付けることは間違いがあってはならないため素早くも慎重にやるしかなく非常に神経を使う仕事だ。それに加えて後期授業の準備などをしていて多忙を極めていた。それが終わり、来週には東京出張が発生する。後期の授業開始前にも出張は入っていて、東京-長岡間の行き来が何回か発生しそうだ。

昨年の8月中旬以降はプライベートで京都に行っていた。もう1年経ったとは早いものだ。今年の夏も体調を崩さずにいたことを良しとして、この後も健康には気を付けておく。健康診断は後期授業開始直前に行くことにした。

2023年8月31日 中川衛 美しい金工とデザイン

パナソニック美術館に出張して中川衛展を観覧してきた。

パナソニックのデザイナーとして就職したキャリアとアーチストとしての道のりを歩んだ一人の人間が最終的にどの路線に行くかを見た。極めて行くと人は自らのオリジナリティの追求に走り、それが幸せなのだと。それが例えば花瓶という作品になった時、私はその展示に実際の花を入れて見たくなったのだが、それは違うのだろう。実用性が無いから作品なのだとも感じた。海外VIP用の超高級ホテルが日本には無いと言われるが、そういったプロデュースにはこのような美術工芸品の知識、管理、運用といったノウハウが必須で高度なマネジメント力が無ければ可能にならない。故に単品作品としての価値に留まってしまうのが勿体ないようにも思える。

これは作者の意図とは関係の無い私の見解でしかないが。

2023年9月20日 過密スケジュールの中、金沢21世紀美術館へ

もはや自分がどこに居るのか分からないくらいの過密スケジュールに翻弄されている。しかしそのスケジュールを組んでいるのは私自身で、そのように生きて行く宿命だと思う。

自分で望んだことなので全く異存は無く、むしろこれでいいのだと納得感がある毎日だ。

 

これは先日に出張で行った時の写真。奈良さんの展示。

日本は何処に行っても猛烈な暑さだ。国内に限らず世界の各地が同じような暑さなのだろう。最近気になるのは身の回りに病気になる人達が出始めていること。

私は明日の早朝から健康診断である。

そろそろ後期の授業が始まるが、その準備を徹底している。

気が抜けない緊張感のある毎日。幸せだ。

2023年9月24日 虫めづる日本の人々(サントリー美術館)

先日の出張では、初めてサントリー美術館に行って「虫めづる日本の人々」を観覧してきた。

予想以上に素晴らしい虫、樹々、草花の風情を堪能することができた。その中で不思議に感じた

作品が、貼ってある画像。鏑木清方の「虫の音」である。これは作品自体にタイトルが書かれていない。見る限り虫も描かれていない。つまり描かれている女性が虫の音を聴いているか否かは分からないのである。ということは作者が周りの人々に口頭で説明したためにそのような解釈で通っているのか。そこが多いに気になった。

サントリー美術館は朝早く行くと人が少なくジックリと作品を観て回れる。

都心でありながら広いスペースと高い天井で鑑賞環境が整っていた。

虫を観察し、描き、愛でる。それができる生活の豊かさよ。この展覧会を観覧した後、いつも以上に虫の音が耳に入ってくるようになった。

全ては意識一つで大きく変わるものなのだ。

季節は見事に秋分の日を境に気温と湿度が下がり秋めいてきた。

長岡造形大学の周囲にはトンボが飛び交っている。

毎年見る風景だが、その毎年が心地良いものだ。

1年ぶりにまた会えた喜びがある。

この変わらぬ自然環境の感覚が失われる時、人はどう感じるのだろうか。

既に失われてきたものごとも多々あるのだろう。

季節の変わり目、急激な気温の変化による体調の変化にも気を付けよう。

近所のクリニックに久しぶりに行って薬をもらってきた。

突然やって来るやもしれぬ胸痛への対応薬はロキソニンだ。

しかし、虫が描かれていない絵を観て虫の音を聴けるようになるのであれば

それは素晴らしいことで最高級のオーディオシステムを地下室に作るよりも凄いことだと思う。

自分の脳内の映像システム、オーディオシステムを構築するには、多くの展覧会に行くことが

必要になると思う。もちろん香りすら感じるようになるものだ。

手ぶらで豊かになれる。

こういった想像力こそが資産であり財産だと確信している。

更なる想像力のレベルアップのために、最高と言われる作品、作家に、生きている間に出会い続け

なければならない。

2023年9月29日 後期授業が軌道に乗り始めた

夏の間に準備をしてきた大学後期の授業は一通り初回を終え、廻り始めている。手応えは充分にあり、長岡造形大学のポテンシャル、伸びしろを十二分に感じている。大学教員が4年目に入り、個人的には悟りが開けている。それは明確に次のステージが見えてきているということだ。何をすべきか、そして何をするべきではないのかがハッキリしてきた。

人生のピークを70代に設定するならば、50代後半は未だ入口なのだ。自分の伸びしろも可能性もこんなものではない。

自分は将来的に想像を遥かに超える実績と結果を大量に作れると思う。おそらく10月以降に、それまで仕込んできたものが

作動し始めるだろう。我ながら楽しみな10月である。

 

2023年10月2日 10月突入!

この10月、諸々動き出すはずだ。相変わらず出張は入っている。上級ウェブ解析士の資格更新テストをクリアして資格維持。
複数スケジュールを縫うように高速で進む毎日。しかも寒くなってきた。卒業アルバム撮影なども入ってくる。いろいろと

忙しいのは毎年のことだ。体調管理、食事による健康管理などを慎重にしている。

運動は散歩の時間をかなり取り入れている。充実している毎日で不満は全くない。

2023年10月3日 有意義な教育の定義

私を含め、殆どの日本人は義務教育と言う名の教育から始まって長年教育を受ける人生である。その中で私が有意義だと感じた教育は義務教育ではない自腹で通った大学院時代だけだったと言える。理由は簡単だ。受け身ではなく自ら学ぼうとして決断し実行したからである。大学受験は皆がするからしただけと言える。「義務教育」とは上からの言葉で、学ぶ主体側の言葉ではない。反対語は「自学自習」か。自学自習の本質は学位や学歴ではない。自学自習には自らの目的、目標があるのでそれが達成されれば良いのだ。ただし処世術として学位や学歴が自学自習目的とセットになる場合も大いにあると思う。私がそうだったからだ。つまり有意義な教育の本質は学ぶ側がそう思えるのかが大事だということ。教える側にとっての有意義は

明らかに有意義な知識、技術、思考法を学生に伝授できると自負する者がそれを求める学生に教える機会と場があることだ。であるならば、その機会と場所は専門学校だろうが大学だろうが大学院だろうが、どこでも良い筈。

有意義でない教育の話をした方が分かり易い。私の広告会社時代、毎年優秀と思われる新入社員が入社してくるが会社側は

即戦力ではない前提で見ていた。私もそう思っていた。諸先輩方のパワハラ紛いの間違った新人教育が新人のヤル気を削いでいる場面を嫌と言う程見て来た。当時、新人の教育は会社が決めてしまうので自分ではできないなと諦めたのだ。

そして現在大学教員になった私は違う考えを持っている。新入社員こそが即戦力になり得る。年配者達の管理職に牛耳られた古い体質の会社を立て直すには、新入社員を即戦力として活用すれば良い。ただしその様な古い体質の会社がその考えに至れないため永遠にそうならないのだ。私の今後の役割はそういった社会、会社をぶち壊し若者活躍の場を創ることだろう。

世の中の価値観を良い方へ大転換していく役割が教育だと確信している。会社に染まってしまった社会人の教育よりも優先すべきはそちらに間違いない。大学と企業の融合は大学4年間で十分に成されなければならない。大学生に正しい新入社員教育を大学時代に提供し、その内容は企業の年配者にとっての若者達とのコミュニケーション研修になる。企業の年配者達が大学生に教えるのではない。その逆で大学生達から企業管理職がコミュニケーションの在り方を学び、ルーティンの仕事を見直すのだ。こういったプログラムを私が創って実行して行くことになるだろう。

そのビジョンを私に与え、教えてくれたのは大学生達である。

 

2023年10月7日 明け方3時に起きて仕事をする

最近は明け方の3時台から仕事をするのに慣れている。この3時から5時、6時までは魔法の時間帯で通常の2~3倍は捗る。

この時間帯を仕事や勉強に使うと他の人の何倍もの能力を身に着けることができるのだ。これは夜型ではなく朝型の仕事方法

である。前日を振り返るにしても良い時間帯だ。逆にこの時間帯を逃すと前日の記憶は掠れて思い出せなくなる。

そして諸々の計画を練るのにも良い時間帯だ。この時間帯で計画していると未来が見えて来る。レオナルドダビンチはこの

時間帯を多用していたのだろう。太陽が昇って来るエネルギーをラストスパートに使うと完璧だ。運まで良くなる。

2023年10月21日 そろそろ暖房を入れる時期に

長岡生活を始めてから毎年10月20日が暖房を点ける日だった。今年はまだ暖房を点けていない。大学の授業は完全に軌道に乗って進んでいる。この調子で2023年は無事に終わって行きそうだ。それと同時に来年の予定が見えてくるだろう。最近は大学生達の若さと柔軟な考え方と共に生きて行くことを確信し、未来のビジネスに関して明確にビジョンを描けるようになった。

これは大きな収穫で、自分が本当にやりたかったことが何なのかをハッキリさせることができた。学生達のおかげである。

サラリーマン生活では絶対に気付けなかった未来ビジョンは若者達とのコミュニケーションから得ることができたのだ。

また大学では教職員の方々から日々得ることも多大である。これは感謝しかない。寒くなってくるが健康には注意して年内に

得られるものは全て得るように引き続き貪欲に行く。(翌22日に暖房を点けた)

 

2023年10月23日 大学の入学試験と高校生のレベルに感じること

大学教員として入学試験に関わることは、世の高校生たちのレベルを知る機会として非常に重要なことだ。高校生たちの可能性の高さを痛感させられる。私は思う。これだけの能力、可能性がある高校生達を更に伸ばすための教育改革が必要だと。

なぜならば教育する側の教員レベルをアップさせるには限界があり、そこにリスキリングといったレベルでは追いつかないと感じるからである。世の中の情報スピードの速さ、密度、テクノロジーの進化と浸透により高校生までに受ける教育や自学自習により高校生の中には撮影、編集スキルとそのレベルをかなり上げている。基礎技術は一般的な高校生であれば普通のリテラシーとして獲得できるのは分っている。ただし企画する力は別で、それを伝える力も技術力の先に必要になる。なので私の存在意義はまだまだ有効で、更に重要性は増して行くだろう。現代において受験戦争という言葉は死語にして良い。序列をつけるための教育では立ち行かなくなる。必要なのは序列ではない協創の力なのだ。

これは入学試験を通じて高校生達から教えてもらっているのだ。会社などの組織、団体ではこのような若者達の変化を感じて

舵を切ることは難しいだろう。毎年のように新入社員が入ってきて同じように研修をする。研修内容は多少変化するだろうが

その程度の変化では彼、彼女らの価値を最大限には活かせないのだ。中堅社員からベテラン側の再教育でも不十分で、

中堅社員やベテラン社員が、新人から学ぶ意識と意欲が企業など組織の成長の鍵となる。

ビジネスにおいてそこがブルーオーシャンになるのは間違いない。私にはそれがハッキリと見えている。

若者達との未来はとても楽しみで刺激的だとワクワクしている。

 

2023年10月30日 10月が終わる

今年の終盤に差し掛かっている。今年は日本を復活、再生するために私が何をするべきかを見つけることができた1年だった。

本来、義務教育から大学教育まで教育内容全体を刷新する必要があるのだが私のカバーする範疇ではそれら全てを担う訳にはいかない。自分が所属した会社組織と大学組織の両方を融合させた教育学習環境を創ることが私の役割だ。両方の組織の課題解決を同時に実施するカリキュラムの開発こそ私の力の発揮どころになるだろう。

2023年11月7日 57歳になる

サラリーマン時代に気付けなかった自分の未来ビジョンは、大学教員になったことでハッキリとしてきた。長く生きていると捨てなければならないモノゴトが出てくるが、それはN極とS極の逆転くらいの大転換による古い習慣との決別だ。特に企業は

従来の仕事の仕方や研修方法を殆どリニューアルした方が良い。その多くを大学生から学ぶべきだ。大学生達は自分達がそのようなことができると気付いていないが、私は気付いている。日本は受験勉強などという無駄な努力を若者達に強い続けているがいい加減止めるべきだ。若者達の可能性を信じるなら、そのような馬鹿な事をさせるわけにはいかない。そんな時間は

無いのだ。最近は早く学生達と共に企業幹部研修に役立つプログラムを作り上げたいと計画している。

 

2023年11月25日 映画「ゴジラ」を観た

授業などが忙しく、まだまだ忙しさが継続する。正月休みこそ休めるが、それまでは採点など諸々の処理仕事があって暇なしである。寒さは昨年ほどではなく、暖冬と言われるだけのことはある。映画「ゴジラ」は今年の最高傑作で私としてはNo1だ。戦後に生まれ戦争を知らない私だが、昭和からずっと感じていた戦前の感覚を引きずっている日本人、日本の感覚がこの映画を観ると終わりを感じることができる。ゴジラが日本人がずっと抱いていた呪縛を焼き尽くしてくれたかのようだった。

私が子供の頃から大好きだった局地戦闘機、震電がゴジラと対戦するシーンは夢のようだった。実戦に使用されなかった震電が現代に蘇って現代の私達にその雄姿を魅せてくれた。典子役の浜辺美波は昭和の薄幸美女を演じると日本一の女優さんだ。

日本人に昭和を想い出させ、そしてその呪縛を解くために必要な巫女の宿命を背負った女優さんだと感じる。大満足だ。

2023年11月28日 レポートの採点など

今日はとある授業のレポート採点をしたが、まだまだ採点するレポートなどは多い。12月の上旬までは採点ラッシュが続く。

そして東京への出張も毎週入っている。11月末から12月中旬まで、かなり忙しいスケジュールが続く予定だ。本業の大学と

副業のコンサルティングの両輪が上手く廻っている。このある程度の理想は、まだまだ上のレベルにアップできる余地あり。

2024年は明らかに理想のレベルアップが可能になるだろう。自分のやりたいこと、進むべき道はより一層ハッキリとした。

大学のあるべき姿、大学教員の理想像というより私自身の理想像が明確になっている。新しい大学教育の形が見えている。

そこまで見えたからこそ、理想の追求をせねばならない。その使命を認識できた2023年である。ありがたいことだ。

 

2023年11月29日 日大アメフト部が廃部に

学生が複数人大麻所持で逮捕されたことで、伝統ある日大アメフト部が廃部となった。偉大なブランドが不祥事によって負の遺産となり、結果的に消滅してしまった。このような結果になるにはそれまでの膿がかなり溜まっていたと思われる。些細な

ことからモラル低下が蔓延し、長年蓄積してマグマが爆発するように不祥事が露呈したのだろう。モラル低下が末期になった組織は自浄作用を持てない。個人的には末期的組織の再生は不可能なので脱出することが最良だと思う。私の体験上、末期的組織は間違いなくトップが腐っているものだ。トップが古い。古いということは長年同じ価値観で行動を変えないできた歴史が膿となっていることを意味している。古いトップ陣には辞めてもらうのが良いが、そういう人達は辞めないで居座る技術を駆使するものだ。腐ったトップの居る組織は辞めて、良いトップが居る組織に行くのが人生成功の秘訣だ。

 

2023年12月1日 SNSで毒を吐くオッサンに感じること

今に始まったことではないが良い歳をしたオッサンがSNSで毒を吐いている。他人にツッコミを入れたり強烈な批判をしているのを見ると、そういう人はストレスが溜まっているんだなあと感じる。そして間違いなく若者達とコミュニケーション取っていない、オッサン同士の価値観で生き続けて来た人だと確信する。そういう劣化オッサンには未来を全く感じられない。

そんな人の特徴は自分が絶対的に正しいと信じ込んでいるパターンである。そして言葉の定義をハイコンテクストにして頭が良さそうな議論をしているように見せるが、そのやり方は極一部の人にしか通用しない。劣化オッサンは嫌われているので誰も突っ込まない。ゆえにどんどん増長してしまう。見ていて痛々しい。私はその様子を観察して本質を掴んでいる。若者達からのシンプルな批判や感覚を共有できる低姿勢で、若者達から学ぶ態度のオッサンにならねばと。

基本的に劣化オッサンの大きな間違いは若者達が未熟だと決めつけていることなのだ。

私は大学教員の職業柄、その点を間違えないで済んだ。これからも若者達にエールを贈りつつ、自分への意見、批判、提案を受け入れて行こうと思う。そんなこんなで、もう12月。日本の停滞は劣化したオッサン達が多く蔓延っているからだと痛感しつつ、それを打ち破る現実を若者達と創って行くのみ。

 

2023年12月8日 来年の授業の予算申告など

年末は諸々の書類作成、提出が多くて忙しい。来年がとうなるかも見えてきている。明け方アプリでラジオ(CBCトロント)を聴いているとユダヤ人のクリスマス「ハヌカ」のパーティーで出す料理の質問を受け付けていた。子供から大人までが電話で質問している様子がいかにもクリスマスの幸せを感じさせるものでラジオアナウンサーが電話の向こうのリスナーにかける

「Happy Hanukah」という言い方もあるんだな、と。ユダヤ暦によるハヌカは毎年、日にちが異なるとのこと。海外のラジオを聴いていると、まだまだ知らないことだらけだと痛感する。

 

2023年12月10日 まだまだ2023年である

2023年が終わろうとしているが、私はまだやるべきことがある。残った2023年の間に出来ることを全てやっておくのだ。

何一つ諦めない。2023年にヤルと決めたことをやり遂げて2024年を迎えたい。粘る。粘って粘って自分の願いを諦めない。

今年も忙しく過ごしてきた。出張もかなり入れて東京都の行き来が頻繁にあった。それは体力的に厳しかったが、得るものはそれ以上だった。来年は今年以上の内容にしたい。そのためにどうすべきかは全ての授業が終わった年末年始にジックリと

考えるとしよう。とても楽しみだ。

 

2023年12月16日 卒業生達からの返信

水川研の卒業生LINEで久しぶりに年末の声掛けをしたところ、3人から返信があった。そこから感じたのは皆忙しそうにしているということ。会社に勤めて稼働しているということだ。やはりその様子を感じるだけで私も元気になる。皆生きているんだ、皆働いているんだと。私を取り巻く環境は年々変化して行く。例えば同じ学科の教員達は高齢化が進み退任する先生方が毎年いらっしゃる。私だって8年後の2031年には退任になるのだ。私が退任するまでに現存する教員の半数は入れ替わっている

だろう。退任直前には全く違う顔ぶれの教員達と仕事をしていることになる。2030年代とは一体どのような世界になっているのだろう。現在とは全くの別世界の筈。楽しみではある。

2023年12月25日 クリスマス

電通に勤めていた頃の仕事納めは12/27くらいだった。50歳以上となった今、自分の仕事納めはクリスマス前でなければならないと思っている。事実、昨日のクリスマスイブはゆっくりと好きなことをして過ごした。1年の終わりを味わいながら過ごす

数日間が年末には必要なのである。昨日は池袋の新文芸坐で映画「Smoke」を観た。何度観ても良い映画で、ブルックリンに行ってみたくなる。

 

<M君の想い出>

12月に入ってFBに気になるコメントを見つけた。かつて一緒に広告学会論文を書いたり、学会発表に行ったM君に関して

お亡くなりになったようなコメントが彼の友人たちから出ていた。内容が曖昧だったので電通後輩のW君にメッセージで訊いてみた。するとやはりM君は12月上旬に突然倒れてお亡くなりになっていたことが判明した。まだお子さんも小さく本人は

大学院にも通っていて人生の滑走路を疾走中だと感じていたのに、非常に残念だ。もう彼に会うことができない。

彼と学会論文の打ち合わせをした時のことを私は良く憶えている。何故なら慣れない論文を書いて発表しなければならない

プレッシャーの中で、彼のアドバイスがとても力になったからだ。M君、あの時はありがとう。ゆっくり休んでください。

 

2024年1月23日 久しぶりに書くが・・・・

昨年末から今年にかけて想定外のことが起こり、それをまとめて書くにはかなり大変なので割愛する。その説明よりも今後のことを書いた方が建設的だから。私自身もそうだが、能登地震に始まり2024年は荒れ模様だ。これは待ったなしで将来に備える必要がある。淡々と準備はしてきたが、今年はひたすらその先に備えての準備期間になるだろう。まずは健康であること。

そうなのだ、昨年に原因不明だった胸痛の原因がハッキリしたことはとても良かった。胆管結石で胆汁の逆流による胸痛、

つまり胆石症が発生していたのだった。それが分ったことで治療が出来た。狭心症でなくて安心した。年度内にも治療予定があり、それを乗り切らないといけない。着々と進めて行こう。

2024年2月14日 卒研発表も終了し、今年度の終盤を迎えている

さて、私にとって4回目の卒業式が近づいてきている。私の現状は理想からは程遠い。還暦60歳までに人生の基本的目標を100%達成する予定で生きてきた。人生100年を考慮しての計画である。現時点で25%くらいの達成率だ。かなり遅れている。従来の計画では60歳で100%にして65歳で150%、70歳で200%、75歳で250%、80歳で300%の達成率を目指していた。

しかしこの計画は下げたくない。従って、60歳までに75%達成、65歳までに125%達成、70歳までに200%達成、75歳までに300%達成というように加速した計画にしようと思う。

おそらく可能だし、そうしなければならない。ここに記録しておいて後で見直して楽しみたいものだ。

 

2024年3月5日 深圳の没落

中国経済は沈みゆく大国そのものだ。特に中国経済発展の象徴だった深圳は見る影もない。習近平の自国路線は増長され他国をイノベーションのために招致するなどあり得ないから、深圳は中国に閉じた単なるメーカー集積地となるだろう。日本企業で深圳に投資をしようなどと考える企業は皆無だろう。コロナ禍によりリモートワークが席巻し、わざわざオフィスを深圳で借りる必要は無いのだから。世界は5,6年で激変する。健全なる教養を持ち、柔軟な思考と行動ができなければ滅びるのみ。

 

2024年3月18日 卒業式が終わり・・・・

長岡造形大学で卒業式を迎えるのは4回目だった。卒業式が終わると大学キャンパスは閑散とする。多くが卒業し、この地を離れていくからなのか、大学そのものが抜け殻の様に見える。私の心にも空白ができる。この空白は休息でもある。この時期、雑多な処理すべきことはあるのだがそれでも空白くらいは発生するのだ。モノゴトをゆっくりと考える時間ができる。

昨年の卒業式がつい昨日のように感じ、昨年と今年の卒業式が2日連続で起きているような錯覚に陥る。不思議だ。

もっと言えば一昨年の卒業式は3日前のようにすら感じる。今年の卒業生は私が長岡造形大学に着任した時の新入生だった。

彼、彼女達が先に長岡造形大学を卒業して行った。私はまだ長岡造形大学にいる。今年の秋には新校舎が完成するようだ。

私は5年目を迎えようとしている。この4年間、自分の能力や可能性がまだ伸びていると痛感している。自分の将来性は以前に増して強烈になっている。夢は強大化し、可能性も広がり続けている。大いに結構なことだ。会社に勤めていたら自動的に

定年退職になって強制終了するところだったが、それは気にする必要が無い人間になった。一言で言えば「能力」に尽きる。

できることが増えたし、今までの人生史上最も価値の高いコンサルティングができている。電通でサラリーマンを続けていたらこうは成れなかっただろう。修行の道に出て良かったと痛感する。ただし、能力以前に「健康」こそ財産であり資産であることは言うまでもない。

2024年4月9日 大学の授業開始

さて長岡造形大学での5年目の授業が始まった。今年から開始する新授業が複数ある。その準備はそこそこ大変だ。ゼミや研究室も始まった。学生のポテンシャルは相変わらず高く、全く期待を裏切らないどころか期待を上回って来る。これが毎年続いているから驚異的なのだ。学生が良いために私にとっての学びが多いことだ。むしろ学んでいるのは私の方だと感じる。これは実に幸せなことで、そうあることではないと思っている。会社員を続けていたら全く味わえない世界で、そもそも会社員は60歳で定年が来て自動的に終了してしまう。やはり早めに辞めておいて大正解だった。予感、直感は当たるものだ。大学と自分のコンサルティング事業との二刀流スタイルが定着して両輪が繋がっている。将来的にはこの接続がもっと強力になっていくだろう。自分のステージは予想以上に上がって行くだろう。